さて、
すこし間があきましたが
明日から第16章をはじめますね。

その前に
第15章の振り返りを
すこしだけしておこうと思います。

第15章のタイトルは
『二度目の警告/温佳の災難』
でした。

この『二度目の警告』は
問題の継続と発展を
意味してるわけですね。

そして、
それが物語後半の山場に
繋がるはずなんです。

こういう文章がありましたね。

「大きな事件が起こるんだ。いや、これは用意してあったものだ。書きはじめるずっと前からね。何年も前にプロットをつくっておいたんだけど、そこにそう書いてある。俺自身がそう書いたんだ」

そして、
こうつづきます。

「それは必要なことなんだ。そのはずだ。それによって主人公は運命を受け容れざるを得なくなる。逃げまわろうとしても無駄だと悟るんだ。自分にとって最も大切なもの――死ぬときまで意味あるものとして残るのがなんなのか知るんだ。いや、違うな。彼はずっと知ってたんだ。ただ知らない振りをしていただけでね。しかし、この事件を経ることで抜き差しならない状態になる。それまでも上手に演じていたつもりなんだが、ここに至って自らの演技が感情に寄り添ったものじゃなかったとわかるんだ。結末を変えようとする努力は無駄だと知るんだな。用意されていた運命が幾つもの因果関係の中でがんじがらめになってるとやっと理解するんだよ」

これは
『書けない小説家』の
台詞として章の前半に
出ているものですが、
章の中盤にある別のシーンにも
呼応する部分があります。

「いいか? 君たちの物語は転機を迎えつつあるんだ。大きな事件も用意されてる。それを経ることで、君たちの結びつきは決定的になるんだ。これは、もう決まってることなんだよ。あらゆることがそれを指し示してる。日常に埋もれたひとつひとつが積み重なって、大きな動機にまで育ってるんだ。こうなったら誰も変えられない。前に言ってたよな? 結末なんていつだって変えられるって。だけど、どうだい? 物語が進むにつれ、選択の余地は乏しくなってるはずだぜ。君が書き、また君が演じてる物語はひとつの終局に向かってる。書き換えられない終局にだよ。これは既に古い本に記されていたことなんだ」

物語も終盤にさしかかり、
登場人物の
意味が変容すべきときが
迫ってるんですね。

そして、
『大きな事件』は
実際に起こります。

それが
章タイトルの後ろ半分
『温佳の災難』なのですが、
これは次の第16章において
詳しく述べられるというわけです。


ところで、
だいたいすべての人にとっては
どうでもいいことだと思いますが、
この章の最後で
主人公はこう言ってます。

「もし、温佳になにかあったら、俺は上杉を殺す。あんたも殺す。それだけじゃない。教員全員を殺す。そして学校にガソリンを撒いて火をつける。もちろん、俺も死ぬ。嘘じゃない。すべて確実にやる。やってみせる」

なんとも物騒な台詞ですが
まあ、
そういう状況なので
それはご勘弁くださいませ。

で、
この部分で彼は
自らを『俺』としているわけですけど、
これ以前には
会話文に《一人称代名詞》を
使ってないんですね。

つまり、
「僕は~」とか「俺は~」と
まったく言ってないんです。

いえ、
ほんと
どうでもいいようなことですが
文章を書くにあたって、
そういう制約を設けるのも
勉強になるかなと思い、
やってみた次第です。


さて、
明日から第16章です。

 


『大きな事件』は
どう解決するのか?
主人公たちはどうなるのか?
――といった感じでしょうかね。

ま、
お時間のある方は
ぜひお読み下さいね。

ちなみにタイトルは、
『意味あるものとして残るもの』
です。

 

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雑司ヶ谷近辺に住む(あるいは
住んでいた)猫たちの写真集です。

 

ただ、
写真だけ並べても面白くないかなと考え
何匹かの猫にはしゃべってもらってもいます。

 

なにも考えずにさらさらと見ていけるので
暇つぶしにどうぞ。