大晦日が近づいてもFishBowl周辺にはマスコミの連中が見え隠れしていた(《フリーランス》の記者だけでなく、大手の者らしい比較的こざっぱりした連中もいた)。彼らは僕や温佳にもマイクを向けてきた。芸能関係の取材と違い、放火事件についてであれば子供たちにインタビューしても良いと考えたのかもしれない。
ただ、FishBowlの内部は比較的穏やかだった。大きな苦難が過ぎ去ったからというのもあったのだろう。でも、それだけではなかった。温佳にあらわれた変化によるところが大きかったのだと思う。
あの夜以降、温佳は表情が若干豊かになったし、会話といえる程度に長くしゃべるようにもなった。その中でも最も大きな変化は、父さんを「草介おじさん」と呼ぶようになったことだ。
まあ、そう呼ばれるたびに父さんはかなりの時間をかけて顔の歪みを収めさせようとし、真昼ちゃんにからかわれていたけど、それだって悪いことではなかった。
「清春のおかげなのかしら? あの子、ちょっとは心をひらいてきたみたいじゃない。これは良い兆候よ。あんた、なにか言ってくれたの?」
真昼ちゃんはそう言ってきた。放火事件の後、多少は気落ちしていた真昼ちゃんも《家族》に訪れた変化には気を良くしてるようだった。
「さあね」と僕はこたえておいた。
なにかは言ったけど、それで変わったとも思えなかったのだ。時間の経過によるもの――成長したことによる変化とも思えた。一月の末に温佳は十一歳になる。僕も誕生日を迎えた直後には中学三年になるのだ。
母さんがヨーロッパへ発つまでの時間を僕たちはゆったりと過ごした。
それには井田隆徳が大きく寄与していたといえる。彼はプロの業者並に大掃除をし、おせち料理も真昼ちゃんと協業して素晴らしいものをつくった(本業以外の実に様々なことに長けていたのだ)。それだけでなく、買い物もスムースになった。
中央棟には『欲しいものリスト』なるものが置かれ、そこへ書いておけば買ってきて配達してくれるのだ。マスコミの連中がしつこく絡んできても彼は持ち前の明るい声でそれを難なくかいくぐることができた。あるいは、長ったらしく理屈を並べ、これ以上なにも訊きたくないと思わせることができた。僕たちは彼によって外界から隔絶された状態を持てたわけだ。
「ね、来てもらって良かったでしょ?」
真昼ちゃんは父さんにそう言った。
「まあ、そうなんだろうな」
父さんはあまりはっきり同意を示さず、忙しそうに立ち働く彼を胡散臭そうに見つめていた。便利ではあるし、快適になったのも事実だったけど、気に入らないことに変わりはなかったのだ。
それは僕も同様だった。とくにわけのわからない話をされると、気に入らないを通り越して苛々した。庭の大掃除をしたときなんかはまさにそうだった。
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《詩のようなものと幾つかの短文集です。
画像があるので重たいとは思いますが、
どうぞ(いえ、どうか)お読みください》