走り出すのを見たと同時に、僕はベランダから部屋を抜け、階段を駆けおりた。中央棟の前で真昼ちゃんに行き会うと、その顔をまじまじと見た。真昼ちゃんは大きくうなずいてみせた。僕も同じようにした。
それから勝手口に向かって全力疾走した。風よりも、秒針の動きよりも速く脚は動いた。戸は開いていて、井田隆徳が黒い塊に覆い被さってるのが見えた。その手前には風に風に靡く炎の先も見えていた。
「こいつだ! こいつ、今、火をつけたところだ!」
井田隆徳はそう叫んだ。
ゴミ袋は激しく燃え、ビニールの焦げる嫌な臭いが辺りにたちこめていた。ゴミ袋だけが燃えてるのではないようだった。ガソリンかなにかが撒かれたみたいで、塀にも火はうつっていた。真昼ちゃんは消火器を手に取った。それと、もうひとつのものを拾いあげると投げよこした。
「清春! これをあの人に渡して!」
僕が手にしたのはロープだった。登山で使うような丈夫でしなやかなロープだ。黒い塊は身を捩らせて声にならない奇妙な音を洩らしていた。
「コノヤロー! 動くなよ! 動くなって言ってんだよ!」
井田隆徳はロープで何度もその塊を叩いていた。その度に重たいバシンっという音と呻き声が聞こえてきた。塀がパシパシと焦げる音もしていた。
僕はその塊のおそらく脚にあたる部分を押さえつけた。なんか気持ち悪いものに触れてるような気分だった。ごわごわとした布の下には体温が感じられた。しかし、その生暖かさは生きてるものにたいする親近感なんて思い起こさせなかった。薄気味悪い肉が在るとしか思えなかった。
近所の人間が騒ぎを聞きつけ駆けつけてきた。父さんと母さんも勝手口から出てきた。
「草介! その男を押さえつけて! 美紗子! あんた、消火器ってどうやったら使えるの?」
真昼ちゃんは大声で喚きながら消火器と格闘していた。父さんは僕と逆の方を押さえつけた。井田隆徳はロープで男の胴体ををぐるぐる巻きにした。そのあいだも何度か小突いていた。完全に自由が奪われると、男はおとなしくなった。
「おい、こいつが放火犯なのか?」
父さんも喚いていた。消火器を持ってきた母さんはなにをどうすればいいかわからないようだった。
「草介! 草介! これ、どうなってるの? 把手が硬くて押せないの!」
母さんがそう叫んだとき、真昼ちゃんの消火器から液剤が噴出した。近所の者が母さんの消火器を奪い取って、次なる消火剤を炎に噴きかけた。
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《美しい姉にコンプレックスを持つ妹
清水ミカのちょっとした奮闘記です。
どうぞ(いえ、どうか)お読みください》