「そうかもしれないわね」

 

 母さんは額を手で覆いながら、もう一方の手に持ったハンカチを強く握りしめていた。

 

「どう? 温佳ちゃんもお母さんと一緒に行く?」

 

 熊井女史はごくあたりまえのようにそう言った。母さんも疲れた顔を娘へ向けた。温佳は突然自分の名前があがったのに驚いたようだった。しかし、反らした首をゆっくり向けただけで、なにも言わなかった。

 

「ちょっと、熊井さん、なんでこの子まであの連中の前に引き出さなくちゃならないのよ」

 

「引き出すなんて、そんな」

 

「だって、引き出すことにかわりないでしょ? 美紗子は、まあ、そういう仕事なんだからしょうがないかって思うわよ。あくまでもしょうがないかって思うくらいだけどね。でも、この子は芸能人なんかじゃないわ。それに、まだ子供なのよ。私はそんなの反対だわ」

 

 熊井女史からすれば、傷心の女優が夫のしゅうえんの地をバックにその痛ましい姿をさらすというのがなによりの宣伝になると考えたのだろう。それには可愛らしくも痛ましい娘を連れていた方が説得力が増す。身持ちの悪い女というイメージも娘と一緒の《絵》をあたえておけば少しは薄まるかもしれない――と考えたのだ。

 

 芸能人にたいする世論形成に大きな影響力を持つ中年以上の女性の多くにはやはり子供がいたから、早乙女美紗子が娘とともに夫をいたむ姿を見れば同情や共感が芽生えるかもしれない。そして、同情や共感は人を普段の嫌悪から遠ざける。うまくすれば早乙女美紗子を嫌いな人間も少しはその感情を和らげてくれるだろう、というわけだ。

 

 それに、ここでこたえておかなければ違う場所で――たとえば映画の制作発表のような華やかな場でこういう暗い話題を振られる可能性もあった。

 

「温佳、あなたはどうするの?」

 

 母さんは額を覆っていた手を払い、揉みくちゃになったハンカチを熊井女史に渡した。僕は小枝を投げた。乾いて軽くなっていたそれは丈の短い草むらに引っかかった。じっと見つめる視線から顔を背けると、温佳は小さな声で、「あたしはそんなの嫌よ」と言った。

 

「で、あなたはどうするの? 美紗子」

 

「私は行くわよ。それがいま早乙女美紗子に求められていることなんだもの」

 

 母さんは化粧をなおしはじめた。それもあまり完璧にならないよう熊井女史からの助言を得ての化粧なおしだ。悲しみをマスキングしない程度に髪のほつれも全部はなおさなかった。多くの人間が魅力的だという目が強調され、頬はこけて見えるようになった。もちろん母さんだって悲しいに違いなかった。しかし、それを表現するとなるとそれなりの準備がいるのだ。

 

「もういいわ。好きになさい」

 

 真昼ちゃんは母さんの全体像がこの場にそぐうものかチェックしてる熊井女史をさんくさそうに見ながら、少々語気を強めてそう言った。

 

「でも、私も一緒に行くわよ。あの連中がしつけなこと言うようだったら、私が身体を張って美紗子を守るわ」

 

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