ただ、その前に書いておくべきことがある。
一九八六年の八月に僕たちは山に登った。僕と真昼ちゃん、それに母さんと温佳、熊井女史の五人でだ。それは慰霊のための登山だった――早乙女脩一氏終焉の地に僕たちは行ったのだ。
熊井女史が運転する車の中で僕たちはほとんどしゃべらなかった。真昼ちゃんでさえ押し黙ったまま高速道路の変わり映えしない景色を眺めていた。僕も同じように外ばかり見ていた。車は渋滞してる中をゆっくり進んでいった。車内の静けさは宇宙のような真空を僕に想像させた。
「これじゃ予定よりだいぶん遅く着きそうね。みんな、大丈夫? 疲れてない?」
熊井女史は首をすこし曲げ、そう言った。でも、誰も反応しなかった。肩を軽くすくめ、熊井女史は缶コーヒーを飲んだ。そして、顔をしかめた。砂糖とクリームの入ったコーヒーを飲みなれていないのだ。
どんより曇った空とうだるような暑さが僕の憶えてるその山の印象だ。
どうして僕がその山に登ることになったのかは、やはり真昼ちゃんの教育癖によるところが大きかった。温佳を自分たちに馴染ませることも真昼ちゃんにとっては義務のひとつだったのだ。そして、それを教導するという部分において教育癖を発揮させたわけだ。
「だから、清春、あんたも一緒に行くのよ。前にも言ったでしょ? 今は行動すべきときだって。いろいろ言いたいことがあるのはわかるわよ。でも、四の五の言わずにあんたも行くの。わかった?」
真昼ちゃんはそう言ってきた。それにたいしても僕は意見らしいことを言わなかった。これもきっと「古い本に既に記されていること」のひとつなんだろう――と思うようにしたのだ。
山の上空にはヘリコプターが何機か飛んでいた。
まわりを見渡すと、同じ場所を目指す人の顔は一様で、まるで仮面をつけているかのようだった。奥に進むと一年前の火に燃えて立ったまま炭化した木が見えるようになった。さらに進むとなぎ倒された木々が目に入った。僕たちはただ黙々と歩きつづけた。
時間が経つにつれ僕が先頭になり、ついで真昼ちゃん、その後に熊井女史に支えられて歩く母さん、最後にゆっくり歩く温佳という順になった。
僕はなにも考えないでいた。考えることによって改善されることとそうでないことがある。今は行動すべきときなんだ――そう自分に言い聞かせていた。実際このときの僕ができることといえば、前を向いて登ることしかなかったのだ。
しかし、考えたくなくても感情を揺さぶるものは目に入ってきた。すべてのものが一年前の事故に強く結びついてるようだった。燃えてしまった木の根元には新しい枝が伸びはじめていて、それは《死》というものから自らを大きく引き離そうとしてるように思えた。いつかはそういった木々や名前を知らない草たちが辺りを覆い、この場所で起こったことを隠していくのだろう。
ただ、そういった僕の感傷も幾つもの《死》の対極として存在するものだった。人が近しい者の《死》から完全に影響を受けなくなることはないのだ。
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《恋に不器用な髙橋慎二(42歳)の物語です。
どうぞ(いえ、どうか)お読みください》