「草介、」
母さんは立ちあがった。
「あんなことしなくてもよかったんじゃない? 心配したんだから」
父さんはあきらかにうろたえていた。僕の肩に手を置き、顎を引いていた。
「あなた、あんなに喧嘩っ早かったかしら? 昔はああじゃなかったって思うけど。ね、いつになったら復帰できるの?」
「悪かったな、なんか迷惑かけちまって」と父さんは言った。振り絞って、それだけ言うのが精一杯なのだ。
「私は別に。――この子にもちゃんと謝った? 清春、いつもごめんなさいね。私とこの人のせいで嫌な思いしてるでしょ? ほんと、ごめんなさい」
母さんは僕の頭に手をのせ、軽く髪を撫でてきた。肩にはまだ父さんの手があった。
僕はこのときにやっと両親から同時に触れられた。これにはさすがにちょっと泣きたい気分になった。でも、泣けなかった。真昼ちゃんが先に泣いてしまったからだ。
立ったまま真昼ちゃんは吼えるように泣きだした。用意してたハンカチを使うことも忘れているようで、顎を上向きにさせ、過剰なほど泣いた。アイラインが溶けて涙は黒くなり、それは首まで流れていった。
「鼻水まで垂れてるじゃねえか。汚いな、おい」
父さんがハンカチを渡そうとしたけど、真昼ちゃんは受けとることもできなかった。
「なんで真昼が泣くんだよ。ここは清春が泣く場面だろ? わかってねえなぁ」
父さんは真昼ちゃんの顔を拭いてやった。しかし、かえって化粧が崩れ、修復不能な感じになってしまった。
「だって、だって、」
真昼ちゃんは父さんの腕にそのごつごつした手を絡めた。
「手を離せよ。こりゃ、もう駄目だな。ヤワになっちまった。だいたいな、化粧のしすぎなんだよ。こんなに塗りたくらなくたっていいだろ」
「うるさいわね、あんた! なんで私に言うように美紗子に言えないのよ! あんたこそ、わかってないじゃない!」
温佳の瞳はずっと同じ色をしていた。両手を脚の下に入れ、僕たちの方をぼんやりと見てるだけだった。父さんは真昼ちゃんから手を離した。顔の修復を諦めたのだ。そして、自分の方の歪みきった顔をもとに戻すため幾度も目を瞬かせ、温佳のもとに向かった。
「こんにちは、温佳ちゃん」
膝に手を置いて、父さんは温佳の顔を覗きこんだ。自らが考える最高の笑顔を向けながらだ。
「会うのは初めてだな。お父さんのことはほんとうに――」
温佳は瞳の色を変えた。そうして、父さんの顔を避けるようにして立つと、なにも言わずその場から立ち去った。母さんが声をかけたけど、振り向きもしないでどこかに行ってしまった。
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《僕が書いた中で最も真面目っぽい小説
『Pavane pour une infante defunte』です。
どうぞ(いえ、どうか)お読みください》