料理を口に運びながら僕は彼女の唇をじっと見ていた。気づいたらそうしていたのだ。オイルに濡れた唇と、舌の先が平たく出てきてはそこをゆっくり舐める様をだ。篠崎カミラはつぎの料理も取り分けてくれた。うつむきかげんになり、フォークを丁寧に扱っていた。僕は非常に柔らかそうな彼女の胸を見つめた。それから、首を激しく振った。

「ど、ど、どうか、さ、されましたか?」
「いや、なんでもない。――僕はもう一杯飲むことにするよ。それに、なにか他にも頼んだ方がいいだろう」
 僕はメニューをひらき、追加のものを頼んだ。二杯目のビールがくるとそれをぐいっと飲み、額を手で覆った。しっかりするんだ。どうしてこんな女をそういう目で見なきゃならない。それこそ呪われてるとしか思えないじゃないか。僕は軽く咳払いをして喉を調節させた。
「それで? それでどうなったんだ?」

「は、はい。そ、それから、わ、私は、あ、あまりしゃべらない子に、な、なりました。お、お友達も、で、できずに、ひ、ひ、一人でいるように、な、なったんです。も、もし、は、母が、た、助けてくれなかったら、わ、私は、が、学校にも、い、行かなかったかも、し、しれません。だ、だけど、わ、私が、と、と、登校したがらないのをみて、は、母が、い、言ってくれたんです。よ、よくわかるとです。あ、あなたの気持ちは、よ、よくわかると、い、言ってくれました。は、母も、わ、私と同じで、い、い、いえ、わ、私なんかとは、く、比べようも、な、ないくらい、い、い、いろんなものが、み、み、見える人なんです。ち、ち、小さい頃から、そ、そうだったようで、わ、私と、お、同じような、け、経験も、し、してたみたいなんです」
 この辺りから僕は彼女の身体をそういう目で見ることがなくなった。話が理解できなくなってきたからだ。

「ちょっと待ってくれ」
 僕は片手を挙げた。
「さっきから言ってる『はは』ってのはお母さんのことか? いや、まあ、そうなんだろうけど」
「は、はい。そ、そ、そうです。は、母は、わ、私にも、と、と、特別な力があるのだと、い、言ってくれました。そ、そ、それは、だ、誰もが持ってるものでは、な、ないのだと。そ、それを、り、り、理解してくれる、ひ、人は少ないけれど、は、は、恥ずかしがったり、か、隠したりする、ひ、必要はないのだとも、い、言ってくれました。い、い、いずれは、わ、私も、そ、そ、その力で、ひ、人を助けることに、な、なるだろう、そ、そ、それまでは、な、何事も、しゅ、修行だと、お、思いなさい。わ、私も――と、こ、こ、これは母のことですが――わ、私も、こ、子供の頃は、そ、そ、そうだったのだからと、い、い、言ってくれたんです」

 二杯目のビールも飲み干して僕はホール係を呼んだ。謎はかえって深まった。母親もいわゆる『見える人』ってことか? あの時代錯誤的なメイクを施した母親が? いや、『先生』と一緒に暮らしてるんじゃないのか? 僕はまた片手を挙げ、つづきを話そうとしてる篠崎カミラを遮った。

「よくわからないんだけど、君のお母さんも『見える人』なのか? でも、君には『先生』ってのもいるよな? 昨日、僕としゃべった人だよ。そっちは『先生』なわけだから、当然そういうお人なわけだろ? ってなると君も含めて三人いるってことになる。ちょっと多すぎやしないか? いや、まあ、別にたくさんいたっていいけど、ちょっと複雑に思えるな」
 篠崎カミラは椅子に背中をあてるようにした。顔には自然にみえる微笑が浮かんでいた。
「あっ、あの、そ、そ、その『先生』というのが、わ、私の、は、母なんです」
「はあ?」
 僕は大きな声を出していた。すぐに口を押さえ、辺りを見渡した。

「す、すみません。わ、私、も、申し上げて、な、なかったですよね。じ、じ、実は、わ、私、た、たまに、は、母の手伝いを、す、す、することがあって、そ、そのときには『先生』と、よ、よ、呼ぶように、し、してるんです。さ、昨夜は、あ、ああいう、お、お話だったので、つ、つい『先生』と、い、言って、し、しまいましたが、そ、そ、それは、は、母のことなんです」
 僕はまたもや手を挙げることになった。
「手伝いってのは、その、なんだ、霊視みたいなことか?」
 そう言ってから僕は思い出した。

「ああ、喫茶店で会ったときはその帰りとかだったのか。だから、あのときも『先生』って呼んでたってこと?」
 篠崎カミラはうなずいた。ホール係が料理を持ってきた。〈ラム肉のグリル バルサミコソース〉というやつだ。
「は、はい。そ、そうです。わ、私は、ま、まだ力が、き、き、きちんと、そ、そなわって、い、いないんですけど、た、たまに、て、手伝いを、た、頼まれることが、あ、あ、あるんです」


 

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