佐藤です、小説書いてます。

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 一九七五年は僕たち《家族》にとって最初の(やく)(どし)だった。

 お(はら)いが必要だったかは別にしても、とくに父さんにとっては完全な厄年といえた。母さんの結婚にショックを受けた直後に祖父が突然亡くなったのだ。それと、その二ヶ月後にあった真昼ちゃんの父君の死は、満遍なく僕たちに災厄を投げつけた。

 祖父は(のう)(いっ)(けつ)で亡くなった。

 それは突然の死だった。だから、父さんは死に目に会うこともできなかった。祖父が死んだときも、父さんは舞台で漫才をしていたのだ。

『そんときも漫才をしてた。
 客の拍手とまだ残ってる笑い声を聞きながら俺は舞台をはけたんだ。そしたら、シゲが暗い顔して突っ立ってた。
 それで、わかったんだ。親父だとは思わなかったけど、悪いことが起きたってのが。それも、誰かが死んだってことがわかった。シゲのヤツ、ほんとうにどうしようもなく暗い顔してたからな』

 と後に父さんは雑誌の連載コラムに書いている。

 

 また、祖父が亡くなった日のノートにはこう書いてある。

『十年やれって言ったじゃないか。とにかく十年はやれって。俺はまだきちんとできてないんだぜ。あと三年待ってくれたら、ちっとは楽させてやれたのかもしれないってのによ。自分で言っといてコレはないだろ?』

 そして、葬式のあった日のノートには、

『死は、死んだ人間からすべてを奪い去るが、それだけでなくまわりの人間からも多くを奪っていく。まるで大きな重力の塊が通り過ぎていったみたいに周囲にも影響を及ぼす。その(こん)(せき)が生きている人間から()がれることはない。それは皮膚を溶かし、肉の内側に入り込み、骨にまで達するのだ。そして、それは生者の血をすすりつづける。癒やしなどというのは幻想に過ぎない。ひとつのものをある方向から見つめていた人間に違う視点を示唆しているだけだ。傷は傷として、確かに、そこに残る』

 と書いている。


 この後も父さんには幾つかの死がつきまとうことになる。

 それは誰にとっても生きている限り不可避なことではあるのだけど、父さんがそれに馴れることはなかった。いつでも新たな死に深く傷つくことになった。

 死は、父さんにとって不条理なことだったのだ。そして、これはかなり後のことになるのだけど、最も不条理に思える死を経験したことが父さん自身の死(あるいは、生)にも影響をあたえることになった――そのように僕には思える。

 ただ、この頃の父さんはその不条理への違和感を漫才の中で昇華させることができた(父さんのネタを『不条理への怒りが動機になっている』と評した者もいる)。いや、もしかしたら一部分はそのようにして消え去らせることができたのだろう。しかし、残りの大半は父さんの中に(おり)のように溜まっていくことになった。

 

 

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