11月8日、島倉千代子の命日でした。(2013年11月8日逝去、享年76歳)

 

2010年に肝臓癌であることが判明、手術・入退院を繰り返していた。肝臓癌発症は極少数の関係者にしか打ち明けていなかった。その間、3度の肝動脈塞栓術を受けたが、2013年前半には肝硬変に至っていた。同年3月30日、75歳の誕生日にはコロムビアレコードの100周年を記念し復活したイベント「コロムビア大行進2013」に出演し、「人生いろいろ」などトークを交えながら数千人の聴衆を前に数曲を歌った。同年5月から仕事をセーブするようになり、同年6月21日、宮崎県延岡市で開催したコンサートが生涯最後のステージとなった。同年6月、日本テレビ『1番ソングSHOW』の取材を受けた(生涯最後のテレビ取材となった)。同年9月14日にブログを更新した(最後の更新)。

同年10月中旬に一時退院したが、同年11月6日、「体調が悪いので来てほしい」と自宅からスタッフに電話して東京共済病院(東京都目黒区)に再入院。同年11月8日朝に容体が急変、午後、東京共済病院の病室にて所属事務所の女性スタッフに看取られ、眠るように息を引き取った。満75歳没(享年76)。周囲の関係者には予め、通夜は密葬とし、香典は断るよう伝えていた。

島倉の訃報を受けて内閣官房長官・菅義偉]を始め、北島三郎、五木ひろし、細川たかし、氷川きよし、水前寺清子、大月みやこ、都はるみ、八代亜紀、小林幸子、森昌子など島倉を敬愛していた後輩の演歌歌手達、またコロッケ、山田邦子らものまねタレントも追悼のコメントをそれぞれ発表した。

2014年のデビュー60周年に向け、復帰への意欲は衰えずに持ち、同年10月中旬に一時退院した後、死去3日前の11月5日に自宅で記念曲「からたちの小径」を録音。同曲は遺作となったが、「来年発売の記念CDボックスに入れたい」と関係者は語っていた。なお、同曲は同年12月18日にシングル発売された。レコーディングは当初、11月15日に行う予定だったが、島倉自身から「その日まで待てない」と関係者に連絡を入れて11月5日に急遽吹き込みが行われた。同曲の作曲を担当し、レコーディングにも立ち会った南こうせつは「(島倉さんの具合から)1回位しか歌えないかと思ったが、3回も歌われた。奇跡の歌声だった」と語っている。翌6日には入院先の島倉本人が南へ電話をかけ、感謝の意を伝えたという。

島倉の死去から6日後の11月14日、葬儀が東京・青山葬儀所で営まれ、「からたちの小径」を録音後涙声で「私の部屋の中にスタジオができて、そこで私はできる限りの声で歌いました。自分の人生の最後に、二度と見られない風景を見せて頂きながら歌を入れられるって、こんな幸せはありませんでした。人生の最後に素晴らしい時間をありがとうございました」と、島倉の生涯最後となる肉声テープが流れていた。また告別式では、島倉に憧れて演歌歌手となった石川さゆりが代表として「寂しいです。もっとお元気で歌って欲しかった。優しく時に厳しく叱ってくれる人がいなくなってしまいました」「これからも私達後輩を空高くから見守って下さい」と、涙で時折言葉を詰まらせながら弔辞を読んだ。

同年12月31日の『第64回NHK紅白歌合戦』では石川の「津軽海峡・冬景色」の歌唱前に島倉の追悼コーナーが設けられた。当初、番組側は石川に島倉の持ち歌である「東京だョおっ母さん」や「人生いろいろ」の歌唱を要請していたが、石川が「島倉さんとは親しいですが、都はるみさんや五木ひろしさんなど、自分よりも仲の良かった先輩歌手がいるのに、そんな出しゃばった真似はできない」とその打診を断ったとされる。

戒名は寳婕院千代歌愛大姉。故郷・北品川の臨済宗東海寺大山墓地に生前に建てていた墓に眠る。

 

島倉千代子「からたちの小径」

 

 

島倉千代子「からたちの小径」(最後のメッセージ)

 

 

若かりし日の島倉千代子

 

 

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