キヨ!@Vanilateのブログ
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鬼ころし

 おらは外道と呼ばれている。生首サッカーをしよう、人間の生き血を啜ろう、子供が積んだ石の塔を崩そう、というシゴトの誘いをたった一度断っただけなのに。どうしてあの時、快く首を縦に振れなかったのか、おらでもよく分からない。
 
 地獄のほとんど全てが嫌になってからといい、すぐ睡魔の奴に憑かれる。奴は寝る暇を惜しんでおらを探し、頭に止まる。他の鬼っこたちから外道と呼ばれる度、眠りの時間は二日、三日とまるで取り返しのつかない借金の利子のように増えていく。
 
 いびきの音で眠りから覚める。辺りを見渡しても、青い小鬼が生首でリフティングをしているだけだった。どうやら自分のいびきだったようだ。

 楽しい夢を見ていたので、続きを見たいがシゴトをしなければ地獄に居ることができなくなる。床に転がっていた金棒を手に取った。まだ眠いからか、金棒を握る右手に上手く力が入らない。大きく欠伸をした後、「さてさて、シゴトシゴト」と睡魔を追い払うように頬を叩いた。
 
 すると、青い小鬼が「今日は休みだ祝日だ」と高い声で言った。どうやら人類は滅亡し、閻魔さんの仕事がついに無くなったらしい。閻魔さんは人類初の死人という理由だけで裁判長を任された。それから文句の一つも言わず、ひよこの性別を見分ける初生雛鑑別師のように淡々かつ正確に人間の罪を裁いてきたお方だ。
 
 こりゃあ、めでたい。後でお祝いに行こう。今は眠い。小鬼に生首サッカーをやろうと誘われたが、おらは寝転がった。「ふん、外道め」と唾を吐きかけられても、おらは眠ってしまう。

 夢の中、おらの足腰は大きなバネになっていた。人間の世界を飛び跳ねている。自分でも制御できないくらい高く跳ぶ。途中からバネなど関係なくなって、天狗のようにビルの隙間を飛んだ。そこで紫色の光を放っている窓を一つ見つけた。

「あっ」と思わず声を上げてしまった。人が人を殺していたのだ。その人間がこっちに気付き、近づいてくる。鬼のおらが言うのもなんだけど、鬼のような形相だった。
 
 石が崩れる音がして、夢から醒めた。みんなシゴトをしているようだ。金棒でよだれを拭き取ってすぐ近くにある賽の川原へ向かった。いつものように人間の子供が泣いている。崩れ去った無数の石を前に、永く連れ添ったペットの亡骸を見るように悲しんでいた。

 自分の管轄地へ行く。おらはびっくらこいた。しょぼくれた高さの塔が並ぶ中、ひとりの子供が積み重ねた塔はその子供の背の三倍はあったのだ。おらはその器用な子供を地獄の辺境に連れて行くことにした。

 子供は平たい石や分厚い石をパズルのように組み合わせ、石の塔が高くなっていく。おらが様子を見に来ると、子供は「壊さないで」と泣いた。その度におらは「壊さない」と約束したが、どうも信じてはくれない。だから「この塔をもっと高く積み上げろ」とだけ命令した。

 それからまた睡魔に憑かれて七日間ほど寝てしまった。いよいよおらの精神力は人間と同じようになってきているようだ。急いで塔の様子を見に行くと、流石は人間の子だった。塔は芸術と呼ぶには不恰好すぎるが、遊びと称するのには天才的だった。試しに金棒で突いてみたが、崩れる様子がない。

「おいお前、お前は親不孝者なんかじゃない。子供でもこんな立派な塔が作れるんだ。だけど、おらは今から本当の親不孝者になるぞ。ここを、地獄を抜けるんだ」

「こんな高さで地上へ行けるの?」子供は不思議そうに訊いた。

「実の所、地獄と地上の間にある距離なんて大した問題じゃない。ただ天は遠いぞ。目玉が飛び出て気を失うくらいに遠いぞ」

 子供はおらに付いて来たそう顔をしていたが、気にせず塔を登り始めることにした。石の隙間に手を挟み入れ、重い体を引き上げる。それを何度か繰り返していたのだけど、やはり不安になってしまい、おらは振り返って子供に言った。

「お前も来るか?」
 
 子供は黙って首を横に振り、また別の場所で石を積み上げ始めた。子供たちは親より先に死んだ親不孝の罪によって石の塔を積む苦を与えられている訳だが、どうやら親より先に死んだ罪はおらの想像を超えるものらしい。しかし、石を積むことで罪が消える訳ではない。人間はいつも意味のないことに意味をこじつけ、自分の心を慰めるのが得意なようだ。

 おらは諦めて人間のいない地上を目指して塔を登った。途中で小鬼に見つかったが、あと少しだ。急いで塔を登った。汗をたくさん流しながらも無事に地上へ着いた。地上の空は暗く、地獄とあまり変わらない。しかも、地上は人間で溢れかえり、何かを祝っている様子だった。話しが違う。おらは人間の小さいのを捕まえ、事情を訊いた。

「おら、人間どもはもういなくなったと聞いたが」
「わーい。わーい」とはしゃぐだけで話にならない。
 
 今度は人間の老いたのに尋ねることにした。

「おら、人間どもは滅亡したと聞いたが」
「人類はしぶといのう」と深い溜め息をつくだけで話にならない。
 
 次は身なりの良い青年に喋りかけた。

「おら、人間どもは絶滅したと聞いたが」
「えっ、知らないんですか? DNA操作による黄金時代がやってきたんですよ! 不老不死です! なんて良いことだ! ハレルヤ! 乾杯しましょう!」と騒がしいし、馴れ馴れしい。
 
 小鬼の奴に嘘をつかれたようだ。あいつは天邪鬼だったか。でももう地獄に戻ることは許されないし、閻魔さんの仕事が終わったのには間違いない。それを祝うしかない。

 青年に渡された飲み物をぐいと呑んだ。水のような透き通った色をしていたが、米の味がした。それが食道を通り胃の底へ到着する。胃がなんだか暖かくなった。青年は「いい呑みっぷり。どうぞどうぞ」と次を勧めてくる。どんどん呑んでいると胃の中が気持ち悪くなって、うげえ、と吐いた。

「さすが鬼ころし。すぐに吐いちゃったな」青年は笑顔で酒瓶のラベルを見ながら呟いた。

「なんだと!」おらは易々と人間に殺されるほど落ちぶれてはいない。

 人間を殴る。蹴る。チョップする。人間の顔や身体が呻き声と共に変形していく。しかし、人間は息を途絶える様子をみせない。殴り疲れたおらは、へなり、と尻餅をついて「お前らの嘘の罪は重いぞ! 不老不死なんて最悪だ!」と力を振り絞って叫んだ。

 そしてすぐに眠くなる。いつもの睡魔が優雅に空を飛んできて、おらの頭に止まったのだ。もしかすると、おらはこのまま永遠に眠ってしまうのかもしれない。鬼は不幸に誘われていく人間を止めてはいけないのだ。おらは地獄で閻魔さんに裁かれるのだろうか。今までついた嘘を思い出しながら、おらは鬼の道を外れた外道として深い眠りに落ちていく。

ピクルス

 ミーはピクルスである。と威張っていたら、横にいるキャベツの浅漬けが文句を言ってきた。

「けっ、すぐに横文字を使いたがる。所詮俺らは漬物だよ。お前はただの胡瓜のお漬物だ」

 確かにそうかもしれない。しかし、ミーがベストの味になれるのはどう考えてもハンバァガーの間だ。パンズとビーフパティとケチャップ。そこで甘酸っぱいミーが世界のアクセントとなる。ピクルスにとってこれ以上の事はない。

 ミーは死んだグランパのことを考える。グランパ、すなわちミーの祖父は立派なピクルスだったが、白ご飯と味噌汁という食い合わせで死んでしまった。その悲惨な終わり方を想像しただけで、身の毛がよだち、全身から漬け汁が染み出てしまう。

 ぼあふぁうっ、と冷蔵庫の扉が開けられた。瓶越しに見えた姿は漬け主のアメリカ人だった。牧草地みたいな手の甲が近づいてきて、ミーの芯臓がうずき始める。ミーの漬かり具合は大丈夫だろうか。色を確認する。濃い緑が薄まって、ピクルスと呼ぶのに相応しい色をしていた。

 ふさふさの手によって、ミーの入った瓶がキッチンへ移される。動悸がするのでミーは目を閉じた。

 留め具が外される音がして、瓶は傾けられる。分厚い指先で摘まれて、ミーから汁が垂れ落ちる。ミーは宙を移動する。やがてミーはどこかに落ち着く。

 そこは柔らかくて、暖かかった。目を開けなくても分かった。ここはビーフパティの上だ。ぶりゅっ、とケチャップが発射される。またその上に油と肉汁の滴るビーフパティがやって来た。

 ははは、ダブルハンバーガーとは粋な。と笑った瞬間にグランパのことを思い出してしまった。申し訳ない気持ちになったが、ミーの幸福感はそれ以上である。幸せを目の前にして考える事は自殺行為に近い。もう何も考えないでおこう。
 
 がぶり、ぼりりぃ。

 ミーは齧られた。

 ミーの身体は半分となり、これまでにない恍惚感に包まれた。なるほど、やはり食べられる事こそが我々にとっての至福なのだ。グランパの死も、ミーが勝手に悲観していただけかもしれない。しかし、その至福は「うげえ」と泥を吐き出すような呻き声に邪魔された。それから呻き声の主は「ジョン」と呼びかけるように発声する。

「ノットグッド? ショータロ?」アメリカ人の野太い声が聞こえた。

 ファック。ミーを食べていたのは日本人だったのだ。
 
 日本人は首を振りながら「……ピクルス、アイドンライク」と言って、ミーたちを皿の端へ摘み出した。ピクルス同士が重なり合って、お互いの体温を感じる。パティの熱がうつって、生ぬるい。三十六度の湯船くらい残念な温度だった。
 
 アメリカ人は不満気な顔をしている。それを見てか、日本人は何か閃いたような様子で姿を消した。そして、すぐに戻ってきて「トライ、ディス」とキャベツの浅漬けが入ったタッパーを開けた。「オーケー」と、アメリカ人の平べったい返事があって、浅漬けは口の中に放り込まれた。

「ンー、ショッパイ。でもオイシ」

 アメリカ人はビーフパティの間にキャベツの浅漬けを挟み入れ、口を開けた。カバがキャベツを丸ごと食す時のように大きく開き、閉じた。もぐもぐ咀嚼した。ごくんと飲み込んだ。

「ンー、ハゴタエ、グッド! ケチャップとゼンゼンアワナイケド!」

 そう言われながらハンバーガーは完食された。キャベツの浅漬けが「ざまあみろ」とアメリカ人の胃の中から言っているような気がした。

 そしてミーは捨てられた。ミーはピクルスである?
 今やミーは生ごみである。
 しかし、蛆虫たちに体を這われながら、ミーは至高の幸福をじわじわと感じている。
 

ビーチフラッグ

 太陽に焼ける砂が熱い。顎、胸、腹、太もも、脚がひりひりとして、わたしたちが焼肉なら早く裏返さないと焦げ付いて食べられなくなってしまう。

奈美 「ねぇ、美人だって苦労するわ」
アユミ「友達が言ってた。言い寄ってくる男たちのほとんどが中身を見てくれないって」
わたし 「馬鹿言わないでよ。女の不美人ほど不幸なことはない」
奈美 「いや、ちょっと可愛い女が一番可哀相よ。諦めがつかないから」
アユミ「確かに。可愛い綺麗と褒められて、調子に乗ってアイドルなんか目指しちゃったりして」
奈美 「三十過ぎて自尊心だけが肥大して結局売れ残っちゃったりしてね」
わたし 「そうかなぁ」
奈美 「私はね、ハンデが欲しい。人生のハンディキャップ」
アユミ「どしてよ?」
奈美 「ちやほやされてるとハングリー精神を持てない。ほら、ヤワラちゃんとかさ。ブサイクだけどメダル取ったし、有名になってからグラビアだって出した」
わたし 「へえ。でもそれって売れたの?」
 
 競泳用の水着を履いた男がホイッスルを手に取ると、全員が黙った。男が3,2,1と数えて笛を吹く前に、右端にいる奈美が立ち上がった。行く先は完全に左方向。

「くそぼけ!」とその隣のアユミが奈美の左足を引っ張り、二人はスタートラインで喧嘩している。男はそれに構わず笛を吹いた。
 
 わたしは両腕で地面を突いて、勢いで真っ直ぐ走る。メロスの如く走る。でも、白線より先の砂浜は新雪のように柔らかく、まるで絹豆腐の上を走っている感覚だ。
 
 右足、左足、と交互に出して砂を踏む。後ろからはキィキィと争いの声がする。
 
 よし、わたしの勝ち。楽勝。と傲慢なウサギみたいに気を緩めてしまい、前のめりに倒れてしまった。ズボボと体が沈む。
 
 後ろから二人の甲高い声が飛び交っている。あいつらもこの砂浜の餌食になっているのだろう。わたしは溺れた猫のように足掻いて、なんとか体勢を直した。
 
 二人の声がどんどん大きくなっているので、ふと振り返った。なんと二人はコースを外れて走っていた。美人苦労説を唱えた奈美の方がリードしている。アユミもアユミで叫びながらも規則正しい走り方を崩さない。
 
 奈美が〝美人〟と書かれたフラッグに飛び込んだ。
 
 アユミは息を切らしながら「畜生!」と叫び、走るのを止めて〝ちょっと美人〟のフラッグをゆっくりと掴み取った。
 
 わたしはコースのど真ん中で唖然として二人の顔を見た。どちらも同じくらい満足気だった。
 
 コースを外れて、わたしも固い砂浜に上陸した。地面はちゃんと固いのに足がやけに重い。まるで地球の全ての引力がわたしの両足に集中しているみたいだ。
 
 二人が「頑張れー」なんてほざいた。
 
 わたしは足を止め、〝ブス〟のフラッグを見つめる。そしてコースの中に頭から飛び込んだ。身体がずぶずぶと沈んでいく。目を瞑って「どの人生も辛い。どの人生も辛い」とお経のように唱えながら、わたしは柔らかい砂の中に包まれていった。