整形外科医療において心身医学を実践してます。
運動器系心身医学を行うのに次の3つのことを常に意識しています。
ひとつ目は “人間は了解不可能な存在であると認識し続ける”こと、
二つ目は “自身の治療的自我を成長させ続ける”こと、
三つ目は “知識や技術は極め続けるが、こだわらない”ことです。
変わらない内部モデル
菊地先生の“名医に学ぶ腰痛診療のコツ”を眺めていました。
以下‥
腰痛の病態を生物・心理・社会的疼痛症候群として把握しようとするときに、身体的評価は従来の方法でできます。
‥
心理的側面からの評価で簡便は方法がありません。‥私は、入院患者さんに対しては、すべての患者さんに精神医学的評価の手段としてBS-POPを使っています。
‥
BS-POPの利用は、精神科を紹介するきっかけにもなります。
‥
睡眠障害がある場合には、睡眠障害の専門家は精神科であることを理由にすると比較的スムーズに精神科につなぐことができます。
‥
完全な心身2元論的思考です。
整形外科医が心身医学を導入する際に大きな壁にとなるのは、
積み重ねた思考(内部モデル)、経験、社会的地位による自我の支えを一旦リセットして
研修医のときのような、いや医学教育を受ける前の高校生のときのような
新しいフォーマットで心身医学を理解しようとしないことです。
そのままの内部モデルで、身体・心理・社会医療モデルを理解しようとしても
上記のような、心身2元論的解釈となり、せっかくの医療モデルが生かされず
治療効果もあがらないでしょう。
身体的評価のうち整形外科的評価はあくまでも筋骨格系医療モデルからみた器質的要因を
あらわしているに過ぎず、機能的病態である血行動態不良症候群(低血圧、起立性調節障害、
体位性頻拍、血液のレオロジーなど)や、機能性低血糖などの生体のホメオスタシス(神経系、
内分泌系、免疫系、筋骨格系、酸化ストレス防御系)に影響する重要なファクターを
考慮に入れていません。
極めてもこだわらないことはやはり重要です。
傷つき易さの壁
整形外科の2つの地方会で発表しました。
ことしから、心身医学会や東洋医学会ではなく、主に整形外科学会で発表することに決めました。
学会での質問者や座長の反応の共通点はインスタントに理解できるマニュアル的なもの(ガイドライン)を求めること(ドグマ主義)そして、分からないことに対する敬謙さの無い(未熟な自我)ことでした。
私から見ると、教授もベテランも心身医学に関しては研修医以下の理解と技術です。
整形外科の研修医の頃には、先輩たちからしかられながら、失敗しながら
それでも、謙虚に新しい知識や技術を学んだのではないでしょうか。
何が邪魔しているのでしょうか。
人間は永遠の了解不能な存在です。
了解不能だと分かりながら、永遠と分かろうとする努力を続けることが臨床だと思います。
それには、自分の感情や思考回路に常に目を向けていなければなりません。
そして、その内部モデルの修正が引き起こす混乱を抑えるために、人間は信仰(哲学、生命倫理、人生観、世界観、伝統的な精神文化、宗教、先人からのいい伝えなど)という内部を支える文化があります。
医師をはじめとする医療者は概して、大きな傷つきやすい自我を持っているようです。
些細なことで怒ったり、子供運動クラブの先輩的に威張ったり、他の価値観を受け入れる懐の深さがなかたり、徒党を組んだり‥。
自我のほとんどを低次元の欲求レベルである社会的欲求を満たすことで支えています。
とても脆い支えです。
才能のある医療者が能力の違いを理解されず、小さな存在に押し込めるような卑屈な医療社会への過剰適応を強いられている場面に遭遇します。
聖職といわれる職業に従事していながら、自分のみで自分を支える確固たる医療哲学と行動の基準を持ち、それでいて人々を包み込むような人徳を持った医療者になかなか会えないことは寂しいことです。
ラプラスの悪魔
時間の連続性:
現代人の公式上の共通了解においては、時間は数直線すなわち実数の連続体と同一視されている。
‥
もし時間がそのようなものなら、時計が正しく動いてさえいれば、たとえば24時間後には時計は正確に同じ時刻を示しているはずである(もちろん相対論的効果は無視してのこと)。
すると、機械論的世界観はその直接的帰結として正確な予測可能性を内包することになる。未来は一意的に決定されているのだから、その予測は少なくとも原理的には可能なはずだ。そして、科学の発展によってその予測はより正確に、またもっと未来まで延長されていくだろう。
‥‥これは予言や予測をはるかにこえて、定められた運命の神託というべき事態だ。
ラプラスの悪魔:
この神託の含意を極限まで戯画化して見せたのが、ピエール・シモンド・ド・ラプラスがその著「確率についての哲学的試論」の中で述べた思考実験に由来する、有名な「ラプラスの悪魔」である。
しかし、この思考実験が書きとめられた書物の表題からわかるように、実際はそのような完全なる知能は人間には与えられていないこと、したがって現実には正確な予測が不可能な残りの現象に関しては確率論的な考察が必要であることを主張することにラプラスの本意はあった。
‥‥それは、見方を変えれば、機械論的世界観の新たな拡張でもあった。すなわち、ただひとつの目的のために部分全体が機能する機械ではなく、個々に独立した部品の寄せ集めそれ自体がデタラメさを生成するという機械だ。
‥‥一つ注意しておきたいのは、確率論が対象にしたランダムネス(デタラメさ)は、当初から複雑性を排除したところに成立したということだ。確率論では、対象間の相互作用を基本的には捨象する。
吉永良正著 「複雑系」とは何か 講談社現代新書
つまり、人体で言えば、メカニズムで考えた人間観では無理があるので、ランダム(デタラメさ)な部分は統計的に理解しよう。と言うことかな。
ただし、因子の相互作用は無視して。
時計仕掛けの自然
古典力学の決定論を導いているのは、運動方程式という名の仕掛け(メカネー)である。仕掛けをもつものはメカニックと呼ばれ、現象がメカニックによって推移すると見る立場はメカニズム、すなわち機械論と呼ばれる。
17世紀当時、もっとも精巧な機械といえば、時計であった。振り子時計の精密さは、時間という目に見えない、捉えどころの無いものを、目に見える正確な数値に変換した。かくて時計は、目に見えない世界の真理を調整するメタファー(暗喩)となった。
世界のメタファーということは、その世界に含まれる生きものや人間社会のメタファーであることも意味する。ウィリアム・ハーベイの血液循環説と心臓ポンプ説は、動物の体がどのような仕組みで正確に脈を刻むかを立証した。
それはまさに動物が時計のような機械であることのひとつの明快な証左と、当時の人々には受け取られたことだろう。
吉永良正著 「複雑系」とはなにか 講談社現代新書
★整形外科や運動器リハビリテーションの思考はまさに、時計仕掛けの人間観です。
さらに‥
機械論に決定的に欠けているには<多>を<多>のままで見ようとする。言い換えれば<多対多>の関係を重視しようとする態度ではなかったか。
そして精神史的には西欧近世の直系の末裔である現代の世界も、同じ欠陥を抱え込んだままでいる。
吉永良正著 「複雑系」とはなにか 講談社現代新書
★医療において、多因子の複雑な絡み合いで成り立っている、人体に対して、現代医療の多くは、いまだに機械論的人間観を引きずっているようです。
疾走する近代科学
17世紀から回転を始めた近代科学は、いまや典型的には古典力学の決定論と統計力学の確率論を両輪に持つ、強力で巨大なランドクルーザーと化し、所狭しと疾走を始めた。このクルマでいけない場所はないように思え、人々はもっと遠くへ、もっと遠くへとアクセルを踏み続けた。
だが、よくよく見てみると、このクルマはあらかじめ造られていた道路の上しか走っていなかったのだ。
路傍の石も、野原の花々も、小池のさざ波やカワズの鳴き声も、このクルマで走り続けているかぎり、人々の視界に入ることはなかった。
‥‥
吉永良正著 「複雑系」とは何か 講談社現代新書
私は医療の現場や学会活動において、いつも疑問に思っていました。
分析的研究により得られた結果により造られた薬剤や人体に作用するメカニズム、究明された疾病の病態生理が絶対のものだったら、なぜ統計学的手法で効果を確認するのだろう。
このことにどうして疑問がわかないのだろう。俺がおかしい?
私はこのランドクルーザーに乗り遅れて、自転車でふらふらと道を外しながら、医療の世界を渡っていたんだと思います。
