webぼぼぼーぼぼーぼぼ -2ページ目

さっき書いたんだけどな。。。消えちゃったい。f

ちーす。


マリオ兄さん、ブログのあれを変えておいたよ。わかるだろ?あれだよ。


そのほうが何かと書きやすいしな。


ふふふ。



ぼぼぼーぼぼーぼぼ

Cook Do Do!! 2

 やっぱりニワトリが欲しいと思う。

 そもそものきっかけはリキさんの話を聞いたことだった。リキさんはもう長いこと、15年くらいにわたって中央アジアのある国へ足を運んでいる。いつも、そこで遊牧民に混じって生活した話をしてくれる。僕がショックを受けたのは羊を屠った話だった。まず数人で羊の四肢を押さえるのだという。不穏な空気を感じて羊の方は必死で暴れるから、こちらも命がけだ。そうしておいてから、羊の腹を切り裂き、手を入れる。まさぐって心臓を見つけ、その脇にある動脈を指で挟んでプツリと断ち切る。こうすると羊は苦しむことなくすぐに死んでしまうのだそうだ。

 初めはできなかった。とリキさんは言う。でも、誰かがそれをやらないと、晩御飯に食べる肉がないのだ。

 そこのとこの事情は日本でもまったく変わらない。僕がこよなく愛するポークカレーでも牛丼でもチキンライスでも、誰かがやらないと食べることなんてかなうはずはないんだ。

 だけど、日本に暮らしていてそんなこと、ほとんど意識したことはない。スーパへ行けば肉が並んでいる。店先に並べられたパッケージと、その肉の由来、かつてそれが立って歩いていた姿を想像することなんてまずない。気にするのはパッケージに貼ってある値段と産地、それから美味そうに見えるかどうかくらいなものだ。逆に、牧場で牛を見かけたって、それを「美味そうだ」と思って眺めたりはしない。結局のところ、牛とビーフ、豚とポーク、鶏とチキンはどれもかけ離れている。

 いや、幼い頃はまだ違った。食事中に「牛さんが可愛そうだよ」と言ってみたりしたもんだ。母親は決まって「美味しく食べてもらって牛さんも喜んでいるよ」とか言った。そんなわけはない。

 リキさんの話を聞いて、いつの間にか隅のほうへ追いやったいた疑問を、今度は僕自身に突きつけられたような気分になった。そして何よりも、牛とビーフの乖離を気持ちが悪いと思った。

 生活は、厭なものは見なくて済むようなラップでくるまれているんだ。それを剥ぎ取りたい。その真ん中にあるものを自分の目で見ていたい。そうやって生きているんだって実感を手で掴みたい。今、僕にはそれが必要に思える。だからニワトリが欲しいと思う。

Cook Do Do!! 1

 ニワトリが欲しいと思っている。あれだ、頭の上に不細工なビラビラを載せて、「ウォホウォホ」言いながら歩くやつだ。渋谷の駅前にでもいけば、それはもう厭になるほど鳩が目に付くけど、空気を入れて2倍に膨らませたらニワトリになると思う。

 ニワトリなんてどこにでもいそうだし、いくらでも見たことがあるような気がする。だけど、いざ探し出すと中々見つからない。これには少し驚いた。「ニワトリ」の語を聴けばその姿をハッキリと思い浮かべることができるし、卓上にはニワトリを模した貯金箱が置いてある。それに何より、実際にこの手で触れたことだってあるのに(小学校の頃だけど)。それなのに、本物のニワトリはもう永いこと僕の生活に姿を現してはいなかったのだ。


 何故ニワトリを欲しいなんて言い出したのか、告白しなくてはならない。いや、告白というほど大げさな理由なんてない。何かペットを飼って愚痴を聞いてもらう相手を作ろうとか、荒ぶる生命の姿をカンバスいっぱいにぶつけてやろうとかそんな理由じゃない。ましてや、イジリー岡田が着ぐるみに入っている姿を思い出したからなんかでは絶対ない。何かって言うと、自分がここで生きているっていう感覚、要はリアリティが欲しいんだ。そいつを自分の手でしっかりと握っていたいんだ。さも理由ありげにせず、正直に告白しよう、ニワトリが食べたいんだ。スーパーに並んでいる鶏肉を買わずに、自分の手で締めた鶏を食べてみたいんだ。もちろん、何か後ろめたいものは感じている。これだけ理屈を並べずにいられないのはそのせいだ。

 そんな心持ちでニワトリを探した。身の回りの生活空間には見つからなかったから、ここぞとばかりにググッてみる。検索結果には少なからず凹まされた。
 「にわとりのコッコちゃん」:かわいいアクセサリがこれでもかと。
 「動物コスチューム」:パーティには欠かせないアイテムグッズが。
 「にわとりアイコン集」:Webデザインにも欠かせないようです。
 「にわとりは一日にどれくらいの卵を産むの?」:日ごろ食べている卵がどうやって食卓に上っているのかを明らかにしようという教育配慮。

 どこにも「ニワトリを喰ってやろう」という記事が見当たらない。果てには「川崎市動物愛護センター」。僕の心がどれだけ醜いか、荒んでいるのか、見せ付けられたような気分になった。