タロットが当たるとか、当たらないとか、
そもそもタロットは当たる当たらないではないとか、
巷では色々言われております。
私自身、当たることもあれば、外れることもある、
と思っています。
タロットで当たるときと外れるときがある原因は、
読み手側のリーディング能力が今ひとつの場合と、
”未来は完全に決まっているわけではない”
ということは、すぐに思いつきます。
これは、至極一般的な考えです。
ただ、その他に、
占われる側の状態も関係するのではないか、
と思うようになりました。
なぜかというと、明らかにその方の願望が結果に現れることがありまして。
その際は読み手として、出た結果をお伝えするのですが、
違和感を感じることがあり。
なので、このような現象に関してずっと疑問に思っていましたが、ようやく考えがまとまってきました。
タロットを使うと、潜在意識とか意識領域、
いわゆる目に見えない部分にアクセスすることになります。
というか、占い自体、命術であろうが、卜術や相術であろうが、
そういった側面を持っていると考えています。
だから、”占う”ということは、他人(相談者の方)の潜在意識や意識領域を触る、
ということになります。
一方、”占ってもらう”ということは、
自分の潜在意識や意識領域を他人(占い師)に触られる、
ということに。
ですので、占われた側(相談者の方)は、占いの結果が情報として自分の意識領域に入ります。
良い結果にしろ、悪い結果にしろ。
五感からも、エネルギー的にも。
それは、心身ともにある程度健康なときであれば、
占いの結果がどうであれ、それほど意識領域におかしな影響を与えないだろう、と思います。
占いという異物が意識領域から自然に淘汰されるか馴染んでいくでしょう。
だけど、例えば、
占いの結果が気に入らなくてとか、望む占いの結果を得たくてとか、もしくは、現実が受け入れられず占いに縋りついてしまって、
短期間に何度何度何度何度も占いに通ってしまうと、
願望とか欲望、思いが、強調され増幅され、
意識領域がその願望や欲望、思いでいっぱいになってしまいます。
そしてそれは、とても明確で強力な想念となって、
意識領域上に出来上がる。
それは、わかりやすく言えば”妄想”なのですが、
短期間に占いを重ねることで、
どんどんその妄想にエネルギーを吹き込むことになり、
その度にどんどん生き生きとした”想念”が育っていきます。
エネルギー的に弱っているときは尚更です。
そしてその想念が、本人の中では”現実”であるかのように認識され、意識領域内に”現実”として存在することになります。
その想念は、実際の現実と乖離しているわけですが。
そして、タロットは前述した通り意識領域に触れるものなので、
現実とは乖離している現実であるかのような”想念”の方を読み取ってしまい、”外れる”ことが生じるのではないかと。
これ、例えば、自分だけの問題ならば、
反対に、このような占いの作用を使えるかもしれませんね。
良い結果を求めて重ねて、自分自身に暗示を掛けるという。
潜在意識から変えることで現実を変える、
ということが少し前にもて囃されていたと思いますし。
(今も、なのかな?)
でも、相手がいる場合。
恋愛だったり、人間関係だったり、
仕事でも、他人の動きが大きく関わるときは話が別です。
なぜかというと、
相手は占われることの作用を”異物感”や”違和感”として、
無意識的に察知します。
”意識領域”を触られるわけですから。
一度や二度ならまだしも回数が多くなると、
勝手に”見られていること”を無意識的に察知して拒絶する、
というか。
なので、占えば占うほど拒絶されてしまう、
ということもあると思いますよ。
この辺りは、いろいろ思うところはあるのですがまた別途。
話を戻すと、占いで出来上がった想念と現実がほぼ一致していることもありますし、想念が強くてもタロットで現実を拾うときもあります。
ですので、この私の推察も一概には言えないところもあって。
程度が曖昧というか。
また、占う側の力量として、
強い想念を除けて現実を読み取れたらいいのに、
とは思うのですが・・
占いで、強い想念を作らないでいただいた方が良くて。
だって、その想念を破って現実を読み取っても、
気に入らなければ受け入れて貰えないだろうな、
ということが想像できますし。
ちなみに私の考える占いのタームですが、
2〜3ヶ月とか、半年とか、1年とかお答えしています。
実際のところ扱う内容によりますが、占ったことで行動を起こして、その結果が出てからまた占うのでいいかと。
なので、迷ったら、悩んだら、不安になったら、すぐ占いに走る、という方。
かつ、タロットで何でもわかるし当たる!世界一!
と思っている方。
タロットは見えない世界を扱うものなので、
いろいろな価値観の中でのひとつの視点、
としてお付き合いいただければ、と思います。