生きる気力がなくなってしまった人に対して、
できることなんてあるのか、
といくら考えても答えは出てこなかった。
でも、何もできないから何もしないんじゃなくて、
何もできないけれど、会ってみようか、話してみようか、
伝わるかわからないけれど・・
という結論に。
そんな自分の思いや行動によって、何かが動いたりする。
そう実感した11月末。
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この「生きる気力がなくなってしまった人」というのは、
私の父親のこと。
父はもう79歳。
病気もあるし、肉体的にも衰えているし、
生命体としては弱っている。
そんな状況下においての父の絶望感。
だから、Swords10。
だから、Swords10。
私の、でもあるけれど。
どうやったら、父のこのSwords10を払拭できるだろうか・・
と真剣に考えた。
払拭できないのであれば、生に対する救いなんてないことになってしまう、
と思ったから。
でも、いくら考えても答えは見つからず。
慰めの言葉なんて虚しいだけだし、
未来を提示することもできないし。
それに、言葉がきちんと伝わるのかさえもわからない。
私を自分の娘と認識するかもわからない状況下。
なので、私はもうごちゃごちゃ考えることをやめて、
ただ顔を見に行って、普通に話掛けることにした。
でもそれは、ただの自己満足。
わかっている。
わかった上で、
私は父に向かってただひたすら喋った。
90分も。
だから、Cups10。
剣の痛みを水で和らげる、そんな意味。