おはようございます。
和的な国際人の母、紅翠でございます。
今、読み返しております本の一節に、
「心静かに花をほめ、花入れをほむるなり」
とあります。
利休さまの言葉です。
ともすれば、
道具である花入れに、心が囚われ主になり、
本来主である花が従になることを戒めています。
深い教えやと思います。
少し違うかも知れませんが、
私自身に置き換えましても、
着ているもの、持っているものをほめて頂きますより、
シワも白髪もある私でも、
「あなたのそこが好きよ」の言葉が嬉しいものです。
・・ということは、
自分自身を高め続ける努力を
怠ってはけないということでもあります。
そして・・
人と出会ったとき、
花入れである身に着けているものに
目を奪われていないかしら・・ と自問
茶花は、可憐で、時に凛として、
ただ静かに咲いて私の目と心に染み入ります。
茶花の様に、
ひそやかに可憐で、
凛とした私で居たいと思うのです。
日々の暮らしでは、
花入れである、着るものは、
身だしなみとして、
また「私」を表現するとても大切なものです。
けれど、あくまでも、
主は「私」、従は「私を包むもの」
主は「貴方」、従は「貴方を包むもの」
「私」自身を高め、
「私を包むもの」を整えねば・・・と
「心静かに花をほめ、花入れをほむるなり」
の教えから、考えたのでした。
海外へ行く時期が決まったら、
和のレッスン の始め時です!