私は5年前に、肝臓末期ガンに病となった夫(佐藤剛)と一緒に、夫の父親(佐藤正美:大正14年10月20日)と義母(佐藤美代子:昭和5年6月28日)が住む岡山に帰省して、暮らすことになりました(岡山市南区泉田359-10)。
父親:義父ですが、幾人もの愛人と暮らしてきた方で、老人会の会長の安岡さんは「女千人切り(1000人の女とセックス)」と申していました。息子(私の夫:剛)の母親が入院した時も愛人べったりで、剛さんだけが母親を看取ったそうです。
義母:美代子は、妻子ある男性と駆け落ち婚の名士で、近所に住む幼なじみの西岡さん(080-1910-9965)が「男を手玉にとる世界一の女」と賞していました。
私達夫婦は、この義父母から、いじめを受け監禁状態で暮らしていました。
私は、毎日、様々なことで難癖をつけられ、土下座の毎日、髪の毛は全て抜け、食べることが出来なくなり15kg痩せました。
義母の衣装部屋が8畳・6畳・6畳の3部屋、義父母のベットルーム30畳は物置で、私達夫婦は6畳の部屋で、夫のベットを置くと、私は寝る場所がなく、廊下で寝ていました。
私は、板の間で寝る癖がつき、今でも布団無しで寝ています。床には全面にヨガマットを敷いています。
さて、義父母はディサービス(かおる:(岡山市南区万倍155ー1:086-242-2802)に通っており、月曜日は美代子、水曜日は正美、土曜日は2人一緒となっていました。
毎週水曜日の朝、義父がディサービスの送迎車で出ていくと、義母:美代子は身支度をし始め、化粧・お洋服、そして、宝石箱からキンキラのきらびやかなアクセサリーを取り出し、ネックレスと大小の指輪2個、イヤリングをして、出かけていました。
私が「何処へお出かけしていましたか?」とさらりと尋ねると・・・
姑は「あんたには関係ないやろ」です。
私が出かけるときは、いつも、何処へ、何時に帰ると言って出かけるのですが、私には姑の行方は、ごもっともの通り、関係ないでしょうね。
姑は私が居ないと、料理・掃除・通院が出来ないため、私が必要ですが、
私は姑に何もしてもらっていないので、姑は必要ありませんので。
誰と出かけているのか、そーとのぞき見
迎えに来る車はTOYOTAサーフの黒とサングラスの男
一体何者なのか・・・
妻子ある男性とセックス三昧で暮らしてきた姑、この謎男は何なのか。
一度、水曜日に、この謎男が来ない日があり、姑が警察署まで送って欲しいと頼まれた事がありました。
送りはしたものの、帰りはTOYOTAサーフでお帰りなさいでした。
そして、姑から1800万円の使い込みが判明したのは、姑が亡くなってからでした(令和3年5月1日)。
1800万円で謎男と遊んでいたのか、
TOYOTAサーフの黒とサングラスの謎男、未だに謎は謎のママです。
友人にこの話をラインですると
女はまだらボケになるのが、男性の数倍早く、ボケになると、「性欲」と「金欲」が顕著に現れるそうです。
まだらボケの姑、1800万円の使い込みはボケていたのでしょうか。
謎は謎を呼び、謎はまだらに惚けていきそうです。