私は5年前に、肝臓末期ガンに病となった夫(佐藤剛)と一緒に、夫の父親(佐藤正美:大正14年10月20日)と義母(佐藤美代子:昭和5年6月28日)が住む岡山に帰省して、暮らすことになりました(岡山市南区泉田359-10)。

 

父親:義父ですが、幾人もの愛人と暮らしてきた方で、老人会の会長の安岡さんは「女千人切り(1000人の女とセックス)」と申していました。息子(私の夫:剛)の母親が入院した時も愛人べったりで、剛さんだけが母親を看取ったそうです。

 

義母:美代子は、妻子ある男性と駆け落ち婚の名士で、近所に住む幼なじみの西岡さん(080-1910-9965)が「男を手玉にとる世界一の女」と賞していました。

 

私達夫婦は、この義父母から、いじめを受け監禁状態で暮らしていました。

 

私は、毎日、様々なことで難癖をつけられ、土下座の毎日、髪の毛は全て抜け、食べることが出来なくなり15kg痩せました。

 

義母の衣装部屋が8畳・6畳・6畳の3部屋、義父母のベットルーム30畳は物置で、私達夫婦は6畳の部屋で、夫のベットを置くと、私は寝る場所がなく、廊下で寝ていました。

 

私は、板の間で寝る癖がつき、今でも布団無しで寝ています。床には全面にヨガマットを敷いています。

 

 

さて、義父母はディサービス(かおる:(岡山市南区万倍155ー1:086-242-2802)に通っており、月曜日は美代子、水曜日は正美、土曜日は2人一緒となっていました。

 

毎週水曜日の朝、義父がディサービスの送迎車で出ていくと、義母:美代子は身支度をし始め、化粧・お洋服、そして、宝石箱からキンキラのきらびやかなアクセサリーを取り出し、ネックレスと大小の指輪2個、イヤリングをして、出かけていました。

 

私が「何処へお出かけしていましたか?」とさらりと尋ねると・・・

 

姑は「あんたには関係ないやろ」です。

 

私が出かけるときは、いつも、何処へ、何時に帰ると言って出かけるのですが、私には姑の行方は、ごもっともの通り、関係ないでしょうね。

 

姑は私が居ないと、料理・掃除・通院が出来ないため、私が必要ですが、

私は姑に何もしてもらっていないので、姑は必要ありませんので。

 

誰と出かけているのか、そーとのぞき見

 

迎えに来る車はTOYOTAサーフの黒とサングラスの男

 

一体何者なのか・・・

 

妻子ある男性とセックス三昧で暮らしてきた姑、この謎男は何なのか。

 

一度、水曜日に、この謎男が来ない日があり、姑が警察署まで送って欲しいと頼まれた事がありました。

送りはしたものの、帰りはTOYOTAサーフでお帰りなさいでした。

 

そして、姑から1800万円の使い込みが判明したのは、姑が亡くなってからでした(令和3年5月1日)。

 

1800万円で謎男と遊んでいたのか、

TOYOTAサーフの黒とサングラスの謎男、未だに謎は謎のママです。

 

友人にこの話をラインですると

女はまだらボケになるのが、男性の数倍早く、ボケになると、「性欲」と「金欲」が顕著に現れるそうです。

まだらボケの姑、1800万円の使い込みはボケていたのでしょうか。

 

謎は謎を呼び、謎はまだらに惚けていきそうです。

 

 

 

最愛なる夫が末期肝臓がんで10月に亡くなり、私は義父母から相続放棄の申込書を書かされて追放、家を追い出され、独り小さなアパート暮らしとなりました。

 

そして、5月に義母が亡くなったと親戚から携帯に電話が入り、同じく義父の行方については、親戚が私に伝えようとせず、6月に警察に捜索依頼もしましたが、警察にまで親戚の手配がされ、警察官から「義父は元気でいるが、君には教えられない」で終わりました。

 

完璧に私は佐藤家から流刑された身になりました。

 

 

 

7月に入り、佐藤家の自宅は誰も住まず、空っぽ・・・

義父が好きなように乱雑に植えた庭木には夏害虫がはびこり、雑草が生い茂るようになりました。

 

警察から、自宅までお願いしますと、電話があり、出かけました。

 

警官と近所の方が集まり、庭木に虫がはびこり、庭には泥水が貯まり、害虫が沸き放題でした。

衛生的に悪いので、貯まり汚水を除去、雑草や隣家に伸びた木の伐採など、注意されました。

 

毎年、近所から、庭木が伸びて虫がたくさん沸き、「うちの家にお宅の虫が入ってくる」云々の苦情が寄せられていました。

どこの虫か、分かるのでしょうか?

それ程、虫の居所が悪いのでしょうね・・・、

佐藤家(義父母)は、近所から苦情ばかりで、嫌われ者だったようです。

 

義父70才(佐藤正美)、義母65才(佐藤美代子)、愛人と暮らし果てた義父、妻子ある夫と駆け落ち婚を繰り返した義母、最後に夫婦となって喜んで、新築の家を建て、家のローンは息子の私の夫(佐藤剛)に払わせて、25年間、のうのうと暮らしてきた義父母でした。

 

近所の老人会会長の安岡さんは、義父の事を「女千人切り(1000人の女とセックスをする意味」と言っていました。

また、義母と幼なじみの近所の西岡のおばちゃん(080-1910-9965)は、義母のことを「男を手玉に取るのは世界一」と口癖のように申し出ていました。

 

さあ、庭木を伐採しようにも、チェーンソーやのこぎりは自宅内にありますが、

私は義父母に追い出されたため、家の鍵を持っていません。

 

ドウシヨウニモ無く、結局は近所の水道などの工事をしてくれる至道工業に(700-0945岡山市南区新保683-15TEL086-241-3308)お願いしました。

 

請求書が届き、庭木伐採2万円、汚水工事6.6万円・・・

 

家を追い出されても、至らぬ出費が続きます。

頭上からは、浜田省吾のMONEY(マネー)1984年10月21日のポップが流れています。

 

私の怒りは意気消沈していきます。

 



 



 

 

 

 

 
 

私は肝臓末期ガンで2020年10月29日にこの世を去りました。

 

私の父親と再婚の義理の母親は私が建てた家(岡山市南区泉田359-10)に住んでおり、そして最愛なる妻は義父母に相続放棄を言い渡され、家から追い出されて岡山市北区に築40年のアパートにひっそりと暮らしています。

 

私達夫婦は、私がガンとなり、余命5年、大阪から私の実家に帰ってきました。親子4人暮らし、世代間の相違があったのでしょうか、私達夫婦は、父と義母からいじめを受け、監禁状態の暮らしでした。

 

妻は、土下座の毎日で、食べることが出来なくなり、53kgの体重が38kgになり15kg痩せ、髪の毛が抜けて坊主になりました。

私は変わり果てる妻に、「前と全然変わってないよ」と言っていたのですが、私もガンでしんどく、妻に対して、じっくりと話を聞いてやったり、慰めたり、父義母へ抵抗したりが出来なかったのが悔やまれます。

 

余命5年で私が亡くなってから、父義母への郵便物やカタルグ販売冊子が毎日のように届き、妻が出て行ってからはポストに入りきらず、玄関に置き去りで、台風に飛ばされ、道路に散らばる等苦情も出ていました。

 

また、義母が猫12匹を飼っていたので、私が亡くなり、義母も亡くなり、父は入院で植物人間のように点滴で延命治療がされ、誰も住まない家に猫は鳴き暴れ、近所から警察へ通報もありました。

 

以前から、猫が「うちの車の上に乗って寝ている」「うちの家の庭にうんこをする」とか、苦情も出ており、父義母は近所から嫌われていました。

 

今日は、妻が家を追い出されて逃げ込んだアパートに、佐藤正美宛の不動産業者からの手紙が来ていました。

郵便物住所変更をしておいたので、佐藤家の家に届く郵便物は、妻の方に届くようにしてありました。

 

義母が購入するカタログ販売冊子は1ヶ月に30冊もあり、三越、高島屋、大丸など百貨店から、テレビショッピングのジャパネットたかた、セシールやベルーナ、卵黄の素、漢方薬、高麗人参と様々で、妻は一つ一つ、電話で、カタログ郵送のお断りをしていました。

 

義母は、カタログを見ながら、あれもこれも買うのが楽しみだったのです。

 

父は月23万(保険や介護を天引きして残金)の厚生年金と月約8万の企業年金を満額もらっていました。一世代若い80代では、年金は80%に減額、順次減額で70%、私は60%で月12万でした。義母は4回結婚した女性で、夫の扶養でした、月約8万の年金でした。

 

父義母の年金で月39万円、また、私が最初に建てた家を友人佐伯氏に貸しており、その家賃収入も、義母が私:剛(実際は私の前の妻に渡す事に契約していました)に渡すから預かっておくと言って受け取っていましたが、これが月5万円。

義母は私には一銭も渡さず、約1800万円あり、義母は使い込んで、これが後の相続で大問題になりました。

 

私と義母は、全くの赤の他人なので、私はこの預かり金を私の息子に相続で貰うように生前から言っていたので、手続きを進めたところ、使い込みが発覚です。

 

つまり父義母は月44万で暮らしていたのです。これは老夫婦にしては大金です。今の若世代家族4人で暮らしても妻がパートでも、月40万が普通でしょう。

父義母の年金掛け金は月2000円の掛け金でしたから、大きなリターンです。

 

 

 

話は戻して、妻の元へ届いたのはタカセ不動産株式会社からの手紙でした。

私が肝臓末期ガンで亡くなり、義母が亡くなり、父は植物人間で入院、妻は私が亡くなった時に義父母から追い出され、我が家には住む者がおらず、闇夜見の状態でした。草ボウボウ、カタログ販売冊子は散らばり、そこへ家を探している方が見たのでしょう。不動産会社に頼んで調べてもらうことに。

 

探していた方は近所の業者のようです。外国人労働者の入国が多く、行政からも外国人労働者を雇うと補助や特典があり、業者にとっては外国人労働者の社宅として一石二鳥でした。業者は、この外国人労働者が共同生活できる家を探していたようです。

 

我が家は2戸の家が同敷地内にあり、2戸ともキッチン、風呂、トイレ備わっています。1戸は12畳のキッチン、6畳4部屋。もう1戸は、父義母が70歳と65歳で再婚ほやほやで、家を新築したくて、設計してもらい、父では高齢のため住宅ローン審査が通らず、大阪に居る私に、絶対に迷惑はかけないと言って、私の名義で住宅ローンを組み、結局は私が月15万円を払っていました。1階は20畳ダイニングキッチン、10畳8畳、2階は30畳のベットルーム、6畳が3部屋。

充分に外国人労働者が何人も住めそうです。

 

これから、私から妻へ名義変更、そして、家の荷物の片付けと産廃、不動産業者への依頼、長い迷路のような手続きが待っているようです。

 

 

 
 

私:佐藤剛は2015年4月に、肝臓末期がんが判明し、余命5年、妻:美里と共に、私の実家である岡山市南区泉田359-10で、父親:佐藤正美と3人目の妻:佐藤美代子と同居することになりました。

 

家は私が建てたというか、父義母が70歳と65歳で再婚ほやほやで新築し、父の年齢では住宅ローンが通らず、私の名義にしてくれと、迷惑はかけないと言って、私名義の家となりました。結局、住宅ローンは私が月15万円払い、私はそれまでに1件の家を建てていたので、2件目の家になります。1件目は直ぐ隣で、友人の佐伯さんに貸しています。

 

私と妻は、父親である佐藤正美、義母の佐藤美代子から、5年間にわたるいじめを受け、私は2020年10月30日に亡くなりました。そして、義母の美代子は2021年5月1日に亡くなり、父は入院となりました。

 

父:佐藤正美は大正14年10月20日生まれで、3回結婚しています。私は1番目の妻:佐藤苗子の子供です。

私が中学生の時に母親が病に伏せ、父の佐藤正美は愛人と暮らしており、父は妻(私の母親)を病院にも連れていかず、結局は私が母親の面倒を見て、そのまま亡くなりました。

私は、「母親はおやじに殺されたものだ」と。佐藤正美は殺人犯だと、言えます。

 

父:佐藤正美の2番目の妻は、愛人であった方:佐藤民子でした。腹違いの子供がいるようで、高知に住んでいます。時々、岡山の家にも来ていたようです。父は次の愛人を作り、けんか別れになったようです。

 

3番目の妻:佐藤美代子は、後妻業で、妻子ある男性と駆け落ち結婚を繰り返し、4回目の結婚で、佐藤正美の愛人となって結婚しました。

この話は実話で、近所の義母の佐藤美代子の幼なじみである西岡のおばちゃんが教えてくれました。

 

私が亡くなり、2020年11月26日、妻は義父母から、剛の財産は放棄しろと言われ、「家の財産を放棄します」と一筆書かされ、そして、「ここから出て行け」と言われて、妻はホテル住まいを繰り返し、やっと古いアパートを見つけて暮らしております。当時、ホテルがGOtoキャンペーンで2,000円/1泊だったのでとても助かりました。

 

葬式の時には、私の前妻の子供の長男:崇と長女:綾が来ていました。私は大阪に住んでいたので、子供達も大阪から来ていました。

私も今の妻とは3回目の結婚でした。葬式後に、妻は前妻の子供達を岡山駅まで送っていき、それから、寝泊まりするホテルに帰りました。

 

その後、この子供達は岡山駅から大阪行き新幹線には乗らずに、義母の家に寄ったそうです。そこで、相続の話し合いになり、私が建てた家は、子供達に相続する、まだ家のローンが残っており、ローン残金は今の妻:美里が払い、美里が払えないときは、美里の実家の親が払うという話になったそうです。妻は、義母:佐藤美代子から2020年12月20日に、この話を聞かされました。

 

そして、2021年5月1日、義母:佐藤美代子が亡くなり、義父:佐藤正美は岡村一心堂病院に入院となったそうです。

 

それからは、義母:佐藤美代子の甥:香山政則の別れた妻が出てきて(兵藤幸子)仕切り出しました。妻に対し、佐藤家と係わるには、弁護士を立てて下さいと言ったそうです。

 

妻は、法テラスた相続無料相談室で弁護士に話しましたが、利害関係があるとの事で全ての弁護士に断られました。

そして、司法書士の辻本さん、ご高齢で、もう司法書士の仕事を辞めようと思っていたようで、この案件を引き受けてくれることになりました。

 

まず、家は亡き佐藤剛が建てた家で、義父母が住むところがないから、住まわせていた。

相続は、妻と、私の前妻の子供の崇と綾である。

佐藤正美の家でもないのに、また義母の美代子の家でもないのに、美代子の甥の別れた妻:兵藤幸子が家に係わるのはおかしい。

 

また、この件に関して、家のローン担当の銀行からも、家には誰も住んでおらず、不在者財産管理人の選定を言われ、家庭裁判所に申し出しました。

そして、今日、2021年8月2日、家庭裁判所から連絡があり、管理人選定は出来ないとの事で失効となりました。

 

家は誰が相続するのか、家のローン月15万円(ボーナス払いも含めて月平準にして)は、義母(佐藤美代子)からの言い伝えで、義父:正美が妻の実家に押し入り、家のローン代金を支払うよう、契約書を書かせ、定期預金を下ろさせて、ふんだくるよう、出向いていったそうです。

 

この続き、法的にはどうなるのか、「家庭の中には法は入らず」とも言われ、不法地帯の家庭相続、行方が見えません。

 

 

 

 

今朝は私の住むアパートの天井から雨漏りの夢を見ました。

夫の剛が亡くなってから8ヶ月、亡き夫が初めて、夢の中に現れました。

 

今まで1度も夢の中にも、もちろん現世界にも、現れた事の無い夫が・・・私の行く末を心配したのでしょうか?

 

天井からの雨漏りの夢は、他人が原因によるトラブルやストレスに悩まされる事を意味し、自分の努力や警戒だけでは、どうにもならないような事態に見舞われるサインということです。

自分一人で思い悩まず信頼のできる人に相談するなど、ストレスを軽減させるようにしてください・・・だそうです。

ネットで夢占いを調べておいて良かった、これから起こる災難への心構えが出来ました。

嫌なことはハッキリと嫌と伝えることだそうですって、対処法もネットに書いてあり、良かった。

 

 

夢の中身は、私が住むアパートがそのまま学習塾のような雰囲気になっており、学生達が騒いでいます。

私と夫は天井から落ちる雨漏りの元へ洗面器を置いて、夢は覚めました。

 

夢のお告げを考えながら、義父を探しに、警察へ行方不明者捜索願を依頼するために行きました。

色々な経緯を聞かれ、警察官と一緒に義父母が住んでいた自宅へ向かいました。

義父が75歳と70歳で結婚して建てた家で、夫の名義で夫の住宅ローン持ちの大邸宅です。

 

結局は、岡山南警察署の巡査長の渡辺広大さん(086-245-0110内線275)に、地域包括ケアシステムの総括支援員の北野さんの電話番号(080-2904-8633)を教えて、警察の渡辺巡査長が北野さんに電話すると、義父は元気で居るが私には教えないと、言うことでした。

 

私が総括支援員の北野さんに電話したときには義父の居所を教えてくれなかったのに、警察が問い合わせると話してくれるとは。

 

私には教えたくない何かやましいものがあるのでしょうか?

誰かが、私には教えないように、口封じをしているのかもしれません。

 

警察にまで、口封じの手が回っている、これ以上の詳細は探しようがないと、捜索は完了して終わりました。

 

とどのつまり、私には義父の居所はわからずじまいでした。

 

次に、年金事務所から義父宛に現況届が来ていたので、年金事務所に居所がわからない事を伝えると、年金受給者所在不明届を提出させられました。

 

そして、不在者財産管理人選任を申請してくださいと言われ、岡山家庭裁判所へ行き、申請書類をもらってきました。

 

今日1日、警察署・年金事務所・家庭裁判所と3つの公的機関を巡回し、私は雨漏りのように疲れがぽたぽたと洗面器に落ちていきました。

 

雨漏りの夢、夢なら覚めるのに、現実の雨漏りの夢はまだまだ続きそうです。

 

 

夫:佐藤剛は5年前に、肝臓末期がんになり、妻の私と共に、実家である岡山市南区泉田359-10で、夫の父親と後妻と同居することになりました。

 

私と夫は、父親:佐藤正美、義母:佐藤美代子から、5年間にわたるいじめを受け、夫は2020年10月29日に亡くなりました。そして、義母の美代子は2021年5月1日に亡くなり、義父は入院となりました。

 

何故、義父母は私達をいじめたのか、その心理がわからず、どうしていじめを受けなければならなかったのか、義父母は私達夫婦のどこが気に入らなかったのか、これを探し、思い出を書き留めることにしました。義父母からのいじめの思い出は、旅に出たスクリーンのようによみがえってきます。

 

2016年4月から同居を始めて、5月11日水曜日、その日、義父はデイサービス「かおる」(岡山市南区万倍155ー1)へ送迎車で行き、私は義母の佐藤美代子を岡耳鼻咽喉科医院(岡山県岡山市南区浦安西町21-31)へ連れて行った帰りの車の中でした。

 

義母は、私に「ダイヤの指輪をゴミ箱に捨てて、ゴミに出した」と言い始めました。

義母は宝石をたくさん持っていて、しかし、私は宝石には全く興味がなく、夫と一緒に高島屋百貨店で購入した1万円の指輪と1万円のおそろいのデザインのネックレスしか持っていません。

 

いくらのダイヤの指輪かと聞くと、「100万円」でした。そして「返して」と言うのです。

私は一瞬暗くなり、何も言えませんでした。

 

何を突然に言い出すのか?

 

岡耳鼻科医院から自宅近くまで帰っていたので、車を留めて、家に入り、直ぐにスマホーで義父の佐藤正美が行っているデイサービス「かおる」へ電話して、介護士に義父へこの話を伝えてもらいました。

 

義父も帰宅して、捨てたダイヤの指輪について、家族会議です。

 

私が、ゴミ出しの日に、食卓テーブルの下にあるゴミ箱にダイヤの指輪を捨てて、ゴミ箱を覆っているスーパーの袋ごと、ゴミに出したと言うのです。

 

義母は、私がわざと、捨てたと言い張りました。

義父も味方になり、結局、妻は100万円を支払う羽目になりました。


「あんたが払えなければ、親に払ってもらう」と、義母:美代子は私、妻の実母に電話でけしかけました。

 

「あんたんとこの娘は嫁支度もせんと来て、100万のダイヤもすてるんよ」


私はこの場から2階へ逃げ出し、電話口には居ませんでしたが、散々、悪口を実母に暴力言葉で罵声していました。

 

義母:美代子は、妻子ある男性と駆け落ち結婚を4回繰り返してきた後妻業で、子供はいません。妊娠も育児も未経験者です。近所に義母と幼なじみの西岡さんというおばあちゃんが、私に教えてくれました。

 

このダイヤの指輪の最後は、実母から100万円を送り込ませて、私は、義母から、実家からも大きな不平を背負わされ、泣く日々を送ることになりました。

 

その後、この100万円はどうなったか?

 

義母の佐藤美代子は、「三越」百貨店がお気に入りで、通販でお洋服やアクセサローを購入していました。百貨店の中でも三越だけはお金持ち御用達のお店だと自慢もしていました。

その三越から、佐藤美代子にケースに入った宝石が届きました。

 

お値段、幾らしたか?

 

私の親から奪い取った、100万円以下でしょう。

 

ダイヤの指輪を捨てたと言われた、あの時、「指輪を捨てたのなら、そのケースはどこにあるの?」と私が言い返せば良かった。

「指輪」を捨てたとは言ったけど、「ケースに入った指輪を捨てた」とは言わなかった。

私が指輪にはケースがある事に気づいていれば、アクセサリーに全く興味が無い私の落ち度を付いた悲劇でした。


そして、この日から、私はゴミ捨てを辞めて、義父母に自分達のゴミは玄関に出してもらうように勧めました。最後までゴミも持ち主の財産であり、責任を持つことが必要ですから。

 

 

 

 
私と夫(佐藤剛)は、夫が肝臓がん末期が判明し、夫の実家で義父母と暮らすことになりました。
 
義父(佐藤正美)は夫が幼少の頃から何人もの愛人と暮らしており、義母(佐藤美代子)は妻子ある男性と駆け落ち結婚を繰り返し、4回目に佐藤正美と結婚しました。平成7年、義父が75歳、義母が70歳の時でした。
 
義父母は新婚ほやほやで、義母(佐藤美代子)が義父(佐藤正美)に、「新築の家が欲しい」とおねだりして、義父は(株)クボタハウスで大邸宅を建てました。義母は私に「お父さんが私のために立派な家を建ててくれたんよ」と自慢していました。
 
夫は、新築する前の古い家でも充分に住めたのに・・・と、言っていましたが、義母からすると、義父・正美が愛人と住んでいた古い家が嫌だったのでしょうね。
 
平成7年に建てた4千万円の大邸宅は佐藤正美の名義で建てましたが、義父母は高齢のため住宅ローンが通らず、ローン名義は佐藤剛(私の夫、佐藤正美の息子)になっていました。当時、夫(佐藤剛)は大阪に住んでおり、この大邸宅は義父母だけで暮らす家でした。
 
この時から、夫は、毎月15万円の義父母が暮らす家の借金を背負うことになったのです。
大阪で仕事をしながら、やっとのことで義父母の家のローンを支払い、退職してからも年金が全て家のローン返済に消えていき、私が夫を養ってきました。
 
そして、夫は肝臓がん末期になり、入退院を繰り返し、家のローンも払えなくなりました。
 
令和2年8月28日、とても暑い日でした。この2ヶ月後に、夫は肝臓末期がんで亡くなりました。
 
義父母は朝から、いそいそと、2人でタクシーに乗って出かけて行きました。カラオケや病院に行くのならば、私に車を出してと頼むのですが、どこへ行くのか不思議でした。
 
帰って来るなり、2階にどやどやと上がり、
市役所でもらってきた書類を夫(佐藤剛・佐藤正美の息子)につきつけて、
「お前は俺の息子ではない。これが証明書類だ」と激怒したのです。
 
夫は肝臓がん末期で弱り切っており、ベットから立てない状態でした。
 
何故、義父母は、息子(夫)に、お前は俺の息子ではないと言うのでしょうか。
 
先日、義父母の会話が、私達夫婦が居候する2階の6畳の部屋に聞こえてきました。
「剛が死んだら、私達に、家のローンがかかってくるから、親子の縁が無いという事にしないと、大変になる」
 
つまり、夫と親子では無いと言う証明をしておかないと、夫(剛・義父母の息子)の家のローンが義父母にふりかかってくる訳です。
義父母の自分たちが家を建てて長年住んで、息子の剛(夫)が家のローンを支払っていたのに、「ありがとう」の言葉も無く、ローンの返済が義父母たちにまわってくると感じ、
 
「お前は俺の息子ではない!」・・・親子の縁を切っていく。
 
言いたい放題言った挙げ句に、義父母は、市役所の親子ではないという証明書類を床に投げつけ、2階から降りていきました。
 
夫は、この親子では無いという証明書類を自分のノートにそっと挟んでいました。
夫は何も言わず、私は涙があふれました。
もう、私達がじっと我慢して暮らす、この狭い6畳の部屋が夏の暑さで燃え上がっていました。
 
 
 

 

こんばんは。 マネーファイターmisatoです。

 

私は再婚で、末期ガンの夫と一緒に

岡山の夫の実家へやってきました。

 

今は、夫66才、義父95才、義母90才、

義母の姑が飼っている猫8匹(25才・13才・8才が2匹・7才が4匹)を看ています。

 

姑は4回目の再婚で義父と結婚した

後妻業の女です。

 

夫は先妻の子です。

 

姑の衣裳部屋が、1階に12畳、

2階に6畳と6畳あり、

義父と姑の2階ベットルーム30畳は

物置となっており、

私は廊下で寝ています。

 

 

介護も3年が過ぎようとしており、

毎日、掃除、食事、洗濯、病院16か所の送迎に明け暮れております。

 

料理を出せば、固い、

だしの素を使いなさい、

料理の数が少ない、皿がべとべと、

料理が小さいのに皿が大き過ぎる、

猫も食べないウインナーを出すな!・・・

毎日、文句ばかりです。

 

3人は肉食系で、

野菜が少ないと言いますが、

かぼちゃと鶏肉の煮物では、

かぼちゃは丸々残します。

肉と野菜炒めは、

肉だけ拾って食べます。

ほうれん草や小松菜のお浸しは

一切食べません。

 

結局は、年がいくと赤ちゃんに帰る

と言われますが、

本当に、

嫌いな野菜は食べずに肉だけ食べる、

それなのに、ディケアでは

嫁の料理は野菜が無いと罵倒しているそうです。


野菜やさいYASAIと、

私は土下座して閉口しています。

 

 

 

さて、今も床の上で寝ているのですが、

床の上にも3年・・・

一応、6万円かけて、

30畳の物置小屋から

ゴミ処理業者にゴミを運んでもらい、

物置に畳2畳ほどのスペースを確保しました。

 

床の上にマットを敷いて、

寝れるようになりました。

 

パチパチパチパチ、おめでとうございます!

 

 

しかし、尿が出なくなり、むくみがひどくなり、


近くの山本病院へ行き、

診断結果は・・・

「若年性アルツハイマー」でした。

 

 

アルツハイマー検査は、

 

看護士さんが「お」「い」「ぼ」「れ」「ぼ」「け」と言います。

私は、ひらがなを逆から言います。

 

 

次に、看護士さんが「10」「1」「60」「0」「58」「3」と言います。

私は、数字を逆から言います。

 

 

次に、算数の足し算です。


看護士さんが「7+8=」と言います。

私は、「15」と答えます。

次に看護士さんが「22」と言います。

私は、「37」と答えます。

5回、数字を足していきます。

 

 

最後に、鉛筆、はさみ、100円玉、鍵など、ガラクタが沢山並びます。

そこから、看護士さんが5つの品物を隠します。

何を隠したかを当てます。

 

私は、疲れて、涙ながらに

「わかりません」と答えました。

 

 

次に、200項目のチャックリストです。

 

「幽霊が見えますか?」

「壁から話し声が聞こえますか?」

 

全ての項目に「YES」の〇を付けて差し上げました。

 

 

再検査は9月です。

 

アルツハイマーが悪くならないように・・・


がん予防のトマトを食べて、

手先を使う折り鶴を折って、

ボケは歯からくるので、歯磨き体操をして、

 

がんばっていまーす。

 

 

介護請負人が介護側になってしまい、

 

これこそ老老介護ならぬ

 

ボケボケ介護になっています。

 

 

全てをアルツハイマーのせいにして生きていく。


手先運動の折り鶴は、

お金をかけず、

持ち運び楽で、

いつでも気兼ねなく折れます。


棺桶用の折り鶴

誰の者になるのでしょう。

 

皆さん、ツッコミを宜しくお願いします。

 



 

 

こんにちは。 マネーファイターmisatoです。

 

私は再婚で、末期ガンの夫と一緒に

岡山の夫の実家へやってきました。

 

今は、夫66才、義父95才、義母90才、

義母の姑が飼っている猫8匹(25才・13才・8才が2匹・7才が4匹)を看ています。

 

姑は4回目の再婚で義父と結婚した

後妻業の女です。

 

姑の衣裳部屋が、1階に12畳、

2階に6畳と6畳あり、

義父と姑の2階ベットルーム30畳は

物置となっており、

私は廊下で寝ています。

 

自分の寝る場所を確保するため、

ゆずのブログの「ゆずの1日1捨」に参加し、

断捨離を始めています。

 

断捨離25日目は「カタログ・雑誌」です。

 

 

 

私は、毎日、夫の実家で、

食事、掃除、洗濯などの家事、

病院への送迎に明け暮れています。

 

 

夫は要介護2、

義父は要介護1、

義母は要支援です。

 

義父は、毎週月・水・土曜日に、

ディケア「かおる園」へ出向きます。


姑は、毎週火・金・日曜日に、

ディケア「かおる園」へ出向きます。


なぜ、同じディケア施設なのに、

二人一緒に同じ曜日に通わないのか、

不思議です。

 

 

姑は、

夫の衣類と自分の衣類を一緒に

洗濯するのが大嫌いで、

必ず、自分の衣類を洗濯してから、

夫のものを洗濯しますが、

夫のものはほとんど洗ったことはありません。

これも不思議です。

 

 

水道代がもったいないと、

私に言っている割には、

再婚以来、自分の衣類と夫の衣類は分けて

洗濯しているそうです。

 

私は、夫の物も私の物も一緒くたにして洗濯するのですが・・・

姑は夫(義父)に対して何が不満なのでしょうか?

 

 

さて、我が家には、

4つの介護・医療施設が

介護や医療に入っています。

 

1つは、ディケアの「かおる園」。

 

義父母が週3回通っています。

 

 

2つは、ディサービス「まごころ」。

 

毎週水曜日に、訪問介護の佐々木さんが来ます。
猫のエサ、じゃこ、猫のトイレ砂の買い出しをしてくれて、後は姑とティータイムです。

 

佐々木さんの業務日誌を見ると、

義父と姑の紙おむつの買い出し、掃除、洗濯、炊事と・・・

嘘ばかりの業務報告書になって、文書偽造まっしぐらの内容です。

 

 

3つは、訪問医療「愛光」。

 

毎週、金曜日に、義父の血圧を測りに看護士が来ます。

そして、15分後に帰っていきます。

 

 

4つめは、訪問医療「こもれび」。

 

毎週、月曜日に、姑の健康相談に来ます。

ティータイムをして帰ります。

 


なぜ、1つの家に、

4つもの介護・医療施設が入るのか、

とても不思議です。

 

 

そして、1ヵ月の全部の支払い料金は、

夫婦で3万円。


介護保険や医療保険で、

国や市の助成があるために、

低料金で済むのですね。

 

 

 

ここで、料金について考えてみました。


・ディサービス:週3日×2人×月4週×8,000円=192,000円
・訪問医療:週1回×2人×月4週×10,000円=80,000円
・訪問介護:週1回×月4週×5,000円=20,000円
合計 292,000円

 

 

1ヵ月の支払いが夫婦で3万円なので、

1割の自己負担額として、30万円。

ピッタリですね。

 

 

そして、月1回、

4つの介護・医療施設の方と岡山市職員さんが、カウンセリングに来ます。

 

私に毒舌を吐く義父母なのに、

岡山市職員は

「継続して介護・医療支援が必要ですね」と言って帰っていきます。

 


要するに、


行政と4つの介護・医療企業が結託して、

お金のある元気なお年寄りの家庭に入って、

保険金をふんだくっているとしか、

思えないのは私だけでしょうか?

 


お金が無いから必要な介護が受けれないという話も聞くなかで、

本当の介護サービスとは・・・考えさせられます。
義務教育があるように、

義務介護・医療も必要かもしれません。

 

捨てるものは、当然、

家中にある・・・

岡山市内の介護施設のパンフレット。

 

 

 

 

 

 

 

こんにちは。 マネーファイターmisatoです。

 

私は再婚で、末期ガンの夫と一緒に

岡山の夫の実家へやってきました。

 

今は、夫66才、義父95才、義母90才、

義母の姑が飼っている猫8匹(25才・13才・8才が2匹・7才が4匹)を看ています。

 

姑は4回目の再婚で義父と結婚した

後妻業の女です。

 

姑の衣裳部屋が、1階に12畳、

2階に6畳と6畳あり、

義父と姑の2階ベットルーム30畳は

物置となっており、

私は廊下で寝ています。

 

自分の寝る場所を確保するため、

ゆずのブログの「ゆずの1日1捨」に参加し、

断捨離を始めています。

 

断捨離29日目は「クローゼットの中」です。

 

 

 

さて、私にはクローゼットはありません。

 

洋服入れは、35年前に買ったタオルかけと収納ボックス4個だけです。

 

引っ越しでもすぐに出ていけれるからです。

 

 

また私は、

着た切り雀タイプで、

同じ洋服、

同じ下着類を

何枚も持つ性格です。

 

 

同じ服ばかり着ているので、

周りの人達から、

「ちょっとは、服でも買ったら」と言われます。

 

 

 

洋服などを捨てる時の基準は、

 

1.思い出の品であるかどうか、絶対的な思い出の品は残します。

 

2.着れるかどうか、破れたり、くたくたになったものは、当然廃棄です。

 

下着類は5年くらいに一新ですべてを買い替えます。

 

古くなった洋服を

捨てるかどうか迷っている時は、

その洋服を着て寝てみます。

寝心地が良ければ、

残します。

 

 

洋服を買う時の基準は、

まず、葬儀やお通夜に着ていけれるかどうかです。

 

冠婚葬祭で、結婚式は日取りが決まっているので、洋服の準備ができますが、

葬儀は日取りが決まっていないため、常備しておく必要があります。

 

当然、黒を基調とした服が中心で、

後は結婚式にも着ていけそうな感じの服です。

 

そして、気に入った服を何枚も買います。

着心地のいい服で

いたいからです。

 

この2点のみで衣類を管理しています。

 

モノの購入・管理基準・・・冠婚葬祭で使える、地震や災害に強い、引っ越しやすさです。