大学生→社会人
2014年に大阪の大学を卒業をして、上京した。東京駅に降り立った瞬間を今でも鮮明に覚えている。「これからここで生きていくのだ」水玉柄のトランクケースをコロコロと引っ張りながら東京駅のレンガの前で妙に気合いが入った。まさに不安と期待が半分半分に織り交ざったような気分だった。なんと会社の寮は横浜。「いつか横浜に住みたい」と小さいころにつぶやいていた夢が叶った。そして、これからまさか結婚も出産もこちらへ経て横浜に永住することになるとはこの時思ってもいなかった。大学入学のとき、寮に住み始める際に、両親と正式に離れ、お別れの際に母親に泣かれたことが今思えば私が初めて自立を感じた瞬間だったと思う。なんとなく、「いつか出身地へ帰るだろう」と思ってはいたが、まさか横浜に住みついてしまうとは・・・人生、本当にわからないものだ。偶然の連続なのか、そういう運命だったのか・・・大手の会社に入り、やる気に満ち溢れていた社会人1年目。入社式では配属先が書いてあった紙を見た瞬間、ラッキーと思った。なんと最初の初任地は東京だったのだ。どこか地方に飛ばされると思っていたので、引っ越しもしなくていい、東京でいろんなことで遊び・学ぶことができる、という期待でいっぱいだった。最初の2年間は国内の営業部隊に配属。歯を食いしばいながら、がむしゃらに頑張った2年間だった。とにかく成果をあげて、行きたい部署のために頑張った。得意先の人に気に入られるために何度も店に通ったり、企画を提案したり、頭も何度も下げた。時には意地悪なチームメンバーもいたが、ミスした際は、尊敬する上司や先輩方がフォローしてくれ、本当に恵まれた環境だったと思う。2年間で成果を上げ、希望だった部署に3年目で異動した。思っていた業務とは少し違い、周りのメンバーの質もがらりと変わった。グローバルな環境とは聞いていたが、会議も英語、議事録も英語。メンバーはほぼ全員が帰国子女や赴任経験者。世界の市場を引っ張るという大きなミッションを掲げたこの部署はプレッシャーと緊張感が大きく、部内の雰囲気もあまりよくない。出世ができずひねくれた先輩が多かった。業務分掌があまりできておらず、何をしたらよいかわからない時が多かった。そんな中でどんどん部署にいるのが嫌になり、通勤中にストレスで吐きそうになったこともあった。このままでは自分がつぶれてしまうと思い、人事に掛け合い、部署異動を、強く希望した。同時にこの時期、乳がん検診で「疑いあり」と出たタイミングで、いろんなストレスが重なり合い、今の旦那が精神的に強くサポートしてくれたことが結婚のきっかけにもなった。ある先輩が部署に戻ってきたタイミングで、その先輩が課の業務分掌をしっかり整備してくれた。その先輩は人の苦しみや痛みがよくわかる先輩で、非常に仕事がやりやすくなった。少しずつ仕事でも認められ、成果が出せるようになってきたころ、人事から部署異動しないか、という連絡が。4年目でとにかく新しい環境にいきたいという気持ちだったのですぐにOKした。新しい部署では、課長も厳しく、自分がドライバーになって主体的に進めなくてはならない環境。前の部署とは大きく働き方が異なった。プレイヤーの一人としての意識がまず違ったし、苦労やプレッシャーも多かった。夜中遅くまで働いたときも多かった。だけど、その分、前の部署では感じられなかったやりがいも多く感じることができた。厳しい先輩もいたが、その先輩がいてくれたから仕事というものが分かったと今はそう思っている。肉体が壊れるくらいがむしゃらに働いた一年だったので、正直ちょっとそろそろ少し休憩したいとも思うようにもなったとき、見事妊娠。生理不順で病院にも半年間ほど通っていたので、ここになりやっと努力が実った感じだった。旦那の年齢を考えてもちょうどいいタイミングだったので、非常にうれしかった。