大人は、吃音の子供の為に、良かれと思ってやっているが、本人には正しく理解できない。
小学校のころ、
よく 箕面スパーガーデン に 親戚のおじさんに連れられていってもらった。そのたびにひげそりとせっけんを買わされた
おばさんに「ひげそりとせっけんをください」って言わせるてどもるのをみて楽しむいじわるな大人。
どもりのこどもにしたら、それはもう拷問以外の何物でもなく僕をいじめてひどすぎると心から思っていた
(おじさんには何も言い返せなかったけど)
母親からは、
玉造の吃音教室に行くときに、毎回、改札の駅員さんに「玉造」の行き方を聞かされた。
いつも、泣いていました。
今思えば、 『訓練』してくれていたのでしょう。
こどもをもってやっとわかりますが、当時は大変辛かった。
小学生や中学生にどもっても別に気にしなくていいよって口でいってもきっとまだ理解できないだろう。
大いに悩んで苦しむのも必要です。
そしてひとの心の痛みをわかる大人に成長できればいい。
しゃべれない自分が嫌いで嫌でしょうがなくなっているだろうけど、心の奥底では自分のことを好きでいてほしい。
そう思えるようにしてあげるのが親の務めだとおもう。
母親が常に深い愛情で接することにより、小学生や中学生のこどもは自分が大事にされていることを肌で感じそしてもう少し成長したときに親に感謝し、自分を好きになり、他人を思いやれる人に必ずなれると思う。
吃音はハンデです。でも、もっと大変なハンデを背負っているひとも沢山います。
(例はだしませんが、自分で考えてみてください。沢山あるはずです)
きっと、まだましなハンデなんですよ
心の持ちようです。