本当にご無沙汰していました。
旅行や演技レッスンに忙しく、まあ、楽しく忙しかったのですが
96才になる父は、96でも意欲的だったため、年齢によるしんどさを抱えていても
勝気な性格のまま、好きに生きておりました。
去年、2月に救急搬送された時に「うっ血性心不全」との診断を受け
もう、この1年もたないだろう・・・といわれていました。
この時に既に酸素吸入が必要な状態で、4リットルを消費していたのが
徐々に必要なくなり、回復。
今年になって、老人性の振戦がひどくなり、手が震えたり体のバランスが取れなくて
転倒など、本人を悩ませることになっていました。
それでも食欲は衰えず、中華料理を食べに連れて行けとの要望を満たすべく
今年の6月には、外食を楽しみました。
その後、転倒してのおでこから流血、転倒して腕の骨を骨折、が続き
7月6日には、また、酸素飽和度が低くなって救急搬送。
その後約10日ほどで
寝たまま、息を引き取りました。
亡くなる前の日に会いに行ったら「お見舞いに来てくれたんか? なんでこんなに眠たいのやろ?」
というのが、ほとんど最後の言葉。
話しながらも、睡魔に襲われて寝てしまうという状態。
翌日の夜、老人ホームのスタッフが見回りに行ったら、息をしてなかったとの事。
たぶんだけど、苦しまずに亡くなったようです。
これを読んだ方がどう考えるかどう思うかはいろいろだろうけど、
96歳…物凄い濃い人生で 周囲を振り回し、多大な影響を与えた人生でした。
貧民窟に生まれ、15・6で海軍の学校に入り、終戦時には20。学歴はなく、いろんな職業を転々としていたが
兄に誘われて、保険会社に入れてもらう。
アパートや小さな商店などの客を集めて、日曜はなく 必死で働いたところ
営業成績優秀で結構なお給金を頂く身分に。
そこからは、自分の力を鼓舞しだし、うるさいおやじとなって 母を悩まし鬱病に。
72才まで仕事をしていたが、辞めてからは器用さを取柄としていたので、絵を数百枚書いたり
マジックの腕を極めたりしていました。
晩年は、母が大動脈乖離の大病を患い、その後も脳出血などで長い入院生活の間も
見舞いと退院後の介護を頑張っていたが、4年前に亡くなり ひとりぼっちに。
それでも、自分はボケないようにといろんな活動はしていた。
老人ホームでは、定期的にマジックショーを。折り紙教室の先生をしたり、
最近は キーボードを買って演奏を練習をしていた。
まだまだ やりたい事があったけど とうとう体が言う事を聞かなくなったのが
96歳。見事な大往生でした。
私は一人娘で、法定相続人だけど 遺産は 子どもたち二人と3人で分けることにした。
この 方付けが大変。ものが多い。やる事が一杯。
なので、
しみじみと考える間もない。
ただ、やれやれと考えたら・・・私も老けるような気がした。
だから、父と同じように やりたい事をやりながら 老化を防いで楽しもうと思う。
96歳までは無理だと思うが。

