昔記事にした続きと思って頂ければ。
華流を観るのにハマってて、
イップ・マンを観ました。
香港映画ですが北と南が出てきて北京語と広東語、日本軍は日本語を喋ってるので3ヶ国語出てきます。
"日本軍に占領された町、武術家のイップ・マンに、日本軍将校が武術の試合を挑むお話です"
「武術は闘うための技だが
中国武術の精神は儒教であり
武術の徳は仁だ
他を自分と同じように扱うのが仁
武力で民に圧力をかけるあなたたち(日本軍)は
中国武術に値しない」
捕虜を傷めつけたり遊ぶ悪の日本軍人にゾッとするシーンがあります。
ですが少年漫画みたいな展開で面白いです。
香港なのでカンフーですかね。カンフーvs空手のバトルは爽快です。
7/7に高橋和希先生が亡くなったと報じられた時
レジェンドと称されていたのを良く思わない中国人たちがいました。
もちろん遊戯王ファンの中国人と対立してました。
7/7だから余計にだそうです。
その歴史がこの映画にも出てきます。
アジア歴史ラーニングより引用↓
⭐︎盧溝橋事件
七・七事変、支那事変とも。
1937年7月7日、北京郊外の盧溝橋付近で起きた日中両軍の軍事衝突。衝突そのものは日本軍の部隊演習中に起きた偶発的な事件であり、当初は日中双方とも衝突不拡大の方針を採用。しかし、兵火は瞬く間に拡大し、日中戦争の発端となる。
日本で満洲事変以来の経験に基づき、中国側を軽んじ、威嚇すれば簡単に屈服する、あるいは軍事力を発動すれば容易に征服できるという見方が強かった。そのため、この事件を契機として、一挙に華北地域の分離、親日化を試み、軍を逐次増派し、戦線を拡大していった。
一方の中国側は、蒋介石が宋哲元に北平・天津の防衛を命じ、また中央軍を河北省まで北上させ日本軍の大規模な侵攻に備えた。現実の日本軍の侵攻と国内の抗日ナショナリズムの前に、政府は断固抗戦の姿勢を示す必要があった。
両国の思惑の結果、宣戦布告なしに中国全土に戦線が拡大し、全面的な戦争にまで発展。
⭐︎儒教
中国の代表的思想。政治権力と一体となって中国の社会・文化の全般を支配してきた。また漢字文化圏とよばれる日本、朝鮮半島、東南アジア諸地域にも伝わり、大きな影響を与えている。
儒教の語は、外来の仏教に対して300年ごろに生じたものであるらしく、後世に至るまで主として儒仏道三教を並称するような場合に使用されていた。
明治以後の日本では、学派、学問、教化のすべてを含んで広義に儒教と称するようになった。儒教は宗教ではないが、その中国に果たしてきた役割からすると、欧米のキリスト教に匹敵するからである。
⭐︎仁 (ハショらなかったので長いです)
中国倫理思想の重要概念。もっとも素朴な用法は、『詩経』叔于田(しゅくうでん)に、男を褒めて「まことに美且(か)つ仁」という表現である。「愛情深い」「親切な」などの意であろう。孔子は仁をもって最高の道徳、日常生活に遠いものではないが、容易に到達できぬものと考えた。孔子は弟子の問いに対して仁をさまざまに定義する。若い燓遅(はんち)に対しては「人を愛すること」といい、もっとも優秀な顔回(がんかい)に対しては「己れに克(か)ち(己れを克(よ)くし)礼に復(かえ)る」という(ともに『論語』顔淵(がんえん)篇(へん))。前者は外に対しての行為、後者は自己の内なる修養をさす。具体的な心構えとしては、仲弓(ちゅうきゅう)の問いに答えて「己れの欲せざるところ、これを人に施すなかれ」(顔淵篇)というのがもっともわかりやすい。つまり思いやりの心で万人を愛するとともに、利己的欲望を抑え礼儀を履行すること。ただし万人を愛するといっても、出発点は肉親への愛にある。「孝弟(悌)(こうてい)なる者はそれ仁の本(もと)たるか」(学而(がくじ)篇)。孟子(もうし)は、仁の徳の源は人間性に内在する惻隠(そくいん)の心(赤ん坊が井戸に陥りかけているのを反射的に抱きとめる心)にあると説く。孟子は、人間性に根ざす主要徳目として仁義礼智(ち)の四つを数える。漢の董仲舒(とうちゅうじょ)などは、これに信を加えて五つとする(五常(ごじょう))。これには五行説の影響もあろう。『漢書(かんじょ)』律歴志(りつれきし)によれば、仁=春(木)、義=秋(金)、礼=夏(火)、智=冬(水)、信=中央(土)。春の草木を生育させる暖かさと、仁すなわち愛の徳との連想による。
韓国人が日本軍はいかに悪いかを絵にして世界に発信し、外国人が驚くというニュースになってましたよね。
慰安婦問題とか。
日本軍だけ悪者にされたらたまんないので
アメリカ軍やドイツ軍など他の国も描いて欲しいですね。