トーナメント表。これはスポーツをやったことがある人の多くが一度は目にしたことがあるものだろう。大会で何処と当たるのか、あるいは誰と戦うことになるのかを示すものだ。

これには運要素がある。相性の良いところと当たることが出来たから勝てた、シードの真下だったからすぐに負けてしまったというのはよくある話だ。


しかしS高校女バレ2年の私とM高校女バレ2年の私のライバルにとっては、違う意味で運要素だった。


私たちは試合で戦いたかったのだ。


試合をするなら簡単じゃないかと思うかもしれない。

しかし、私たちが試合をするには大会で当たるしか手段が無かったのだ。練習試合をする機会もほぼ無かったのだ。

私たちの代になると、お互いの試合を見に行くのも出来なくなった。


大会で当たりたいという願いは、練習試合でもいいとか、試合が見れるだけでいいとかいう願いと同じ意味だった。会えたらいいなと同じ意味だった


私たちの代になってからは、そもそも大会で当たらないと会うこともできないから。


そーゆう意味で運要素だ。私たちはいつも合格発表を待つかのように抽選の日までカレンダーを数えた。


私たちが試合をすることに拘ったのには理由がある。


私のライバルの名前をNとする。

私たちは小学校と中学でチームが同じで、ポジションも同じで、色々と特別な存在だった。


中学ではお互いに最終的にスタメンになれるくらいではあった。

しかし…理由があって私たちは一度も大会で一緒のポジションとして試合に出れたことがない。違うポジションで出れたのも1回だけ。練習試合で一緒に試合が出来たのは片手で数えられる程度だ。

あぁ、中1の時Bチーム戦で出たことがある。けど自分達の代になって、ちゃんとした形で一緒に出れたことがほぼない。

それが悔しかったのだ。もっと一緒にプレーしたかったのだ


高校は別々になった。


高校になって敵同士になるのは仕方ない。けど戦いたい。自分達の代になって、お互いにスタメン取って、ちゃんと戦いたい。同じポジションとして戦いたい。


こういった思いがあったのだ。


しかし先述のとおりそもそも試合をすること自体が困難であった。だからこの願いはやがて変化していく。


大会の会場が同じになりますように。


同じになれて初めて戦えるから。けれど同じになることが難しかったのだ。


私たちはもう一度試合がしたかったのだ。もう味方になれないとわかっていても。




これは私とNの強い絆と

ちょっぴりせつない願い


その思い出の話です。