母親とはお風呂に入った記憶がなく、子供の頃から父親と入るのが当たり前の家だった![]()
壁鏡の方に私を向かせ、股を広げさせて、石鹸をつけ、後ろから股をゴシゴシ洗った後、『こっち向いて』父親の方を向いて、またゴシゴシ洗われ、指を突っ込まれる。
次の日は、股が痛くて歩きづらかった。
股が痛いと担任に言えず、『お腹が痛い』と嘘をついて大好きな体育を休まないといけない事もあった![]()
石鹸がしみて痛いと思っていたので、母に石鹸が股に入って痛いと伝えたこともあるが、痛い時は父親がオロナインを私の股に塗った![]()
何を言っても性器をいじられることから免れられる事はなかった![]()
私が父に性的虐待を受けていたことを、母親が知らないわけがない![]()
どころか、社長夫人の地位を失わない為に、私を父親の奴隷として差し出した。
『娘を守る』気持ちはサラサラないどころか共犯者。
私の母親の名前は福原敏子(S12.8.1生まれ)
福岡県田川市の祝屋かまぼこ店の末娘。祖父は早く亡くなったので、祖母が4人の子育てをしながら、当時大繁盛の蒲鉾屋を経営。18歳で東京の洋裁学校に行ける家は少なかったと思うし、わがままいっぱい育った。
私が中学の頃、父と一緒にはお風呂に入りたくない!と母親に訴えても、お父さんは赤ちゃんの時からおむつをかえたり、お風呂もずっと一緒に入っているんだから、一緒に入りなさい!と言った。
『お父さんは、硬い食べ物はいつも自分が噛んで、私の口に入れてあげてたくらい、あんたのことを可愛がった』気持ちが悪いことをいつも言っていた![]()
お父さんはあんたのことが一番可愛い
と言っていて『あんたの為に家を建て替たから戻ってきなさい』といつも言っていた。
(私は転勤族の妻だったので、家族と一緒に新潟、茨城など県外で過ごしていた)
家が嫌で結婚したのに、戻るわけがない![]()
父親が死んだ時、家もお金も全部独り占めしようとして、あれだけ言っていたのに…家は自分のものにした事を考えると、自分の面倒を見させたかっただけだった事がわかる。
父親も本当に私に家を渡すなら、遺言書けばいいだけのことなのに、私を近くに置きたいだけだった![]()
子供を守る気が全くない親に育てられたら、大人になってどれだけ苦労するか⁉️
そんなことも、これから描き続けます![]()
私の父親は 元、ふくれんの社長→役員を務めた人です。誰から見てもいい人。父親の悪口を言う人は一人もいません!
しかし、家の中では実娘の私に性的虐待を繰り返す犯罪者でした![]()
性的虐待のリアル、そして性的虐待を経験した大人の生きづらさをこれからブログで書き綴ります‼️