研修2日目~出る杭は打たれるが、...
研修も2日目。
朝9時からびっしりと12時間。
途中、腰が痛くなった~。
今回の研修テーマは「介護予防」っていう、業界向けの少しマニアックな内容。
内容も素敵だが、それ以上に長時間の集中力と筋持久力が鍛えられた...。
早く札幌に帰って、これらを素材としてどう事業展開していくかとても楽しみ。
研修終了後、懇親会があり、色々な方々から激励の言葉を頂いた。
やるしかないって感じだ。
出る杭は打たれる。
けれども出すぎた杭はもはや打たれることは無く、そこに悠然と存在する。
自分がその杭になろう。
ということで、これから会社の宿題をやることにします。
ひで
勉強になります・なりました~何が?
今日は東京で研修です。
朝9時から夜9時まで。昼食や夕食も弁当を食べながらセミナーです。
ホント地獄的な研修です。
でも、
不思議と眠くもならないし、やる気マンマンなんですよ。
...学生時代には考えられない。
その中で1つ気になったことが。
質疑応答で、質問者が講師の方に、「本日の講演は大変勉強になりました」と。
彼は何を勉強したのか?(何を学んだのか?)
例えば受講主体が学生ならば、勉強=知識の習得で何ら問題は無い。
けれど、今回の研修受講者はみんな社会人。それも臨床の現場でバリバリ
やっている人たち。
ボクが考えるに、講師が話すことはあくまで一般論。問題はその一般論を
自分が関与する事業やフィールドにどのように応用するか?を考えることが
重要であり、そこまで思慮を巡らせてこそ「勉強」になったというものだろう。
単に知識の習得であったり、いつか研修内容が生かせるかも...なんて悠長に
考えているのであれば、それは
「いつか使うかもしれないから取っておこう(でも、決して使うことは無い!)」
という思慮と大して変わらない。
もしもボクが講師だったら、どんなことが勉強になったのか?どのように
自分の業務(事業)に活用できそうなのか逆質問しちゃうかも。
世間では、日々実に多くの研修が存在し、多くの方々が参加している。
しかしながら、その効果は定かではない。
研修の参加は目的ではなく、あくまで一手段。
大事なことは、どのように応用するかを常に意識して思慮を巡らせること。
みんな、お金を払い、家族や職場に迷惑をかけ(自分の場合はペットにも)、
そして貴重な時間を多大に費やして何を得るのか?
みんな、どう思いますか?
常に、役立つ何か(それは知識でも技術でも、あるいは人脈でもいい)を
ちゃんと見つけてる?
ということで、明日も朝9時から夜9時までのハードスケジュールなので
寝ます。
ひで
夫不在2日目の夜(ヒデ妻)
下のがきんこが、
姉の腕枕で、泣きじゃくりながら寝ました。
母がいるのになぜ?
母より、父のほうがいいの~???
おらおらのヒデ妻の友人は、
なぜか皆、
もっとおらおら。
しかも、
他業種ばかり。
同じ業界だと、
血が濃くなって、
いい種が育たない。
「どこで知り合ったんですか?」
良く聞かれます。
知り合いたい人とは、
必ずコンタクトを取る。
これ、絶対です。
鉄則!
自分より、
有名な人、
上司、部下問わず、
一緒にやりたいひとは、
必ずゲット。
「話してみたい」人は逃しません。
ヒデも、今日、かなり頑張った様子。
自分のいる世界は、
とても、狭いと思います。
もっと、元気がある人と、いっぱい逢って、
違う視点で、考えたいです。
虫の目線と、
象の目線は違うけど、
どっちも間違ってない。
あ、そうだ。
明日、会社の人達と、
ランチするんだ。
格安で、「等価交換」を考えると、
満足度の高いお店です。
札幌市白石区「マンジャーレ」だよ。
美味しい白石 「イタリア料理店」
http://www.shiroishi.org
ここから、イタめしやで探してね。
ヒデ妻