大乗非仏説の人はパーリ語が好き? | kitani1のブログ

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【パーリ語の経典は本流と言えるのだろうか】
法顕は西暦四百年ごろインドに行った。彼の記録によると経典は専ら言葉による伝授だったという。
文字化する事は特殊な宗派の行為と言えないだろうか。
文字化の動機を考えると、
イ 経典を文字として保存したい。
ロ 檀那に頼まれた。

口伝えが主流の時に文字化する事は独特な人かもしれない。
また、本流の教えなのだろうか。声の大きい人が全体や一部を引っ張る事はよくある事だ。
また、文字化した僧の理解の範囲しか文字化されない可能性もある。
日本天台宗は三代慈覚の時に真言化された。浄土宗もすぐさま浄土真宗が出現した。日蓮宗も同様にいろいろな立場に別れた。
つまり、仏教は分派しやすい。
例えば、日本も口伝えに仏教が伝えられていると仮定して、浄土真宗だけが文字化を始めたとしたら、後世では浄土真宗だけが仏教となる。
パーリ語経典だけに頼る危険はないのか。

また、文字化は、檀那に頼まれたと考えると、檀那の思想や要望等に影響されたものが出回ることになる可能性もある。

 

少し付け加えると、「サンスクリット語の概念では」とよく聞く。

しかし、概念は昔のままとは限らない。

どの時代の概念をいっているのか明らかにされているのだろうか?