旧約聖書から見えてくる人格 | kitani1のブログ

kitani1のブログ

ブログの説明を入力します。

正しくは知らないが、旧約聖書はユダヤ教の聖典らしい。

これを用いているのは、

キリスト教・イスラム教・ユダヤ教だ。

 

旧約聖書から読み取れることは、

少数派の時は道徳を表にしている。

多数派の時は支配がみえる。

 

歴史を見てもキリスト教徒は、力があれば暴力ですべてを解決する。

ユダヤ教徒は上記の旧約聖書から読み取れことに示されている。

 

イスラム教徒も同様の傾向にあるが、キリスト教ほど暴力的だったかはっきりしない。

 

少数派の時、道徳を表にして「我々は優れている」

多数派の時、全面支配

 

仏教的に見れば、修羅界の心と似ている。

勝てない相手には小さくなって、相手に勝てるものを探す。

「力では勝てないが、道徳的には我々が優れている」

勝てる相手は馬鹿にする。

 

キリスト教徒は二重人格になる、と言われているが、

表面づらは、道徳的で、

家庭内では、支配的になる

と考えると私の考えと一致する。

 

似ているのは

共産党支配だ。

勢力がない時は、弱者に寄り添うふりをする。

力があるときは、抹殺していく。