正しくは知らないが、旧約聖書はユダヤ教の聖典らしい。
これを用いているのは、
キリスト教・イスラム教・ユダヤ教だ。
旧約聖書から読み取れることは、
少数派の時は道徳を表にしている。
多数派の時は支配がみえる。
歴史を見てもキリスト教徒は、力があれば暴力ですべてを解決する。
ユダヤ教徒は上記の旧約聖書から読み取れことに示されている。
イスラム教徒も同様の傾向にあるが、キリスト教ほど暴力的だったかはっきりしない。
少数派の時、道徳を表にして「我々は優れている」
多数派の時、全面支配
仏教的に見れば、修羅界の心と似ている。
勝てない相手には小さくなって、相手に勝てるものを探す。
「力では勝てないが、道徳的には我々が優れている」
勝てる相手は馬鹿にする。
キリスト教徒は二重人格になる、と言われているが、
表面づらは、道徳的で、
家庭内では、支配的になる
と考えると私の考えと一致する。
似ているのは
共産党支配だ。
勢力がない時は、弱者に寄り添うふりをする。
力があるときは、抹殺していく。