法華経安楽行品に「末法は摂受で弘教」と? | kitani1のブログ

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以前にも書いたが、

安楽行品では、文殊師利菩薩の質問に答えて、「末法は四安楽行」と説かれている。

四安楽行については省き短く言えば、「摂受」の弘教を勧めている。「強いて説き聞かせる必要はない」とされる。

それなのに日蓮大聖人は「折伏」を勧め「強いて説き聞かせよ」とされる。

 

勧持品・不軽菩薩品は折伏による弘教が説かれている。

勧持品は末法の弘教の困難さ、起こる法難を示されている。折伏によって起こる法難である。

不軽菩薩品は「強いて説き聞かせる」事を示されている。

 

違いは何かと言えば、

安楽行品は迹化の菩薩のために説かれている。

不軽菩薩品は末法を本当に託される本化の菩薩(地涌の菩薩)に説かれている。

 

安楽行品は迹門である。

不軽菩薩品は本門である。

 

つまり、安楽行品は末法の弘教の任に堪えない菩薩のために説かれたものである。

また、弘教の正体は示されていない状態だ。言い直せば安楽行品は法華経の紹介程度の話だ。