曹洞宗のお寺に道元に対する疑問を持って行った。
住職は、親切に話を聞てくれたが…。
正法眼蔵などを読んでも「戒」や「定(禅定)」はあるが「慧」がない。
「道元の示す慧はなにか」と聞いても、何を質問しているのか理解できてない様子だった。
三学とは、仏教の基本で、戒(振る舞い)、定(心を定める)、慧(仏の智慧)だ。
仏慧(ぶって)がわからない仏教とは何だろう。
禅定で自分の心を見つめているのだろうか。自分に対する執着や凡夫の浅血知恵があるだけだ。
道元の正法眼蔵は原文のままでは理解できない暗号通信のようだ。
ある人が法華経の解説のように、法華経について、多く語っているとの事なので、
現代文をkindleで読み始めた。全五巻中、一巻だけ読んだ。
しかし、法華経の文はわずか二カ所。しかも、ほんの少しだ。やはり、法華経は傍流としていたようだ。
訂正
ここで、正法眼蔵全五冊中、一冊目に「慧」を見つける事ができなかった、とした。
もう一度読み直してみると、
「摩訶般若波羅蜜」の章にある「色即是空、空即是色」
「仏性」の章にある涅槃経の「悉有仏性」
を「慧」としているように感じた。
内容の是非は置いておいて、訂正させて頂きます。