日蓮宗と日蓮正宗と観心本尊抄の読み方が違う。
観心本尊抄は漢文で書かれている。
以前も説明したが「此時地涌千界出現本門釈尊為脇士一閻浮提第一本尊可立此国」の訓じ方が違う。
https://ameblo.jp/kitani1/entry-12296438352.html
日蓮宗「此の時、地涌千界出現し、本門の釈尊の脇士と為して一閻浮提第一の本尊、此の国に立つ可し」
日蓮正宗「此の時、地涌千界出現して、本門の釈尊を脇士と為す一閻浮提第一の本尊、此の国に立つべし」
これに対しての日蓮宗の反論が以下である。
http://www.homyou.hello-work.jp/ron56.html
文章を読むことが大変苦手でちゃんと読んでいないので、誤解があるもしれないが、
日蓮宗は「本門の釈尊の脇士と為して」と読むべきだ、と論をはっているようだ。
一般の訓じ方は日蓮正宗の通りと日蓮宗も認めている。
また、日蓮宗も前にある
「小乗釈尊迦葉阿難為脇士」は
「小乗の釈尊は迦葉・阿難を脇士と為し」
「迹門等釈尊以文殊普賢等為脇士」は
「迹門等の釈尊は文殊・普賢等を以て脇士と為し」
と一般的な訓じ方をしている。
つまり、
・前例とは別の訓じ方をする理由
・一般的な訓じ方をしない理由
を明確にする必要があるが、
別の訓じ方もできる程度の説明しかされていない、と感じている。
(面倒なのでちゃんと読んでいない)
つまり、必然性は述べられていない。
例外的な読み方をする時は必然性がいる。