以前にも書いたが、日蓮大聖人は国主を天皇とはされていない。
「相州(執権北条氏)は謗法の人ならぬ上、文武きはめ尽くせし人なれば、天許して国主となす」下山御消息1149
執権を国主とされている。天皇ではない。
「日本国に代始まりてより已に謀叛の者二十六人。(中略)王法既に尽きぬ」秋元御書1449
天皇の時代は終わったとされている。
「仏法王法に合して、王臣一同に本門の三秘密の法を持ちて、有徳王・覚徳比丘の其の乃往を末法濁悪の未来に移さん時、勅宣並びに御教書を申し下して、霊山浄土に似たらん最勝の地を尋ねて戒壇を建立すべき者か」三大秘法抄1595
「すべき者か」と断定されていない。
また、延暦寺の戒壇は「勅許」で建立を許されている。「勅宣・御教書」ではない。
一期弘法書では「国主此の法を立てらるれば、富士山に本門寺の戒壇を建立せらるべきなり」1675
となっていて、勅宣等はない。
顕正会の浅井会長は断定するのが好きだが、日蓮大聖人は「国主此の法を立てらるれば」としかしめされていない。政治形態は変化する。断定があればかえって混乱す。今の顕正会の姿だ。