顕正会員との対論① 国立戒壇 | kitani1のブログ

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三大秘法抄 1595

戒壇とは、王法仏法に冥じ、仏法王法に合して、王臣一同に本門の三秘密の法を持ちて、有徳王・覚徳比丘の其の乃往を末法濁悪の未来に移さん時、勅宣並びに御教書を申し下して、霊山浄土に似たらん最勝の地を尋ねて戒壇を建立すべき者か。時を待つべきのみ。事の戒法と申すは是なり。三国並びに一閻浮提の人懺悔滅罪の戒法のみならず、大梵天王・帝釈等の来下して踏み給ふべき戒壇なり。

 

をもって、「国立戒壇」だそうだ。

これには無理がある。

「勅宣並びに御教書」が根拠らしい。

要するに時の権力者(主権者)によって立てるので「国立」だそうだ。

 

延暦寺の戒壇は勅宣があったが建立は延暦寺だ。

 

「国立」であれば、管理者は誰なのかとなる。「国」では困る。

大御本尊は

「日興が身に宛て給はる所の弘安二年の大御本尊は、日目に之を相伝す。本門寺に懸け奉るべし」日興跡条々事1886

とある。管理は大石寺であるべきだ。

誤解を招く言葉は避ける方がよい。

明治になり、国柱会の田中智学がつくった言葉を、一時は一般に通じやすいと考え使ったが、誤解を招くなら、使用を止めるべきである。

日亨上人、日昇上人、日淳上人、日達上人が使用されるが、

日達上人が今後使わないようにされた。

 

涅槃経の「有徳王・覚徳比丘」の関係を言えば、正法を守る僧侶覚徳比丘を命がけで守ったのが在家である有徳王だ。

日蓮正宗にいちゃもんをつけている浅井氏には有徳王の資格はない。

 

四恩抄268

故に大集経に云はく「五箇の五百歳の後に、無智無戒なる沙門を失ありと云って是を悩ますは、この人仏法の大灯明を滅せんと思へ」

失(とが)ありと沙門(僧)を悩ますのは、浅井氏だ。

浅井氏は「大灯明を滅せん」人物だ。