仏は三仏、法身・報身・応身に分かれる。
法華経では仏の久遠を示している。
法華経では、先ず法身の久遠を示す。
どこで法身の久遠を示すかといえば、文句によると多宝如来の出現で示しているようだ。
また、日蓮大聖人は
「(法華経以外では)法身の無始無終はとけども、応身・報身の顕本はとかれず」536
とされる。
寿量品で法身の久遠を説いていると考えてる学者?が結構いるらしい。
もう少し、疑問を持ちながら学んでほしい。
すでに、説いている法身の久遠を改めて説いたと考えるのだろうか。
もちろん寿量品で法身の久遠を説いていないとは言えないだろうが、根本は報身・応身をどのように見るかだと考える。