日蓮大聖人が身延山に入山されて、御宝前と多く表現されている。
建治二年の富木常忍は釈尊こそ本尊と思っていたようだ。
「然る後深洞に尋ね入りて一菴室を見るに、法華読誦の音青天に響き、一乗談義の言山中に聞こゆ。案内を触れて室に入り、教主釈尊の御宝前に母の骨を安置し、五体を地に投げ、合掌して両眼を開き、尊容を拝するに歓喜身に余り、心の苦しみ忽ちに息む」忘持経事958
と身延山に日蓮大聖人を訪ねて、富木常忍は釈尊像に母の遺骨を安置していた事が分かる。
しかし、これは「一菴室」と、富木常忍が使っていた部屋と想像される。
また、「鵞目一結、天台大師の御宝前を荘厳し候ひ了んぬ」富木殿御返事1578
「大師講」はされていたようなので、と天台大師の文字掛け軸等もあったのかもしれない。
しかし、この二文のみで後は、弘安期では、十数編全て、「法華経の御宝前」、あるいは「妙法蓮華経の御宝前」である。
日蓮大聖人の御正意は「法華経」すなわち曼荼羅本尊とよめる。