一念三千⑨ 空仮中の三諦の理解を深めるために | kitani1のブログ

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多くの学者は円融三諦が理解できないようだ。


法華経の空仮中の三諦と竜樹菩薩の中論の文と同じととらえているようだ。
「衆因縁生法 我れ則ち是れ無(空)と説く 亦た是れ仮名(けみょう)と為す 亦た是れ中道の義なり」


確かに中論では空・仮名・中道と三諦を示す。


以前も書いたが、法華経の三諦は具足を説く。
http://ameblo.jp/kitani1/entry-12059429111.html


空と仮を比べると
「空」は形として現れていない。「仮」は形をして現れている。
したがって、「空」は平等を示し、「仮」は差別を示す。


学者は、どうも、次の「中」の存在を理解していない面があるように感じる。

平等と差別だけを理解して、「中」の示す「平等即差別」を説く必然性を感じていないのではなかろうか。
そのために、経典は「空」を説くと考えているようだ。


諸法の実相は「平等即差別」にあると法華経では示す。平等だけを語れば、差別が理解できない。差別だけを語れば、平等が理解できない。


平等即差別を悟れば、六道の輪廻から解放されると考える。