「愛があれば」という表現は、明治時代に西洋からやってきた。西洋文学に影響された言葉らしい。
江戸時代にローマ字で有名なヘボンが「アガペー」を「愛」と訳した。
これは「愛があれば」の「愛」とは意味が違う。恋愛の「愛」という表現はもともと日本にはなかったようだ。
かなり古い本だが、スタンダールの「恋愛論」に「反対されると愛が強くなり、反対がなくなると別れる」というような事が書かれていた。これが恋愛の本質だと考える。
私は、恋愛は「独占欲」が本質と考えている。
独占欲が満たされないと感じると、人は必死になる。言い直せばライバルが現れると人間性が変わるときがある。
この独占欲が心地よいときもあるらしい。しかし、結婚ではそう心地よくないのではないだろうか。
江戸時代は「愛欲」と呼んだ。十界で考えれば「餓鬼界」である。恋愛状態は「餓鬼界の天界」だ。若いときや充実感のない人は、この天界を求める。中には身を犠牲にして相手に尽くすこともあるらしい。つまり、「餓鬼界の菩薩界」に昇華する人もいるらしい。
大野晋氏の「日本語の年輪」によると、西洋から入った「愛」は、異性と対等な関係から成立する恋愛を呼ぶそうだ。古い日本では上下関係から出発しているとみている。
ただ、鎌倉時代の恋愛は大変だったようだ。日蓮大聖人はお手紙に「夫(それ)信心と申すは別(べち)にはこれなく候。妻のをとこ(男)をおしむ(惜しむ)が如(ごと)く、をとこ(男)の妻に命をすつるが如く{信心と言っても特に大変な事ではなく、・・妻に命を捨てるようなものだ}」と書かれている。
私は「妻のために、命を捨てることの方が大変では?」と思った。