物質中心の世界② 物質は心を求めている? | kitani1のブログ

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【新興宗教「たまたま教」】

 唯物論は正しいのだろうか。科学が発達して、多くの現象を科学的に説明できているように考えている人は多い。実は科学では生命については何も証明されていない。単に科学的に説明しているようによそおっているに過ぎない。言い直せば、説明になっていないが科学的権威のある人が言うと、一般の人は証明されたかのように誤解している。説明は、中途半端であり、矛盾を多くかかえている。そして、矛盾点指摘されると「たまたま」と説明するだけである。たまたまならば、確かな確率を示すべきだが、確率は示されていない。言い換えれば、学者は「偶然を信じている」に過ぎないのである。科学のモットーである必然性は横に置いている。したがって、唯物論は新興宗教「たまたま教」であるといえる。


【生命の進化と心】
 例えば、進化について考えてみると、脳の中にあるという心は「なぜ必要だったのか」を唯物論で説明ができているのだろうか。また、心は今後どのように進化するのか。あるいは、進化の方向を決めるのは環境だけなのだろうか。心のはたらきがない方が、目的だけに特化した行動をし、優秀な遺伝子を遺すことができるのではないだろうか。現実の進化を見ていると、心を発達させる方向に動いているように感じる。言い直せば物質が心を欲しているように感じる。
 さらに、地球での生命の誕生についても、たまたま化学物質が生命になったというが、どの時点で生命としてのスイッチが入り、増殖・活動を開始したのか分かっていない。必要な物質が多少分かっているに過ぎない。命あれば、必ず心が存在すると考えるが、どのようにスイッチが入ったのか説明がない。


【歴史から見た心】

歴史から心について付け加えると
  ドイツの哲学者ヘーゲルは、戦乱等で閉塞感が世の中に漂うと、英雄が出現するとしている。いわゆる世界精神だ。ヘーゲルは、この英雄としてカエサル、アレクサンダー、ナポレオンを上げている。
  私自身が感じる英雄は、百年戦争を終わらせた英雄ジャンヌダルク、戦国時代を終わらせた織田信長もそれに当たりそうだ。ヘーゲルの哲学に、すべて賛成しないが、歴史を見ると、閉塞感からの解放を望む人々の心が、英雄を作り出しているように感じられる。事実を見ると「たまたま」だけでは説明不足と感じる。