「残業は丑の刻に」 作家・北村恒太郎ブログ

「残業は丑の刻に」 作家・北村恒太郎ブログ

ここは地方のあるテレビ局。普通の社屋のビルと違い、スタジオや調整室など現実離れした空間があるのもテレビ局の特性だ。つまり何かが潜む闇が多いのだ…私が直接見聞きした妖しい事実、会社伝説をご紹介しよう。

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食べる楽しみは

じつは人生のかなり大きな部分を占めている。

従ってうまいものを創造する手腕は

ノーベル賞並みの評価を受けてもいいはずだ。

しかし味への評価というやつは

個人の好みにも大きく影響されるのだ。

 

 

 

 さいはてテレビの昼のワイド番組で

料理コーナーを担当して三年目に入るディレクター・

鯵庭 功徳之(あじにわ くどし)は、

チェックしておこうと思っていたローストビーフ丼を

食い損ねた。

会議が長引いたせいだ。

むこうのテーブルで営業の若いのが

うまそうに食べているのがラストの一つらしかった。

営業の若造の幸せそうな表情から察するに

かなりの味らしい。

次の日も、腹立たしいことにギリギリで逃した。

12時すぐに食堂へ殺到したというのに。

もっと編集を早く切り上げて、12時前にくればよかった。

このところ、

新登場のローストビーフ丼は社員の中で人気急上昇で、

個数限定も手伝って、

日に日に売り切れが早まっているという。

 なんということだ、

この地域で最も味にはうるさいと自負する俺が、

お膝元の自分の会社の食堂の評判料理の味

未だに知らないとは…

 

 さいはてテレビの社員食堂は社屋の5階にあった。

もとより日替わり定食やカレーライスや

ラーメンなどの一般メニューを提供する

当たり前の大衆食堂っぽいところではあった。

そして特大ハンバーグや

大盛りナポリタンスパゲティーなどのスペシャルメニューも、

安い多いということでそれなりの人気はあった。

 ところが…

あの料理人が来てから、いささか様子が変わった。

いつも親しげに大盛りにしてくれていた

調理助手の三人のオバさんたちの態度が、

妙にテキパキして自信に満ちはじめたかと思うと、

彼女らは、客の一般社員に対して

どこかしら上から目線めいたものを向けるようになった。

明らかに誰かの感化を受けているような態度…

 あいつのせいだ。

ある日突然伝説の料理人がやってきたからなのだ。

こいつはまた、いわくつきの料理人でもあった。

 

 その料理人・織佐 真多郎(おれさ まだろう)

かつてオーナーシェフとしてレストランを経営していた。

イタリア、フランスをはじめ海外を渡り歩いて

修行をしたというが、

どの程度の修行なのか確認したものはいない。

とにかく、人が思う以上に、

自分はカリスマなのだと思い込んでいる、

(さまざまな意見を参考に、公平にみても)

早く言えば鼻持ちならない人物だった。

確かに料理の腕は巧みで、人を虜にするところもあった。

その味を求めてはるばるたずねてくる客もあった。

しかしその態度は尊大すぎた。

客に注文をつけるばかりか、

自分の作る料理以外はすべてが偽者だと

平気で断じるところがあった。

一種誇大妄想の類ともいえる。

したがって客や他店とのトラブルは数知れなかった。

そしてあるとき必然的に

決定的に運命を変えるトラブルが起こったのだ。

 

 織佐の腕前とその高慢さが逆に評判となり、

レストランに客が押しかけるようになって、

本人が得意の絶頂にいた頃だ。

ある日レストランにやってきた一人の身なりのいい客は、

織佐に勝るとも劣らぬ高慢な、

我こそはとグルメを自認する紳士だった。

その紳士は最高級のステーキをオーダーしたが、

一口口にするなり、

 「まあ、こんなもんだろうな」

と失望の色をあらわにした。

サーバーをしていたウエイトレスが、

気を利かせたつもりで、

 「お気に召しましたでしょうか」と聞くと、

 「悪くはないよ、まあまあだね」

と木で鼻をくくったように答えた。

ウエイトレスはすぐさまこれを織佐にご注進に及ぶ。

織佐はこれしきのことにたちまち逆上し、

厨房をほったらかして紳士の前に飛んできた。

さらに、口を開くなり

 「どこが気に入らないんですか!」

と食って掛かる。すでにけんか腰だ。

紳士はシェフがいきなり目の前に現れたのに面食らったが、

 「うまいことはうまいが、肉が柔らかすぎると思う、

  パリの三ツ星のやつは適度な歯ごたえがあったんでね」

と落ち着いて答えた。

 「それは本物じゃないよ、あんたは偽者を食ったんだ」

織佐は我を忘れていきり立つ。

 「客に対してその言い方はないだろう、

  私は世界を食べ歩いている。

  世界のシェフの腕と肉の味を知っている」

紳士も言い返す。

 「偽者の腕と味だろう、ここは本物を食わせるところだ、

  あんたのような人に食わせるものはない、

  もう帰ってくれ」

ついに織佐は客を追い出そうとする。

 「なんという無礼な料理人だ、きみはクレージーだ」

紳士は立ち上がる。

 「早く俺の店から出て行け、金はいらん」

 「バカにするな金は払う、それほどの価値はなくともな。

  食い逃げじゃない」

 「食い逃げ上等、出て行け!」

 「客を盗っ人呼ばわりするな、狂った無礼者!

  精神病院へ行け!」

 「帰れといったら帰れ!警察を呼ぶぞ!」

 「ふざけるな○違いめ!お前にシェフの資格はない!」

 「足元の明るいうちに帰れ!さもないと…」

織佐は、

手近なテーブルに置かれていたフォークをつかんで構えた。

テーブルについていた客たちはなすすべもなく見守る。

 「何をする気だ、

  けちな料理人風情に脅される私じゃないぞ」

紳士もまた同じテーブルに置かれていたナイフを取る。

 「やる気か、やってやろうじゃないか!」

織佐はさらにフォークを取り、両手に構える。

 「狂った思い上がりめ、思い知らせてやる!」

紳士もさらにナイフを取って構える。

かくて、片や両手にテーブルフォーク、

片や両手にテーブルナイフを構えた

二刀流同志の決闘とあいなった。

 「きえぇぇぇぇぇーっっっ!」

と、奇声を発した織佐は片手を伸ばし

その先のフォークで突きを入れる。

紳士はとっさに片手のナイフでこれを払い、

別な手のナイフで切り込む。

織佐はよけたはずみでテーブルの上に倒れ、

そのまま転がって床に落ちる。

テーブル上の、

配られたばかりのスープが次々ひっくり返り、

客たちにぶちまけられる。

立ち上がった織佐は

両手にフォークを持ったまま空中を飛んで紳士に突っ込む。

 「おりゃぁぁぁぁあ!」

紳士はひらりと体をかわし、

織佐は紳士の後ろにあったテーブル上に激突。

そこにはまるごと姿作りのサーモンステーキが乗っていた。

両手のフォークがサーモンに突き刺さり、

織佐はそれをそのまま頭上に振り上げ、

紳士に向かって投げつける。

紳士はナイフを振り回し、

巨大なサーモンを空中でぶつ切りの切り身にした。

ここで、

別なテーブルに取り皿が山積みになっているのを見た

織佐は、いったんフォークを置き、

その皿を手裏剣よろしく次々と紳士へ投げつける。

紳士は両手のナイフをあやつり、

飛んでくる皿をことごとく打ち砕いた。

さらに奇声を発した織佐は別なテーブルに飛び上がり、

さらに別なテーブルへと八艘飛びよろしく飛び移る。

紳士もまたテーブルからテーブルへ飛んで織佐を追いかける。テーブルというテーブルが踏み荒らされ、

客で埋め尽くされたレストラン内を料理や容器が飛び交い、

テーブルが倒れイスが転がる。

阿鼻叫喚の惨状だが、

客たちはなすすべもなくあっけにとられるだけだ。

ついに着地した織佐は引き続き、

目の前のテーブルに乗っていた皿を料理ごと投げつける、

同じく着地した紳士は最前と同じくなんなくこれを打ち砕いた、が、この皿にのっていたのはかぼちゃパイだった。

パイが飛び散り、紳士の顔にかかり、

その目をふさぐかたちとなった。

織佐はこの機を逃さず紳士に体当たりする。

さすがにひっくり返ってしまった紳士に馬乗りとなり、

その喉にめがけ両のフォークを振り下ろした。

その瞬間、

ばあんと乾いた音がして、

フォークは二本とも織佐の手の下で折れて吹き飛んだ。

 「止めなさい、なにをしているんだ、あんたたちは!」

凛とした声が響いて、つかつかと登場したのは、

まだ煙を吐いているリボルバーを構えた制服姿の警官だった。騒ぎを聞いて駆けつけた近所の交番のお巡りさんが、

保安官よろしく見事にこの場を治めたのだ。

 

                       (前編終わり 後編に続く)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 仕事に懐疑的になっている

報道記者・巡四郎は、

取材クルーとともに漁村での取材中に

地震に見舞われ、

さらに津波警報を聞く。

取材車に村民を何人か収容し、

クルーとともに避難させた巡四郎は、

ひとり残り、

家具の下敷きになって動けない

この家の主人の救出に向かう

 

 

 

 巡四郎は、坂道を上って遠ざかる車を見届けると、

家の中へもどった。

  大丈夫、後で追いつきます…

 何の根拠もない…無理かもしれない…

しかし巡四郎は腹を決めていた。

今こそあのときの借りを返す。

もうあんなことはしない。

二度と、後悔するようなまねはしない。

見ているだけじゃないぞ、

報道マンは高いところから眺めているだけの神じゃない。

困っているひとにはちゃんと手を差し伸べる人間だ。

及ばずとも努力をする人間だ…

                               

                             (ここまで中編  ここから後編)

 

 

 しかし目の前の状況は

努力がまるで及ばないような情態ではあった。

 「おじいさん、脚はどうです?」

 「…ま、まあ、折れてはいないと思うんだが…」

 「よし!」

巡四郎はもう一度両手で本棚を起こそうとしてみたが、

さっきと同じでびくともしない。

場所を換え、別なところから持ち上げようとしても

同じだった。

思い余ったところで、

小ぶりな箪笥が床に転がっているのが目に入った。

そのまますべらせて、

本棚とじいさんの体の間にむりやり滑り込ませる。

そして自らも床に転がり、箪笥を両脚で蹴って押し込む。

本棚がほんの少し浮いた。

巡四郎はさらに力を込め、両脚で蹴る。

箪笥はさらに本棚とじいさんの間に入り込む。

さらに蹴ると、箪笥が壊れかかってきた。

 「おじいさん、動けますか?!動いてみて下さい!」

老人はうながされて、うなりながら少しづつ出ようとする。

 「いいぞ!その調子だ!そうやって、出てきて下さい!」

励まされ、老人は両手を必死に動かし、這って出る。

 「もう少しだ!」

ついに本棚の下から這い出した。

巡四郎も本棚の下から転がり出る。

次の瞬間、本棚が箪笥を押しつぶした。

 「脚はどうですか?立てますか?」

言いながら巡四郎は肩を貸して立ち上がらせる。

 「…ど、どうにか…」

片足が思うように動かなそうだ。

 「とにかくここを出ましょう」

巡四郎が老人を抱えて出ようとしたとき、

 ドドドドドド、ザザザザザザ!

と大きな音がした。

水の音だ。

もう来た。

家が揺れると、

玄関の方から水がどんどん家の中に流れ込んできた。

遅かった。

入り口からはもう出られない。

見回すと階段の上り口が見えた。

 「こっちだ!二階へ上りましょう!」

狭い階段を老人を先に立たせ、

その尻を押して無理に押し上げて上らせる。

老人も階段を這って進む。

すぐに水が流れ込んでくる音がし、

階段の下から水が追いかけてくる気配がした。

二人とも階段を上りきり、

二階の一部屋に転がり込んだとき、

きしむ音とともに家が激しく上下左右に揺れた。

そのまま揺れが止まらない。

家が動いている。

階段下をのぞくと、水は一定のところで止まって、

上ってきはしないが、流れている。

家が水の力で土台から切り離され、

巡四郎たちを乗せたまま流されたのだ。

船が進むようにどんどん流されている。

そのうち一階が沈み、二階もバラバラになるのだろう。

しかし、いま少しくらいはもちそうだ。

巡四郎は、大災害の最中、

漂流する部屋の中で、ひととき奇妙に落ち着いた。

気を取り直すと、

いまだに放心状態らしい老人に話しかけてみた。

 「大丈夫ですか、おじいさん。具合はどうですか?」

 「…あ…ああ…大丈夫、大丈夫…」

老人は我に返ると、

 「てっきり脚はいかれたと思ったが、

  たいしたことはなさそうです、動きますよ…

  …あの、あんた、さっきから私のことを

    おじいさんって呼んでくれてるが、

    私はあんたのおじいちゃんじゃない、  

    大吉っていう名前がありますんで…」

意外にも気丈だった。

 「助けてくれてありがとう、

  あんたがいなけりゃ、今頃水にさらわれてた。

  出雲 大吉といいます。

 「いや、どうも失礼しました。俺は俊 巡四郎といいます。

  さいはてテレビの報道部記者です」

 「テレビの記者さんでしたか…

  最近の記者さんは報道ばかりでなく、

   人助けもしてくださるとは…いや、ありがたいことだ」

 「困ったときはお互い様ですからね」

だがそのおかげで、今や自分も危機の真っ只中だ。

 「しかし、出雲大吉さんとは縁起のいい名前ですね、

  いつも大吉…」

 「そうですとも、名前のせいでいつも運がいいんです。

  この大津波の中で今は無事でいる、

  一緒にいるあんたもだが。

  ばあさんもきっと無事だろう…」

楽観的な人だった。

だが、二人の状況はどうみても楽観できるものではない。

二階の窓からのぞくと、

家はどんどん陸地の奥へ奥へと流されていた。

もとの浜辺からは遠く離れているが、

いまやあたりがどこも海だった。

 

 家はどうにか沈むことなく流れ続けていたが、

流れる速度が遅くなってきた。

それと同時にあたりが暗くなってくる。

夜が近づいてきたのだ。

 

 どうなるのだろう。どこが終点なのだろう。

窓の外をのぞいてもまだ一面の水だ。

薄暗いため、窓のガラスに二人がいる室内も映っていた。

部屋の壁に鏡がかかっている。

その鏡もガラスに小さく映る。

鏡の中に二人がいた。

二人の後ろ姿。

一人は大吉さん、もう一人が自分のはずだ。

さいはてテレビのジャケットを着た後ろ姿。

この姿を前に見ている…

どこで?…確か…?…

 

 …思い出した!

あの、来るときに見た、行列の中にいた一人だ!

かつて取材中の自分が知らずにカメラに写りこんでしまい、

編集のとき自分の後ろ姿を自分でカットしたことがある。

 見覚えがあったはずだ、

 あの行列の中のさいはてテレビのジャケットの後ろ姿は

 自分だった…?!

 どういうことだったんだろう…?

 

 巡四郎はとうとう思い当たった。 

 もしや…

 もしや…

 あの行列は、〝予感〟ではなかったのか…

 白昼夢として見た〝予知夢〟だったのでは…

天に昇っていった行列は、

あれは…

この災害で《犠牲になった村の人々》

だったのではなかったのか…

その中に《自分もいた》のだ。

これからすぐ先の未来のかたちが見えてきた。

じつに納得できるものではあった。

そうか、そういうことだったのか…

ここに至って、今やっとわかった…

 

 このとき、部屋が大きくきしんで、家が激しく揺れた。

柱らしい木が折れる音、壁が崩れる音。

家が裂ける。いよいよその時がきた。

巡四郎は身構え、大吉に近づくと、

その肩をしっかり抱えた。

 「大吉さん、そろそろ家が壊れるかもしれない…」

 「そうか…、私は病気も怪我も事故もよせつけない、

  運がいいことだけが取り柄だったんだが、

  災害とは…」

ひときわ大きな衝突音がして、二人とも身を縮めたが、

すぐに静かになった。

それからしばらくは何事も起こらなかった。

もう水の音もせず、静まり返っている。

部屋の中も暗い。

すっかり夜になっていた。

 

 恐る恐る家の外をのぞいてみる。

闇をすかして山が見えた。

両側に尾根がそびえている。

ここは最初に村へ下りていくときに通った山の上だ。

家の下に水はなかった。

水はもう引いていた。

一階部分がすっかり倒壊して、

二階の一部屋だけになった家は山に乗り上げていた。

 

 大吉の言ったとおりだった。

二人は運よく難を逃れたのだ。

 ではあの、

自分が確かに見た予知夢は何だったんだろうと、

巡四郎は思った。

 つまりは可能性のひとつだったということなのか。

予知が現実になるということは、

占いが当たるということに似ている。

天気予報だって大雑把にしか当たらない。

要は確立の問題であり、

100パーセント的中することはない。

未来は定まることなく常に揺れ動いている。

むやみな悲観も楽観もいらない。

その場に応じて

自分ができる努力をしてみることなのだろう。

この先も揺れ動く未来に応じていくしかない。

 ともあれ、今回大吉の救出を手助けしたことで、

かねてより抱き続け、悩まされ続けてきた

ひとつのわだかまりを

とりのぞくことができたことは確かだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 自分の仕事に懐疑的になっている

 報道記者・巡四郎は、

 取材クルーとともに漁村へ向かう途中、

 大勢の行列とすれ違うが、

 行列に気づいたのは巡四郎だけだった…

 

 

 

 

 

 …車はどんどん通り過ぎる。

行列は見る見る後ろへ遠のく。

 「どこですか?」

 「あっちだって!」

ちらりと振り返ると、行列はますます遠のいていく。

視線を前方にもどすと、

ルームミラーに長い行列の後ろ姿が映っている。

彼らは山へ上っていっている。

いや、山を越えてさえいた。

山を上りきって、空へ…

空へ向かっているように見えた。

行列の先端は空へ登っている?!

空中を?まさか?!

目の錯覚か?!

振りかえってしっかり確かめようとして、

あらためて自分が車を運転していることに気づいた。

あわてて前方を見すえる。

車はカーブにさしかかっていた。

そこを曲がりきってしまうと、

行列は完全に見えなくなってしまった。

結局、乙吉も映蔵も行列には気づかなかった。

あの同じジャケット姿の男…たぶん男だろう、

あの後ろ姿には見覚えがある。

どこかで見ている。どこで見たんだろう…

 いや今は、それよりもまず仕事、取材だ…

 「ここをまっすぐ行くと、漁協だったな。

  とりあえず漁協に行くか…」

 「役場はあとにしますか…」

車は村の入り口に着いた。ここから村が見渡せる。

 

 …しかし…

あの行列は何だったんだろう…

あれだけの人が村を出て行ったということになる…

誰かに、何があったのか一応確認しておかなければ…

 「とりあえずここから漁港全体の画を撮っておこうか」

全員取材車を降りて準備しはじめた、

まさにそのときだった。

                   (ここまで前編 これから中編)

 

 

 

 いきなり地面が柔らかくなった。

足元がぐにゃぐにゃ動き、

立っていた巡四郎たちは倒れそうになる。

揺れているのだ。

波打つように大地が大きく揺れている。

  地震だ!

何の前触れもなく、準備もなく地震がきた。

何かにつかまらなければ立っていられないほどだ。

逡 巡四郎(しゅん じゅんしろう)音声担当・舞久乙吉(まいく おときち)

カメラの里在映蔵(りある えいぞう)

なすすべもなくよろめく。

しかし巡四郎はよろめきながら叫んだ。

 「カメラ!カメラを回せ!撮るんだ!」

いまごろ、本社の報道デスクの天井に据え付けられて

回しっぱなしになっている定点観測カメラは、

あわてふためく部員や、デスクの上から落ちる物、

もしかしたらひっくり返る本棚なんかも録画しているだろう。

しかし出先のナマの風景を、

人間の視点でとらえられるカメラは少ない。

視聴者提供の携帯のカメラの映像より、

プロの報道カメラのほうが、

しっかり鮮明に、ツボをおさえた映像を撮ることができる。

貴重な資料映像になりうる。

そこは乙吉も映蔵も心得ていて、

揺れる中、一瞬で収録態勢に入り、

揺れる大地、揺れる車、揺れる木々や電柱、

落ちる屋根瓦、崩れるブロック塀と、

ナマの轟音とともにたちまち次々とカメラにおさめていった。

退屈な取材のはずが一転して

貴重なスクープ映像収録になった。

 「…今度は俺を撮れ!」

巡四郎が叫ぶ。

映蔵はカメラを向け、乙吉はガンマイクを向ける。

巡四郎はカメラをにらみ、

震える声で叫ぶ。

 「…地震です…いま…こちらの漁村に…

  …地震がきています…ごらん下さい…

  …立っているのもむずかしいほどの…」

レポートの途中で地震は止んだ。

 「…あ、…心なしか揺れが少なくなってきました…」

もう揺れてはいなかった。

巡四郎の脚が震えているだけだ。

このとき携帯が鳴った。

映蔵はここでカメラを止めた。

やはり報道デスクからだった。

デスクは、取材クルーはみんな大丈夫だったか?

と安否を問うのもそこそこに

「撮ったか?」ときいてきた。

 「撮りました。地震の最中のレポートもあります」

 「よくやった。それを次のニュースに間に合わせたい、

  いや、特番になる、報道特番だ、

  早く誰か持ってきてくれ。

  で、君はもっと被害を取材しろ、

  レポートもやっておくんだ、あとでまた連絡する…」

本社は蜂の巣をつついたような騒ぎになっている。

漁村は過疎ぎみなせいか、

まだ大きな騒ぎは聞こえてはこない。

しかしともかく被害の取材をしよう。

遠くで救急車らしいサイレンの音が聞こえている。

近くの家々は塀が崩れたり、

庭の石灯籠が倒れたりしている以外は、

表立って大きな被害は見えない。

傾いている家は見えるが、

倒壊したほどの家はないようだ。

 「ひととおりこのへんを撮ってから、

  漁港へいってみよう。

  その後、乙吉くんはテープを持って本社へ戻って…」

と、巡四郎が乙吉と映蔵に今後の予定を話し始めたとき、

 「…助けてください!誰か助けて!…」

と、白髪の腰の曲がった婦人が、

目の前の傾いた家からよろけて出てきた。

髪が乱れ、羽織っているカーディガンの一部が破れている。

 「…うちの主人が…、おじいさんが…」

しどろもどろであわてふためいている。

 「…どうしました?!大丈夫ですか?」

巡四郎はとっさに婦人を支えるように抱きかかえる。

 「…あの…あの…うちが…揺れて…棚が…」

その人は震えながら自分の家を指した。

 「よし、俺はちょっと見てくる。

  君たちはここにいろ」

巡四郎は乙吉たちに言い残すと、婦人を託して、

曲がって斜めになったその家の入り口から中に入った。

 

 床に横たわったおじいさんらしい人の上半身が見えた。

近づくと腰から下が大きな本棚の

下敷きになっているのがわかった。

あの人のご主人らしい人は、頭の一部も打ったらしく、

白髪に血がにじんでいる。

その人は巡四郎を見とめると、

 「…いやあ…急に地震がきて…本棚が倒れないように…

  おさえようとしたんだけど…逆につぶされてしまって…」

と、情けなさそうに言った。

口調はしっかりしている。傷はひどくはないらしい。

 「まってください、いま…」

巡四郎は本棚を持ち上げようとしたが、びくともしない。

扉つきの、いかにも頑丈そうな、木でできた重い本棚だった。

これは巡四郎ひとりでは無理だ。もっと人手がいる。

しかもこのじいさんは脚が折れている可能性もある。

 「ちょっと待っていてください、すぐ戻ります」

巡四郎が外に出て、

乙吉と映蔵に声をかけようとしたそのとき、

サイレンの大音響が響きわたった。

電柱につけられたスピーカーからだった。

さらにひっ迫したアナウンス音声が追い討ちをかける。

 「緊急避難指令、緊急避難指令!

  直ちに避難して下さい!直ちに避難して下さい!

  津波の襲来が予想されます!

  村民の皆さんは海岸から遠ざかってください!

  海岸から離れたところに避難してください!

  津波の襲来が予想されます!…」

 なんてこった!うっかりしてた…

海岸で地震とくれば、津波が来るんだった…

ぐずぐずしてはいられない。

 風が吹いてきていた。海のほうから吹いてくる。

一刻の猶予もない。

考えているひまはない。

 巡四郎は呆然としたままの婦人を

無理やり取材車に押し込む。

と、彼らの横を急ぎ足で歩く人が出てきた。

この村の人たちだ。

その数はどんどん増えてゆく。

走り出す人もいる。

 「きみたち!」

巡四郎は乙吉と映蔵に言った。

 「この人と一緒にすぐにここから逃げてくれ!

  あと何人か乗れるな、もっと村の人を乗せていくんだ!

  急げ!」

 「俊さんはどうするんです?!」

 「心配するな、俺は後から行く」

 「し、しかし…」

 「いいから急げ!」

 「おじいさんは?!おじいさんは?!…」

婦人は車の中から巡四郎に向かって悲痛に叫ぶ。

 「大丈夫です、俺がなんとかします。

  必ず後で追いつきますから、信頼してください。

  とにかく先に行ってください」

 「で、でも…」

婦人の声を巡四郎は聞き流した。

 「とにかく早く…

  …皆さん、この車に何人か乗れます、

  乗ってください、早く…」

あたりを走る人に叫ぶ。

何人か足を止めて取材車に乗り込んだ。

 「よし、行け!もう行くんだ!」

取材車が超満杯になったところで巡四郎は乙吉に言った。

 「じゃあ、俊さんも無事で…」

乙吉は車を発進させた。

 

 巡四郎は、坂道を上って遠ざかる車を見届けると、

家の中へもどった。

  大丈夫、後で追いつきます…

 何の根拠もない…無理かもしれない…

しかし巡四郎は腹を決めていた。

今こそあのときの借りを返す。

もうあんなことはしない。

二度と、後悔するようなまねはしない。

見ているだけじゃないぞ、

報道マンは高いところから眺めているだけの神じゃない。

困っているひとにはちゃんと手を差し伸べる人間だ。

及ばずとも努力をする人間だ…

                    

                           (中編おわり 後編につづく)