今日はバースデイ休暇もあり、ゆっくりしている訳だが、


朝の冷え込みは厳しかったですね。 『きたむ』です。




今日は暇なので嫁の送迎をした訳だが、帰り道交通取り締まり車両をみかけた。


そこで、疑問に残った事を書きます。


オレはスピード違反は免許取立て頃してしまったが・・・


この前違反車両の一部始終を現認したら、取締り方法が悪質と見たのは俺だけであろうか?



違反車両は流石に50キロ制限で100キロ以上、間違いなく交通違反である。


それを追跡する車両(通称:白バイ)後に違反車両が検挙される。



上記の事だけを見れば問題ないかと思うが、要はその流れである。


まず、緊急車両の制限速度は80キロだったと思う。


さらに追跡車両については、制限速度の適用に除外される。



今回の事例は、猛スピードで追跡し、赤色灯を点灯せずに追跡した事に問題がある。


通常であれば追跡車両が停止時、該当車両を計測した後違反と判断、後に赤色灯を点灯させ追跡する。


その後、サイレンを流し、停止を促す。



この状況下に第三者がいて問題がある場合は違反を取り消されることもあるのではないか?


ていうか取り締まる側が違反している。


取り締まりも、日本の治安を取り締まる側なんだから、ミスなくしっかりやってほしいものですな。。。


警察官幹部が飲酒で捕まっている事もあったし、肝心の警察より、企業での飲酒による対応の方が


しっかりやっている様に思える。ていうかやっている。



これじゃ信頼もクソもないよな。もちろんごく一部の人間だろうけど。


最近、不景気の大きな顔が現れ、休みの日の遊び方を少し変えた。



出来るだけお金を使わない方向に・・・



ゴルフを行く回数を減らし、完全にスロットを撤退し、月額で遊べるサミタでスロットをやっている。



サミタが気になる人→サミー777TOWNを検索してくれ。



おもろいけど、別にお金がかかる部分があるのでそこは気をつけて。



前から思ってたけどパチンコ・スロットにもプロという人が存在する。



中にも自称プロとかいるけど、普通に考えればその存在は社会では完全に否定される。



しかし、中に大手雑誌のライターさんとかはスロットでご飯食べてるとか言ってるけど、



ちゃんとした社会人であり仕事に専念し、その金で生活している。



仕事にパチンコ・スロットのデータ取り・解析・イベントの設定・論文等が含まれているからだ。



では自称プロとは?なんぞや???



どこの業界にも所属しておらず、サイト等の開設もなくて定職に就かず終始パチンコ屋にいて、



その収支で生活している。いわゆるパチンコニートだ。



いくらこの国が平和だといっても、こういう人はさすがに社会としては認められない人種である。



要は楽しさだけで生きている。自由本望の人間である。



日本の未来のためにもさすがに仕事について、その金でパチンコをしてほしいものだ。



オレがスロット好きであっても、最近の5号機については完全に失望する。



いくら国がギャンブル性があるからといって、5号機へ移行するのはいいけど、



5号機になって、パチンコ屋の絡みから、さらにギャンブル性が高まっている・・・



しかも4号機の方が解析要因がわかりやすいのに対し、5号機はいくらか回さないと解析要因がはっきりしない



現実がある。しかも最近の機種については、ART(アシストリプレイ)の突入契機が確率方式になっているのは、



さらにギャンブル性が高く設定が1だろうが6だろうが負けやすくなっている。



もうさすがに打つ気がでない・・・5号機でも出るといっている人もいるがそれはホントであるが、



その確率は4号機時代より遥かに劣る事だ。1日まるまる打たないと期待収支の割がでない。(理論的に)



ライターさんでも理論派の方もいらっしゃるが、実際理論的にその話に大きな矛盾がある人もいる。



オレも某雑誌で手に入れた子役カウンターと解析情報を手に取りスロットを打っていた訳だが



優良店以外はほとんど使うことに、一文句いってくる。。。



最悪店ではパチンコの玉止めボタンが外されていたり、お店に有利なとこもある。



こういう店こそ違反しているのではないかと・・・これって風俗法に違反しているのかな?



もしNGなら摘発してほしいけど。



まあいいや。もう寝る。

2000年元旦、オレは当時の付き合いだった女友達と2人で神宮前に車でいった。


あの頃は、(今も?)皆が騒ぎ『おめでとう★』という声に自分も心が震え叫んでいたほどだ。




東京には色々思い出がある。



当時親友が都内に暮らし、オレは茨城の田舎の町に仕事で通っていた。



当時の彼女と別れ、一人人間不信になりながらも親友に将来の不安を打ちあかした。



『東京に来ない?』



もう20代中盤にさしかかったオレにとって、この話も微妙な事である。



けど、外車の借金も払い終えたし、仕事も契約社員だったので辞め、



あと一回バカやってもいいかな??と思い始める。



とりあえず、船橋のマンションに住んで、東京で働き始める。



親友の知り合いで、音楽関係の人や芸能人の知りあいだの色々な人に出会った。



話してる間に意気投合し、バンドやらない?って話になる。



昔、バンドを組んでた事もあり、歌がかなりうまいと自負しているオレにとって



これも青春だと思い、喜んで引き受けた。



ある程度まとまってきた後、教会で歌ったり、さまざまな路上で歌って周りにリピーターも増えた。



けどこの時点で、オレ自身あと少しだけと区切りのタイミングを計っていた。



2002年ワールドカップ開催の年



新宿の駅前で『ニッポン』と大きな声で木に登り警察に補導される所を、



ニュースでテレビに映ったらしく、親から連絡が来る。



『いつまでこんなバカなことやってんの?』



全てが吹っ切れた



オレは並の人間。並の生活しなきゃ・・・



一か月以内にマンションも引き払い、3年ぶりに実家に帰る。



そこから仕事をし、新たな仲間ができ、もう6年・・・



今は千葉に住んでるけど、あの時の思い出は一生忘れない。



当時の友は皆バラバラになり音信不通。親友は現在海外に在住している。



青春は35まで、まだいけると思うがもうバカはできない。



人生楽しまなきゃね☆