「もうみんなで死んじゃおっか」
僕が中学二年生の時に、母親が僕と妹に言った言葉です。
こんな事を書いたところであなたは、
「どうせ冗談半分にいったんでしょ?」
と思うかもしれません。
しかし、これは大真面目に母親が僕らに言った言葉です。
そのくらい当時は追いつめられていたという事でしょう。
最初から暗い話をした上に、自己紹介が遅れて申し訳ありません。。
初めまして、北川智滉(ともひろ)と申します。
現在は、法政大学経営学部に二年生として通っています。
ブログタイトルやこの文章の冒頭などを読んでもらえれば分かると思いますが、
僕の家は普通の一般家庭とは環境が違います。
波瀾万丈だった数年前に比べれば今は大分落ち着きました。が、
まだまだ家庭の状況的に厳しいことには変わりがありません。
僕はこの状況を打破すべく、そして自分の夢を叶え、人生を精一杯楽しむ為に、「起業」をします。
何故、起業をしたいと思うようになったのか。そもそも何故、起業なのか。については後々書いていく事にします。
小学生の頃、僕は運動大好き少年でした。
同じマンションの友達と毎日日が暮れるまで遊んでいました。
母親は、毎日3食美味しい食事を作ってくれて、父親は、休日にはキャッチボールや釣りに連れて行ってくれました。
この頃は母親が専業主婦、父親がネオンの会社を経営していました。
裕福ではないですが、普通の「中流家庭」として特に大きな不満も無く楽しく毎日を過ごしていました。
そんなありふれた普通の幸せな家で育ったのですが、小学校を卒業する辺りから若干雲行きが怪しくなってきます。
徐々に父親と母親が口論をする回数が増え、中学に入る頃には家庭内別居のようになっていました。
この頃、父親の会社の経営状況が悪化し、借金を抱えているようでした。
毎日のように家の電話に、オ○コやマ○イなどのカード会社から電話がかかってきていて、母親に言われた通り、「今両親は仕事でいません」と答えるようにしていました。
電話がかかってくるたびにビクビクする毎日です。
そして、ついに決定的な出来事が起こります。
父親が、母親のカードを無断で使ったり、母親の口座から勝手にお金を引き出していたりしたことが発覚したのです。
この事件により、ついに堪忍袋の緒が切れた母親は離婚を決意。
離婚後、父親は自己破産手続きをしました。
母親は、自己破産こそしなかったものの、父親が残した借金は今でも残っています。
「もうみんなで死んじゃおっか」
・・・母親にそう言われたのはこの頃でした。
そんな大変な時期に、肝心の僕は何をしていたのか?
・・・なんとゲームセンターに通い詰めていました。。
今思い出しても黒歴史なのですが、その当時、家にいればカード会社からの電話が掛かってくるし、母親はいつも「お金がない」が口癖でした。
少しでも現実から逃げたくて、家に帰りたくなくて、ずっとゲームセンターの競馬のメダルゲームにハマっていました。
中学3年生~高校2年生までの間は、このゲームセンターに通い詰め、バイトで稼いだお金などもすべてつぎ込んでいました。
本当に充実感の欠片も無い、空虚な毎日でした。
そして、高校三年生に上がったとき、今までの人生で一番の転機が訪れます。
その転機とは、「大学受験」です。
あるとき、いつも通っていたゲームセンターがつぶれました。
3年近く通っていたので、それはもうショックでした。
でも同時に、「この3年間何をしていたんだろう」と思うようになったのです。
そして、徐々に現実を見るようになり、家庭状況や母親の大変さを再認識しました。
『このままじゃやばい』
そう思った僕は、必死に勉強し、一年間で偏差値を30近くあげて、なんとか法政大学に合格することができました。
大学受験は、僕の中で大きな価値観の変化を引き起こしました。
高校3年生から受験までの一年間は、人生で一番辛かった時間でしたが、同時に人生で一番充実した密度の高い時間でもあったのです。
ゲームセンターに通っていた3年間を思い出すと、「なんて時間を無駄に使っていたのだろう・・・」と思ってしまいました。
その時から僕は、今後の人生を精一杯有意義に使おうと決意したのでした。
起業したいと思うようになったのはこの頃からです。
恐らく、自分が稼いで家族を養わなきゃいけない!と潜在的に思っていたからだと思います。
今では、はっきりと自分が起業したいのは、「人生を楽しむため」だと分かっています。
自分が人生を楽しむ為には、俺の周りの人々にも人生を楽しんでもらわなければならないからです。
ちなみに、言うのを忘れていましたが、父親は現在70代です。
母親との歳の差結婚だったようで、僕が小学校の頃にはすでに60代でした。
そんな70代の父親は今何をしているのか?
・・・分かりません。
たまにメールをやり取りしますが、離婚後一回も会っていませんし、何で生計を立てているのかもわかりません。
払っていないので年金も貰えないはずですし、本当にどうやって暮らしているのか・・・
あなたはココまでの父親に関する話を聞いてどう感じたでしょうか?
「最低な父親だな!」
なんて思いましたか?
実は僕はそういう風には思っていないのです。
確かに母親のカードを勝手に使ったり、口座から引き落とすのは悪い事です。
でも、当時父親は60代です。
当然、転職先などありません。
母親は仕事をしていませんでしたし、そうなれば必然的に家計の収入源は父親です。
その父親の最後の砦である、会社を潰してしまったらどうなるか?
・・それはすなわち家計の崩壊でもあるわけです。
僕が思うに、父親は借金をしてでも母親から無断で金を盗ってでも、会社を生き延びさせるしか無かったんだと思います。
家族を支える為に。
会社を経営していた頃の父親は、夜は遅くに帰ってきて、朝は日が昇るよりも早く家をでていました。
当時、よく体が持つな・・と思ったものです。
そして現在、母親は、昔とったケアマネージャーの資格を活かして働いていますが、1つの職場だけでは当然家計は支えられず、深夜の医療系テレフォンセンターの派遣をやっています。
多い時では③連続で夜勤をやっていて、心身ともに疲れきっている様子です。
ここまで、僕の家庭の話をしてきました。
不幸話を聞かされて、もしかしたらあなたは不愉快に思われたかもしれません。
しかし、これはすべて現実の話なのです。
コレを書いている間にも母親は夜勤の仕事に出かけています。
僕は、この状況を打破したい。
長男である僕が生まれてから今日に至るまで、両親は日々の大半を育児と仕事に費やしてきました。
だから、そろそろ楽になってもらいたい。
僕がお金を稼ぎ、仕事やお金に悩まされずに好きな事をして日々を過ごしてもらいたい。
そして、自分の周りの人達と共に人生を精一杯楽しみたい!
長くなってしまいましたが、これが僕が歩んできた19年間の簡単な流れです。
大学に入ってからのこと、起業に向けての活動・壁・悩み、今やっていること、将来の夢など、書きたい事はまだまだ山ほどあります。
それについての話は、また別のページで書こうと思います。
このブログでは、僕が、起業に向けて進んでいく様をリアルタイムで更新していくと共に、今日までに学んだ事や経験を同じ様な道を志している人達の糧となるように発信していきたいと思います。
