「いいですか、〈本当の自分〉などというものを追いかけてはいけませんよ」と、スズキ氏は忠告した。


「あなたは今日からサムライです。なりたい自分を探すのではなく、与えられた役目を果たすのです。そうすれば、あなたの悩みは消えるし、成功できるのです」


サムライと名付けられた青年は、神妙な顔付きで肯いた。



これより三時間ほど前のこと。スズキ氏はアメリカ西海岸の空港に降り立った。


Hello! My name is Ichiro Suzuki!


スズキ氏はいつものように腕を広げ、大きな笑顔を作って自己紹介をする。


Oh! Yes! My name is same as the famous major leaguer.


「私の名前は、あの有名なメジャーリーガーと同じです」


このセリフも毎度のことである。


Hello!

Hello!

Hello!


My name is,

My name is,

My name is…


彼は空港に降り立つと、人が変わったように声が大きくなり、飽きることなくこのセリフを繰り返す


そのたびにアメリカ人たちは目を大袈裟に見開いて、



Oh! Ichiro!



とテレビのアナウンサー同様に「イ」にアクセントを置いて驚きの声をあげる。


まったく、どいつもこいつもそっくりだ。


スズキ氏は、そんな気持はおくびにも出さず、セリフを続ける。


But in fact, I’m better player than him. 

(しかし実はですね、私の方が彼よりも良い選手なんです)


In the field of advertising business. 

(広告ビジネスのフィールドではね」


ここでウインクをしてみせる。「ちょっとしたジョークですよ」というサインなのだが、これはさすがに自分でやっていて気持が悪い。身も心もアメリカ人に売り渡した気分である。


しかし、スズキ氏はこのスタイルを変えるつもりはない。


アメリカでのビジネスでは、第一印象がその成否の八割を決めしまう。

好印象を確実に与えなくては、ヒットは生まれない。必要なのは、率直さと愚鈍さ。あるいは自己主張と下らないジョーク。

つまり自分がアメリカ人的感覚を身に付けていることを示すのだ。話の中身は陳腐でも、そのインパクトを伝えることが結果につながる。


これこそが、若手ビジネスマン・スズキイチロウ氏が確立した、世界で戦うためのフォームである。



二人のアメリカ人に迎えられたスズキ氏は、そのまま目的地である郊外へと車で向かった。

スズキ氏は、アメリカを本拠とする巨大広告会社の社員である。

世界各地に支社があり、グローバル企業の広告事業を支援する。

分かりやすく言えば、世界中で同じようなテレビCMを流し、世界中の人々の頭の中を似通ったものにするのが業務である。


スズキ氏は日本支社の若きアカウント・ディレクター。

つまり、営業部門のトップである。まだ三十歳。能力重視の社風だが、三十歳でこの地位に就くということは異例中の異例だった。


しかし、スズキ氏はまだまだ不満である。オレはまだまだ上にいける、と考えている。


フロントシートに座っているのは、アメリカ本社の白人男性社員。見たところ、スズキ氏と同年代だ。役職はスズキ氏の方が遥かに上だが、彼らにはへりくだった態度は見られない。その理由を彼はこう分析する。


彼らはアメリカ市場というメジャーにいる。一方の自分は、日本にいる限りマイナーリーガーなのだ。


「そういえば、ミスター・スズキ。最近メジャーリーグのスタジアムには、ますます日本企業の広告が目立つね。あれは、あなたが手掛けているのかい?」


助手席に座る丸い顔の男が、話しかけてきた。


「いや、あれはウチではないよ。日本のエージェンシーの仕事だね」


「やはりそうか。ミスター・スズキなら、あんなバカな仕事をするはずがないと思っていたんだ。日本語の看板を見ても、アメリカ人はまったく理解できないからね」


そう言って肯く丸顔を見ながら、スズキ氏は、何てバカな奴だと心の中で罵った。