携帯電話という便利な道具がないと、日常が違った様にみえたりする。

そんな俺は携帯電話を持ち歩くことがない。

友達とメールするのもつまらなくないけど、自由な時間ですら変に縛られてる感じがする。
親には監視されるし、ここに連絡すればいつでも繋がれる、って思われるのも違うと考える。

中学生の初め、母親に携帯を買ってもらった喜びを覚えている。

息子が頭を使わなくなるようなことはしないという育て方を、俺は昔から母親にされてきた。
それは決して間違ってないし納得もしていた。

だから携帯を買ってくれた時は、いっそう喜んだ。

しかし、俺は持たせてもらえなかった。

携帯電話に息子を登録させ、学割プランを使って基本料金を安くし、母が使うのだった。

俺はただ利用されただけだったのだ。

俺を産んだ親だから、何らかの教育的な配慮を考えて、登録してすぐ取り上げたのだと思う。
お金を安くするためだけだとすれば、親としての了見がない酷い大人だ。
俺は何か深い意味があったと信じたいし、そうでも考えないとやってられない。

携帯を持つ習慣がなかったからか、携帯電話を親から譲り受けた時には、携帯電話を携帯するイメージはなかった。

携帯電話というネーミング自体、俺は気に入っていない。

携帯しろよ、と言わんばかりの名称というか。
携帯すれば電話もするしメールもするから、お金を巻き上げることは出来る。
そんな風に携帯会社が有利な様に振り回されてないか、と言いたくなる。

それをPHSにしてからというもの、肌身離さずといった状況なのだ。
携帯しろと言う強要がなくなると、ほぼ同じ機能であっても、携帯してしまうものなのだ。

そんな俺は携帯電話を持ち歩くことがない。

だってPHSだから。