これから2040年に向かって団塊の世代が大量死する多死社会へと向かっていくのは皆様ご存知だと思います。
そのピークが過ぎた5年後くらいから、寺院経営が本格的に行き詰まりを見せ始めると私は考えております。
日本の多くの寺院は檀家寺であり、その多くは葬儀代を主な収入源としています。
団塊の世代が大量死する頃までは、なんだかんだ葬儀の話が舞い込んでくるでしょう。
しかし、団塊の世代を送った後、葬儀が激減することは明白です。
また地方寺院では、親世代は地元にいてくれても、子供世代は都市部へ出ているご家庭も多々あるでしょう。
葬儀を最後に「今後のお付き合いはご遠慮願います」となることは必至と言えます。
地方寺院から始まり、多くのお寺が経営不振に陥ることでしょう。
最近の住職は、「我が子に僧侶の資格を取らさせない」人が増えてきています。
「自分の世代はなんとか逃げ切れるが、息子世代では食べいけるとは思えない」なので息子は僧侶にならず、一般職で生きていくよう伝えているようです。
人口減少、葬儀の簡素化による寺院の収入減少、この大まかな流れは今後も変わらないと思います。
ですから、「これから多死社会を迎えるまでに、どれだけお金を蓄えて、そのお金を運用に回して最低限の生活ができるようにまで育て上げるか?」が今後、仏教寺院の明暗を分ける課題になると思います。
近い将来、檀務だけで満足な生活を送ることは無理な時代が来ます。
サラリーマンや公務員をしながら副業で檀務をするのが当たり前になると思います。
本来、僧侶という生き方はそんな片手間で出来るようなものではないのですが…。
こんな話をしていると「坊主が金の話ばかり」と言われることが多いのですが、お金がないと寺院経営は成り立ちません。これは不動の事実です。
明治維新以降、高野山や各本山も、資金繰りには常に脅かされてきました。
今後の寺院の存続を憂いつつ、檀信徒の方々への負担を極力無いようにと奮闘してる僧侶と、のんびりのほほんとしてお金が困ったらその都度寄付を呼びかけて自分自身は何もせず、ジリ貧でお寺を潰す僧侶と、どちらが良いでしょうか?
改めて考えていただきたいです。