第三章 ドキドキが止まらない

 

あっ、やだ、ボディーガードだった、だから私に優しく接してくれて、守ってくれるのは当たり前だった。

 

「まりえさん、食事出来ましたよ」

 

「は、はい、今行きます」

 

キッチンに向かうと、真山さんが椅子をひいてくれた。

 

「ありがとうございます」

 

「簡単なメニューですみません」

 

「そんな事ないです」

 

そして食事を済ませてシャワーを浴びた。

 

「自分もシャワーを浴びてきますので、早めに休んでください」

 

そう言って真山さんはシャワールームへと消えた。

 

リビングのテーブルに真山さんのスマホが置いてあった。

 

急にスマホが鳴った。

 

誰?彼女かな。

 

「まだお休みにならなかったのですか」

 

真山さんは上半身裸でバスタオルを頭から羽織って出てきた。

 

「服来てください」

 

「すみません、いつもの癖で」

 

私は男性の裸に免疫がない。

 

お父様でさえも私の前では裸を見せない。

 

真山さんは鍛えられているせいか、筋肉が程よくついていて、頼もしい限りだ。

 

若いからか、シャワーの水を弾いてとても光っている。

 

真山さんは私に言われて寝室へ駆け込み、服を着て出てきた。

 

「真山さん、スマホ鳴ってましたよ」

 

「あ、すみません」

 

真山さんはスマホの着信履歴を確認して「ちょっと失礼します」と言って、廊下に出た。

 

そしてスマホを鳴らした。

 

「あっ、ごめん、仕事が入ったんだ、しばらく無理だな、また連絡するよ」

 

真山さんの話声が聞こえてきた。

 

彼女さん?

 

真山さんはリビングに戻ってくると「すみませんでした」そう言ってスマホをテーブルの上に置いた。

「いいですよ、デートしてきても」

 

「えっ」

 

「今の相手、彼女さんでしょ」

 

「ああ、違います、自分の飲み友達です」

 

「別に嘘つかなくても……」

 

「嘘じゃないですよ」

 

真山さんはテーブルのスマホを開いて私に画面を見せてくれた。

 

着信履歴の相手の名前は山村源太となっていた。

 

「どうして見せてくれたんですか」

 

「疑われたままは嫌なんで、分かって頂けましたか」

「私は真山さんの奥さんでも彼女でもないんですから、そんなに必死に弁解しなくてもいいと思いますけど」

 

「この仕事は信頼されなくては成り立ちませんので」

 

「もう、分かりました、ではおやすみなさい」

 

私は自分の寝室へ入った。

 

私,真山さんにヤキモチ妬いてるの?でも彼女じゃなくてホッとしてる。

 

ドキドキと鼓動が鳴り響いて一睡も出来ずに朝を迎えた。

 

キッチンで真山さんが朝食の支度をしている音が聞こえてきた。

 

そっとドアを開けると、私の姿に気づき、真山さんが挨拶してくれた。

「おはようございます、すぐに朝食が出来ますので少しお待ちください」

 

真山さんは手際がいい、私はのんびりしていて、支度にも時間がかかる。

 

昨日の間近に真山さんの顔があったことと、上半身の裸を見せつけられて、ずっとドキドキが止まらない。

 

次々と妄想が浮かんで、まるで少女のように浮かれてる。

 

私はじっと真山さんに見惚れていた。

 

「まりえさん、そろそろ支度をなさってください」

私はやっと我にかえり「あっ、はい」と返事をした。

 

それから会社に向かった。

 

久崎社長は相変わらず忙しくて、ランチはまた一人になってしまった。

 

昨日のこともあって、私は真山さんと車で食べることを思いついた。

 

昼休みになって、外で待機している真山さんの元に向かった。

 

車を覗くと真山さんはスマホを見ていた。

 

すぐに私の気配に気づいて運転手席から降りてきてくれた。

 

「まりえさん、どうされたのですか」

 

「あのう、コンビニでサンドウィッチとコーヒーを買ってきてほしいの、私が行くと迷子になってしまうから」

 

「かしこまりました」

 

「それから、車で一緒に食べてもいい」

 

「はい、大丈夫です、自分の分も買ってきますね、車の乗って待っていてください」

 

真山さんは私を車の後部座席に座らせて、コンビニに向かった。

 

しばらくして真山さんが戻ってきた。

 

私は助手席に座りたいと申し出た。

 

「助手席に座ってもいい」

 

「はい、大丈夫ですよ、どうぞ」

真山さんは私を助手席にエスコートしてくれた。

 

私はどうしても真山さんに聞きたいことがあった。

 

「真山さんはいつから彼女いないの」

 

「そうですね、この仕事をしてからですから十年前ですね」

 

「その前はいたの?」

 

「いました」

 

「その彼女となんで別れたの」

 

「この仕事を始めることを話したら振られました」

 

「その彼女とはどこまでのお付き合いだったの」

 

「結婚を考えていました」

 

「それじゃあ、男女の関係があったってこと」

 

「なんでそんな事聞くんですか」

 

「いいから答えて、あったの、なかったの」

 

「ありました」

 

「そうなんだ」

 

「なんでそんなこと聞くのですか」

 

私が一人暮らしを始めたかったのは、父親から離れたいと言うほかにデートしたり、お互いを求めあったり、経験したことがないことを経験したかったからだ。

 

でもこれからその相手を探すなんて、いつになることか。

 

それなら目の前にいるじゃない、依頼なら引き受けてくれるかもしれないと思った。

「私のはじめての相手になって欲しいの」

 

「えっ」

 

しばらく沈黙が続いた。

 

心臓の鼓動が半端ない。

 

ドキドキが止まらない。

 

私、なんて恥ずかしいことを口にしてしまったんだろう。

 

なんて女だと思われたに違いない。

 

自分から抱いてくださいって言ってるのと変わりない。

 

私はサンドウィッチとコーヒーの袋を鷲掴みにして「ごめんなさい、忘れて」そう言って助手席のドアを開けてその場を後にした。

 

俺はしばらく、何が起こったのか分からなかった。

 

まりえさんはなんて言ったんだ。

 

はじめての相手になって欲しいって言ったんだよな。

 

えっ、嘘だろ。

 

どうして、俺?

 

でも、忘れてって。

 

はじめてって、まりえさんは経験ないってことか。

 

その時、まりえさんを十年間思い続けて、ただ遠くから見守っていられればと思っていた気持ちが独占欲に変わった瞬間だった。

 

私は社内でランチを済ませて、自分の取った行動に後悔していた。

 

あんなこと言っちゃって、どう言う顔して帰り過ごせばいいの。

私は大きなため息をついた。

 

そこへ久崎社長が戻ってきた。

 

「まりえ、どうしたの?そんな大きなため息ついてると幸せが逃げて行くわよ」

 

「もう、逃げられました」

 

「やだ、どう言うこと」

 

「真山さんにはじめての相手してって言っちゃったんです」

 

「真山さんってボディーガードの人?」

 

私は頷いた。

 

「彼女いるでしょ、三十歳のイケメンだよね」

「でも聞いたらいないって、ボディーガードの仕事始めた時はいたけど振られたって言ってました」

 

「嘘よ、そんなの、十年間も一人ってありえないよ」

 

「そうですよね」

 

「それにもし、それが本当なら、ずっと想いを寄せている人がいるとか」

 

「そう言えば飲み友達って男性から電話があったんです」

 

「それ、女性だよ、友達関係のまま、ずっとってパターンよ」

 

私はこの間の電話の会話を思い出していた。

 

久崎社長は窓側に寄って下の真山さんの車を見下ろしながらつぶやいた。

「仕事って言っても中々出来るもんじゃないわよね、ずっと張りついていないといけないんだもんね」

 

私はなんか申し訳ない気持ちになった。

 

この会社のオフィスにはコーヒーが常備されている。

 

自由に飲めるようになっている。

 

「社長、真山さんにコーヒー持っていってあげたいんですがよろしいでしょうか」

 

「いいわよ」

 

私は早速コーヒーを真山さんに運んだ。

 

ビルの自動ドアを通り、横に停めてある真山さんの車のガラスをノックした。

 

真山さんは急に現れた私に驚いた様子だった。

 

車のガラスを開けて「まりえさん、どうされたのですか」と声をかけた。

 

「はい、コーヒーどうぞ」

 

「あっ、ありがとうございます」

 

真山さんはコーヒーを受け取った。

 

「あのう、さっきの話ですが、俺でよければ依頼受けますよ」

 

私はポカンとしたままじっと真山さんを見つめた。

 

真山さんは車から降りて、私に近づいた。

 

「あの、ほかに候補がいるなら、そいつじゃなくて俺が」

真山さんの言葉にドクンドクンと鼓動が大きくなった。

 

周りの音はかき消されて、その場に二人だけの錯覚に陥った。

 

真山さんの手が私の手に触れた。

 

その時、久崎社長があまりにもかえりが遅かった私を心配して下に降りてきた。

 

「まりえ」

 

社長に呼ばれて我にかえり「仕事に戻るね」そう言って真山さんの手からすり抜けた。

 

俺はなんて大胆な行動を取ってしまったのか。

 

まりえさんの会社の社長さんが迎えに来なければ、俺はまりえさんを抱きしめていた。

 

そしてキスもしていただろう。

 

十年間対象者に手を出してはいけないと頑なに守ってきたのに、それが依頼者に対して信頼されていたことなのに、俺としたことが、まりえさんに対する気持ちが、独占欲となってどうすることも出来ないところまで来てしまった。

 

でも、まりえさんは俺をどう思っているのだろうか。

 

はじめての相手を望んでいると言うことは、経験すればそれ以上は望んでいないと言うことか。