第九章 彼女からのプロポーズ
マンションに戻ると、真由香と過ごしたのがたった数日なのに、一人はなんて静かでつまらないのだろうと感じた。
担当医は最上で、本来なら家族でもない俺は真由香の病状を聞くことは許されない。
これから先のことを考えると、不安しかない。
ある日、真由香の病室に行くと、真由香はお願いがあると俺に甘えてきた。
「大我、お願いがあるんだけど……」
「なんだ」
「私を大我の奥さんにして」
俺は目をパチクリして驚いた。
まさか、真由香にプロポーズされるとは思ってもみないことだった。
「急にどうしたんだ」
「急じゃないよ、大我に巡り合った日から考えていたことだよ」
「退院してからでいいんじゃないか」
「それじゃ駄目」
「どうして?」
なぜ、すぐに俺と結婚したいのか、真由香の考えが分からなかった。
「一日でも永く大我の奥さんになっていたいの」
「よし、分かった、お父さんに許しをもらいに行ってくるよ」
「本当?」
そして俺は真由香の父親の元に向かった。
「真由香の入院に関して全て任せっきりで申し訳ない」
「いえ、こちらこそ、事後承諾になってしまい、申し訳ありません」
「ところで、今日はなんの話かな」
俺は大きく深呼吸をして話し始めた。
「真由香さんとの結婚の許しを頂きに参りました」
「ほお、そうか、真由香をもらってくれるのか」
「私は真由香さんより十歳も年上で、最上総合病院にて雇われの身です、実家が日下部総合病院にも関わらず、継ぐ立場ではありません、大切な娘さんを預けるのにご不満はあろうかと存じますが、結婚のお許しを頂けたなら、必ず真由香さんを幸せに致します」
「わがまま娘をもらってくれるのに、不満などないよ、ただ……」
「なんでしょうか」
「日下部先生の人生設計で真由香との結婚はマイナスにはならないかな」
「とんでもありません、実は真由香さんにプロポーズされまして」
「なんと、我が娘ながらお恥ずかしい限りじゃ」
「いえ、自分が情けなくて、でもこれからの人生のパートナーとして、自分には真由香さんは必要かと確信致しました、もちろん、心から真由香さんを愛しております、ただ中々自分の気持ちを口にするのは苦手で……」
「こちらこそよろしくお願いします」
「ありがとうございます」
俺は真由香に報告すべく、病室に向かっていた。
「真由香、お父さんから結婚のお許しもらったよ」
「大我、真由香と結婚するのか」
そこには真由香の診察をしている最上が、ニヤッと笑い立っていた。
「よし、真由香、静かにしているんだぞ、病室でエッチしちゃ駄目だぞ」
「もう、最上先生は本当に下品なんだから、そんなことしません」
「そうか、おい大我、真由香を押し倒すなよ」
「そ、そんなことしないよ」
最上は真由香の頭をクシャクチャしながら「良かったな」そう言って病室を後にした。
「大我、お父様許してくれたの?」
「ああ、真由香をよろしく頼むって言われたよ」
「良かった」
「それじゃあ、これ提出してきてね」
そう言って差し出したのは婚姻届だった。
真由香はサイン済みで、あとは俺がサインするだけになっていた。
真由香はニッコリ微笑んで俺を見つめた。
「真由香にはいつも驚かされてばかりだよ」
「言ったでしょ、大我にはじめて会った時から決めていたって」
俺は躊躇せずに婚姻届にサインをし、役所に提出した。
俺と真由香は夫婦となった。
真由香は早く退院したくて仕方がなかった。
しかし、体調は中々回復の兆しが見えてこない。
俺は最上に真由香の病状を聞くため外科医局を訪れた。
「真由香はどうなんだ、俺は真由香の夫だ、はっきり言ってくれ」
「真由香は気管支拡張症だ」
「気管支拡張症?」
「ああ、気管腫瘍に伴って、症状が現れた、肺の一部にあるので、手術が一番いいと思うぞ」
「そうか、よろしく頼む」
俺は真由香に手術の話をするため、病室に向かった。
「真由香、どうだ体調は」
「大丈夫だよ、早く退院したいんだけど……」
「そうだな、実はもう一回手術が必要なんだ」
「どうして」
「後で最上が説明にくる、奴に任せておけば大丈夫だ」
「私はやっぱり癌なの、転移したからまた手術が必要なんでしょ」
「違うよ、そうじゃない」
「私がかわいそうだから、すぐ死んじゃうから、結婚してくれたの」
「そんなことはない、真由香を好きだからに決まっているだろう」
「最上先生も俺に治せない病気はないとか言って嘘ばっかり」
そこに最上がやってきた。
「おい、俺は嘘は言ってないぞ」
「最上」
「最上先生の嘘つき、私死んじゃうんでしょ」
「それだけ俺を罵倒する人間がそう簡単に死なねえよ、元気がある証拠だな」
「元気はあるけど……」
「真由香、お前が死んだら大我は他の女と再婚しちゃうぞ」
「おい、最上」
「そんなの嫌だよ」
真由香は泣き出した。
「最上、泣かせてどうするんだ」
「いいか、真由香、本人が生きるって強い意志を見せると、病気の方で退散するんだよ、俺が絶対にお前を助ける、確かにお前の病状は難しい、でもな、大丈夫だ、俺が担当医師でありがたいと思え」
真由香は頷いていた。
最上にはハラハラさせられる。
でも、これだけ医者として自信満々な態度を見せられると、患者は安心するかもしれない。
やっぱり患者が家族だと駄目だな。
「俺はもう退散するよ、二人だからってエッチするなよ」
「最上」
最上は病室を後にした。
「大我、ごめんなさい」
「大丈夫だよ、誰だって手術を二回受けるって聞いたら戸惑うよな」
「最上先生に任せればいいの?」
「ああ、大丈夫だよ」
俺は病室を後にした。
真由香の手術を一週間後に控えたある日、真由香に病室にくるように言われた。
「真由香、どうしたんだ」
「大我、一晩だけマンションに帰りたいの、外出許可出して貰えないかな」
「そうだな、最上に聞いてみるよ、何か持ってきたいものでもあるのか」
真由香は俺を手招きして耳元で囁いた。
「大我に抱いてほしい」
「えっ?」
「もう、やだな、そんなに驚くこと?」
「いや、驚くよ」
「だって、私と大我はキスだけだよ、大我は私を愛したくないの?」
「そんなことはないけど……」
「大我の奥さんになって、愛されてるって実感が欲しいの、お願い」
真由香のお願い攻撃になす術はなかった。
俺は早速最上に相談した。
さすがに愛を確かめ合いたいから一晩外泊許可欲しいなど言えない。
何を言われるか想像がついた。
さて、なんて言おうか。
俺は外科医局に向かう廊下で考えをまとめていた。
「最上、ちょっといいか」
「よお、真由香に会いにきたのか」
「ああ、ちょっと相談があるんだ」
なんだと想像つかないような表情だった。
「真由香に手術前に外出許可貰えないかな」
「外を出歩くことは出来ないぞ」
「いや、一晩マンションで過ごしたいと思ってな」
「エッチするのか」
「ち、違うよ」
俺は図星をつかれて顔が真っ赤になるのを感じた。
「お前、わかりやすいな、あんまり張り切るなよ」
「だから、違うって」
「明日の夜、お前が仕事終わったら真由香を迎えに来い」
「ああ、悪いな、わがまま言って」
そして、次の日、真由香と共に病院を後にした。
「大我、お父様のところに寄ってくれる?」
「わかった、揃って挨拶してないからな」
そして、真由香と俺は真由香の実家を訪れた。
「お父様、手術前に外出許可頂いたの」
「おお、元気そうで何よりだ、すまんなあ、病院に見舞いにも行けず」
「お父様が病院嫌いなのを知ってますから大丈夫です」
お父さんは俺に向かって声をかけた。
「大我くん、迷惑かけてすまんのう」
「いえ、大丈夫です」
「では、もう行きますね、一目お父様に会いたかったの」
「ああ、手術頑張れ」
「はい」
そして真由香の実家を後にした。
俺と真由香はマンションに向かった。
「真由香、今食事用意するから、シャワー浴びておいで」
「うん」
この時、真由香は俺との最後の夜と覚悟を決めていたことなど全く気づかなかった。
真由香はシャワーを浴びると、自分の部屋に入ってしばらく出てこなかった。
「真由香、俺、シャワー浴びてくるな、体調は大丈夫か」
俺は真由香の部屋のドア越しに声をかけた。
「大丈夫だよ」
シャワー浴びてリビングに戻ると、真由香はスマホを見ていた。
「飯食うか」
真由香はスマホの画面から視線を俺に移し笑顔を見せ返事をした。
「うん」
二人でたわいもない話をして、これが幸せって言うのかと改めて思った。
「大我、私ね、赤ちゃん欲しいんだけど……」
突然の真由香の言葉に驚いてしまった。
「えっ」
「大我、可愛い」
「おい、大人をからかうなよ」
「ごちそうさま」
真由香は立ち上がって食器をキッチンに運んだ。
俺は最上から真由香の様子を見るように言われていた。
名医と言われた俺が真由香のことになると、全く素人同然になって、ちょっとした変化にも気づかない、どうしようもないやぶ医者に成り下がってしまう。
真由香からのお願いは聞き入れていいものなのか、これから手術に挑む真由香の身体に、負担をかけることはどうなんだろうかと迷っていた。
俺は最上のスマホに連絡した。
「最上か」
「どうしたんだよ、俺、まだ病院なんだけど、真由香に何かあったのか」
「いや、真由香は元気だ、実は真由香に子供欲しいって言われた」
「へえ、じゃあ、これからお楽しみか?」
「真由香を抱いてもいいか」
「はあ?真由香はお前の奥さんだろう、なんで俺にお伺いたてるんだよ」
「そうじゃなくて、真由香の身体への負担を聞いてるんだ、手術前にどうかと思って」
「おい、お前はそれでも医者か、自分で考えろl
「分からないから聞いてるんだろ?」
「じゃあ、俺が真由香を一生抱くなって言ったら、お前はプラトニックを貫き通すつもりか」
「そんなことは言ってないよ」
「大我」
最上の声のトーンが変わった。
「妊娠は避けた方がいい、これから強い薬を使う時もある、妊婦じゃない方がありがたい」
「そうだよな」
「ただ、今晩張り切るのは問題ない、思いっきり真由香を抱いてやれ」
「あのなあ」
俺はスマホを切った。
寝室に行くと真由香は寝ていた。