第八章 素直な気持ちをぶつける彼女
診察が終わって、内科医局へ向かった時だった。
大我先生いるかな。
ちょっと会えればいいなって安易な気持ちで内科医局へ向かった先の廊下で、大我先生と白衣の女性が立ち話をしていた。
声をかけようと近づくと、二人の話声が聞こえてきた。
「大我、体調大丈夫?顔色悪いよ」
「大丈夫だよ、ありがとうな、友紀」
「大我、ネクタイ曲がってる」
その白衣の女性は大我先生のネクタイを直してあげていた。
「いつもサンキュー」
「じゃあ、また、連絡するね」
「おお」
そして二人はしばらく見つめあって分かれた。
何?今の……
まるで恋人同士のようだった。
やっぱり、彼女いるんじゃん。
綺麗な人だった、大人の女性って感じで、同じ内科医かな。
私は涙が溢れて止まらなかった。
大我先生のバカ、彼女いないって言ったのに……
なんで嘘ついたのよ。
マンションに戻って布団を被って泣いた。
泣き疲れて寝ちゃったみたいで、気づいた時は既に陽が落ちて窓の外は真っ暗だった。
私は電気もつけないでそのまま窓の外を見つめていた。
「ただいま、真由香さん?」
そこに大我先生が帰ってきた。
大我先生は私の部屋をノックして声をかけた。
「真由香さん、寝てるの?ちょっと開けてもいいかな」
そして私の部屋のドアがガチャっと開いた。
ベッドに横になっている私を見て声をかけてくれた。
「真由香さん、具合が悪いの?」
私は布団を被って答えなかった。
大我先生はベッドに近づいて、布団を少しめくって「大丈夫?」って様子を窺った。
「嘘つき、大我先生なんて大っ嫌い」
私はそう暴言を投げつけて布団を被った。
「嘘?俺は真由香さんに嘘はついてないよ」
「本当は私のことうざいって思ってるくせに、なんで優しくするの」
「真由香さんをうざいなんて思ってないよ」
「早く、うちに帰れって思ってるんだよね」
「お父さんが心配しているからね」
「そうじゃないでしょ、私がいると彼女を部屋に呼べないからでしょ」
「彼女、誰のこと言ってるの?」
私はガバッと布団をはいで起き上がった。
「大我先生、彼女いるんじゃない、嘘つき」
私は大我先生を睨んだ。
「俺には彼女はいないよ、嘘はついていない」
「じゃあ、あの人は奥さん?」
大我先生はなんのことを言っているのか分からないふうな表情を見せた。
「なんで、奥さんいるのに私にキスしたの?ちょっと遊んでやれって思ったの?」
「俺には奥さんも彼女もいないよ」
「もう出て行って、大我なんか大っ嫌い」
私はそう言って大我先生を押しやった。
「真由香、落ち着け」
大我先生は私をぎゅっと抱きしめてくれた。
私は大我先生の胸でワンワン泣いた。
しばらく抱きしめられて、少し気持ちが落ち着いた。
「真由香、誰のこと言ってるのか分からないけど、俺には彼女も奥さんもいないよ、信じてくれ」
私は涙でクシャクシャになった顔で大我先生を見上げた。
大我先生は私を見つめておでこにキスをしてくれた。
「真由香は何か誤解してるんだ」
「じゃあ、おでこじゃなくてキスして」
大我先生は躊躇していた。
私は自分から大我先生の唇にキスをした。
俺は真由香にキスをされて、我慢していた気持ちが溢れ出した。
真由香の唇を何度も何度も求めた。
真由香は俺に「大我、私のこと好き?」と聞いてきた。
俺は自分の気持ちを誤魔化すことが出来ずに素直に答えた。
「真由香が好きだ」
「本当?」
「本当だ」
「私も大我が大好きよ」
「俺は真由香を一生離さないがそれでもいいか」
「うん」
真由香は俺の首に手を回し、抱きついてきた。
正直言って真由香を受け入れることに自信がない。
真由香を信じることに恐怖さえ感じる。
だが、このまま真由香を手放すことは出来ない。
そんなことを考えていると、真由香が俺を質問攻めしてきた。
「内科医局の廊下で話していたのは誰?」
俺は友紀のことだとすぐに分かった。
「友紀のことかな、同期だよ」
「大我は恋人でもない人の名前を呼び捨てするんだ」
俺は真由香の言っていることを理解出来ずにいた。
「いや、医学部から一緒の仲間だから、呼び捨てすることに抵抗なくて」
「女の子の名前を呼び捨てにするのは、心を許してるってことだよ」
「そうなんだ」
友紀に対して心を許すと言う気持ちはなかった。
ただ、医学部の同期だから名前で呼び合うことは自然のことだった。
「それにその友紀さんは大我を好きだよね」
まさかの真由香の言葉に驚いた。
「そんなことはないだろ」
「もう、大我は鈍感すぎるよ、あの人の瞳はキラキラして大我を見ていたよ」
今までそんなふうに思ったことはなかった。
「それから何でネクタイ直してもらっていたの」
「特に理由はないけど」
「駄目だよ、まるで奥さんみたいに見えちゃったよ」
「気をつけるよ」
「気をつけるんじゃなくて、もう直してもらっちゃ駄目、名前を呼び捨てにしちゃ駄目、大我って呼んでいいのは私だけだから、大我って呼ばないように言って」
真由香は俺にヤキモチを妬いてくれているんだと気づいた時、満更でもない気持ちだった。
「分かったよ、真由香は俺にヤキモチ妬いてくれているのか」
「当たり前でしょ、大我を大好きなんだから」
こんなに真っ直ぐに素直な気持ちをぶつけられたのは、はじめてのことで気分がよかった。
俺は真由香を抱きしめた、そして何度も何度も唇を重ねた。
しかし、そんな幸せは永くは続かなかった。
次の休みに俺と真由香はデートに出かけた。
「真由香、どこに行く?」
「ディズニーランドに行きたいな」
「ディズニーランド?」
「そう、いいでしょ、お願い」
俺は真由香のお願いにはいつも抵抗出来ない。
「よし、じゃあ出発だ」
ディズニーランドに着くと、真由香はテンションが上がったみたいに、俺の手を引っ張って動き回った。
俺は真由香の様子に違和感を感じた。
「真由香、呼吸苦しくない?」
「えっ、だ、大丈夫だよ」
「ちょっと脈測らせて」
「大丈夫、大我、最上先生と同じこと言わないで」
「最上は何を言ってたの?」
真由香はベンチに腰を下ろし、呼吸を整えていた。
「真由香、帰ろう、検査したほうがいいよ」
「いや、もう少し大我と一緒にいたい」
「だって、苦しそうだよ、病院行くぞ」
俺はタクシーで最上総合病院へ向かった。
看護師がストレッチャーで救急処置室に運んでくれた。
「最上先生お願いします」
最上がすぐにきた。
「真由香、どうしたんだ、何があった」
最上は真由香の急変に驚いていた。
そして俺を目視すると「大我、何があったんだ」と俺を睨みつけた。
「今日、休みだったからディズニーランドへ二人で出かけた」
「ディズニーランド?」
「俺の手を引っ張って、結構動き回って、そうしたら急に呼吸が苦しくなって……」
「お前は素人か、医者失格だな」
「ああ、自覚してる、真由香が我慢していることに気づいてやれなかった」
「ディズニーランドでデートしたのか」
俺は照れながら「ああ」と答えた。
「そうか」
「真由香はどんな状態なんだ」
「気管腫瘍切除の手術で相当臓器の機能が低下している」
「血液検査の数値もあまり良くない、入院した方がいいかもしれない」
「そうか」
「真由香も自覚あると思うぞ、一応俺から話すが、お前からの方が納得するんじゃないか」
「分かった」
真由香は最上から入院の話をされたが、首を縦に振ろうとはしなかったと、最上から聞かされた。
俺は真由香の病室へ向かった。
「真由香」
「大我、迎えにきてくれたの?早くマンションに帰ろう」
「最上先生から聞いただろう、真由香は入院することになった」
「いや、入院はしたくない」
「真由香、自覚あるだろう、呼吸が苦しくなったり、体力が落ちてきてるって」
真由香は俯いて頷いた。
でも真由香は顔を上げて俺に訴えた。
「大我と一日でも会えないのは耐えられないよ」
「毎日会いにくるから」
「本当?」
「ああ、本当だ」
そして真由香は入院することになった。
俺は仕事が終わると、真由香の病室を訪れ、そしてマンションに帰る。