第五章 信じられない彼女

 

「特に真由香みたいに十歳も年の差があればなおさらだろう、もう傷つきたくないと自分の気持ちを封印しちゃうんだな」

 

「だから、私のことも信じられないんだ」

 

「キスされたなら、責任とってよって迫れ」

 

大我先生がどう思ってるか不安になった。

 

あの時は一瞬の出来事だから、やっぱり私とは一緒にいられないなんて思われたらどうしよう。

 

案の定、大我先生は私に会いにきてくれない。

 

LINEも送っても未読のまま、返事もくれない。

 

私はベッドから抜け出し、病院の内科に向かっていた。

 

傷口がまだ痛む、それにちょっと歩くと呼吸が苦しくなる。

 

最上先生に安静にしていないと駄目だと釘を刺されていたのに……

 

でもどうしても大我先生に会いたかった、私の気持ちをちゃんと伝えたかった。

内科はこっちかな。

 

私は呼吸が急に苦しくなり、その場に倒れた。

 

「大丈夫ですか」

 

私はそのままストレッチャーで外科に逆戻りしてしまった。

 

「どうしたんだ、真由香、まだ安静にしていないと駄目だと言っただろう」

 

最上先生はすぐに診察をしてくれた。

 

私はしばらくベッドから動けない状態だった。

 

内科病棟で倒れた私の様子で大我先生に会いに行ったんだろうと最上先生にバレてしまった。

 

「おい、真由香さんは大丈夫か」

 

俺は騒ぎに気づいて慌てて外科病棟にやってきた。

 

「お前は真由香をどう考えてるんだ、いい加減な気持ちなら思わせぶりなことするんじゃねえよ」

 

俺はそんなつもりでは……

 

でも忙しくてスマホも未読だった、いやそうじゃない、怖くて真由香さんからのLINEは開けなかった。

 

真由香さんがキスしてくれたことを、調子に乗って俺からまたキスして抱きしめて、真由香さんはどう思っただろうか。

 

確かめることも出来ないまま時間だけが過ぎていた。

 

「大我、あんなにお前を思ってくれる子はいないぞ」

 

そんな矢先だった。

 

真由香さんの元に見舞いに現れた男性がいた。

 

溝口明、二十三歳、真由香さんの元彼だ。

 

「すみません、松本真由香さんがこちらに入院していると聞いてきたのですが何号室ですか」

 

「恐れ入りますが、ただいま面会出来かねます、日を改めてお越しいただけますようにお願い致します」

 

「手術は成功したと聞いたのですが、何か病状に変化でもあったのでしょうか」

 

「申し訳ございません、ご家族様以外にはお答え出来ないことになっております」

 

「そうですか、また日を改めます」

 

俺は受付で対応していた男性に目が止まった。

 

あのキーホルダー、確か真由香さんが彼とお揃いだと言っていたものだ。

 

と言うことは、真由香さんの元彼?

 

「あのう、失礼ですが、松本真由香さんのお見舞いにこられたのですか」

 

「はい、あのう……」

 

「いきなり失礼致しました、当病院の内科医の日下部大我と申します」

 

こいつか、真由香が言っていた側にいて欲しい先生って。

 

「真由香から聞いてます、病気を見つけてくれた命の恩人だと、自分は溝口明と申します」

 

「手術の執刀をしたのは当病院の外科医最上です、自分は何もしていません」

 

「真由香は癌かもと不安に思っていました、だから俺に負担になるからと別れ話になったんですが、俺が真由香を一生支える旨を伝え、お父さんにも結婚の許しを得たので俺と真由香は退院したら結婚します」

 

真由香さんの元彼、いや結婚相手からの衝撃的は言葉にただただ俺は呆然と立ち尽くした。

 

「そ、そうなんですか、おめでとうございます」

 

「真由香は二十歳ですから、人生の選択を迷うことは当たり前で、先生にはご迷惑をおかけしたんじゃないでしょうか」

 

「いえ、そんなことはありません」

 

「それならいいんですが、俺と真由香は三年の付き合いになります、命の恩人を好きな人と勘違いすることはよくある話です、先生は大人ですから、真由香の言ってることを鵜呑みにしたりしないですよね」

 

「大丈夫です、それに真由香さんは勘違いなどしていないと思います、溝口さんを好きな気持ちに変わりはないと思いますよ」

 

「それならいいんですが、自分は真由香と別れることはありませんから、失礼します」

俺は溝口さんの後ろ姿をぼーっと見送った。

 

だよな、もう絶対に恋愛はしないと誓ったはずなのに、二十歳の女の子に振り回されて、俺はなんてバカなんだ。

 

冷静になれば分かるだろう。

二十歳の真由香さんが三十歳の俺を本気で好きになるわけがない事くらい。

 

俺は医局に戻った。

 

そして真由香さんの病室へ向かった。

 

ノックをすると「はい」と真由香さんの可愛らしい声が聞こえた。

 

ドアを開けて真由香の姿を確認した。

 

「大我先生、きてくれたの?スマホがずっと未読だったから心配してたんだよ」

 

「ごめん、忙しかったんだ」

 

俺は真由香さんから目を逸らした。

 

「先生、どうかしたの?」

 

「さっき、溝口さんがお見舞いにきたんだ、まだ面会許可おりてないからまた来るって言ってたよ」

 

「明が来たの?」

 

「真由香さんが退院したら結婚するんだってね」

 

「えっ」

 

「お父さんの許しを得たからと言っていたよ」

 

「明にはちゃんと別れるって伝えたのに……」

「誰でも病気の時は心細くなるからね、ドクターが側にいれば安心を得られる、健康を取り戻したら、本当に側にいる人、必要な人がわかるよ」

 

「私の側にいて欲しいのは大我先生よ」

 

「それは錯覚だよ、退院したら、溝口さんとよく話し合って、幸せになってくれ」

 

「私を幸せにしてくれるには大我先生じゃないの?」

 

俺は彼女の言葉にはっきり答えることは出来なかった。

 

「退院したらお父さんの元に戻って、彼と結婚の準備を進めるんだ」

 

「私は退院したら、大我先生のマンションに戻りたい」

 

「ごめん、迷惑だ、真由香さんの面倒は見ることは出来ないよ」

 

「先生に迷惑かけないから、お願い」

 

真由香は俺の腕を引っ張って抱きついてきた。

 

俺は真由香を抱きしめたい気持ちをグッと堪えて俺から引き離した。

 

「真由香さんを信じることが、今の俺には出来ない、彼と別れたと言いながら水面下では結婚の話が進んでいる、俺はまた騙されたのか、まんまと若い子の言葉を鵜呑みにして利用されたのかと考えてしまうんだ」

「彼とわかれたのは本当だけど、結婚の話は私も知らないことだよ」

 

「ごめん、何が本当で何が嘘なのか分からない、どうしていいか分からない、俺は情けない男だ」

 

俺は真由香さんに背中を向けた。

 

「大我先生、待って」

 

その言葉に耳もかさずに病室を後にした。

 

廊下には最上が立っていた。

 

「大我、わざとだろう、そんなに冷たく突き放して、それがおまえの中で正解なのか、お前はそれでいいのか」

 

「誰と一緒にいるのが幸せか、考えてあげるのが大人の男だ」

 

「じゃあ、俺は子供なんだな、好きな女は誰にも渡したくない」

 

「もう、いいんだ、放っておいてくれ」

 

俺はその場を去った。

 

好きな女は誰にも渡したくない、素直にそう出来れば苦労はしない。

 

私は何が起きたか分からないほど狼狽えていた。

 

彼にはちゃんと別れを伝えた、分かったと言っていたはず。

 

なのにどうして結婚なんてことになるの?

 

確かに大我先生に会う口実で、彼に振られて具合が悪いと嘘をついたのは事実だ。

でも本当に体調不良で癌かもと不安になった時は、彼に別れを告げたのは本当のこと。

 

大我先生を好きな気持ちも本当のこと。

 

結婚の話は彼の一方的な思いで、私は承諾した覚えはない。

 

父に結婚の許しを得たのだって、嘘に決まってる。

 

大我先生は私を信じられないと言った。

 

でもキスして抱きしめてくれたよね。

 

もしかして大我先生の言葉も嘘?

 

そんなことを考えていると、ドアがノックされて、最上先生が入ってきた。

 

「真由香、体調はどうだ」

 

最上先生の顔を見たら言わずにはいられなかった。

 

「大我先生に振られちゃった」

 

「みたいだな」

 

私はなんで知ってるのってびっくりした表情を隠すことが出来なかった。

 

「大我先生に聞いたの?」

 

「いや、廊下で二人の会話を聞いていた」

 

「もう、最上先生悪趣味なんだから」

 

最上先生は私の明るい表情にニッコリ微笑んだ。

 

「思ったより元気だな」

 

「うん、絶対に大我先生を諦めないから」

 

「その意気だ」