第四章 過去のトラウマが邪魔をする

 

俺は真由香さんのベッドに近づいた。

 

真由香さんは咄嗟に俺の手を掴んで自分の方に引き寄せた。

 

ベッドに倒れ込んで、顔が急接近した。

 

真由香さんは俺の首に手を回し、抱きついてきた。

 

「大我先生、すごく会いたかったよ」

 

俺は真由香さんの手を俺の身体から離した。

 

「大我先生、手術頑張れってキスして」

 

真由香さんは目を閉じて俺にキスを求めた。

 

俺は彼女の頬を両手で挟み、キスをした、彼女のおでこに。

 

「頑張れ、執刀医は最上だ、安心しろ」

「うん」

 

俺は真由香さんの病室を後にした。

 

いつだってそうだ、俺はいざとなったら勇気がない、情けない男だ。

 

真由香さんの気持ちを受け止めることが出来ない。

 

裏切られた過去が邪魔をする。

 

三年前山風孝子との恋愛がそうだった。

 

俺の患者として現れた孝子は、すぐに俺に近づいた。

 

付き合いが始まり、積極的な孝子との身体の関係はあっという間だった。

 

何も疑うこともなく、孝子との愛に溺れていた。

 

頻繁に金を貸してくれとせがむ孝子になんの疑問も持たなかった。

 

孝子の俺に対する愛を信じて疑わなかった。

 

その頃孝子には男がいて、俺から巻き上げた金はその男に流れていた。

 

当時、孝子も騙されていたとのことだった。

 

俺は金のことではなく、俺への愛が嘘だったことにショックを受けた。

 

それから俺は愛を信じられなくなった。

 

俺を好き、また嘘だろうと思ってしまう。

 

真由香さんの俺への愛も信じられないのだ。

 

じゃあ、俺はどうなんだ、恥ずかしい話だが、真由香さんに惹かれている自分に気づいていた。

 

しかし、もうあんな思いはしたくない、三年前俺は恋愛感情を封印したはずなのに……

 

医局に戻ると、最上が俺に声をかけた。

 

「真由香にキスしてやったか」

 

「ああ」

 

「マジか、二十歳の女の唇の感触はどうだ?」

 

「おでこにしたからわからん」

 

「はあ?お前は……真由香は子供じゃないんだぞ」

 

「真由香さんは子供だよ、これから将来のパートナーに巡り会える年齢だ」

「真由香の将来のパートナーはお前じゃないのか」

 

俺は最上の言葉に戸惑った。俺が真由香さんの将来のパートナー?

 

俺は真由香さんの気持ちを繋ぎ止めておける自信なんかない、俺じゃない。

 

「最上、真由香さんをよろしく頼むよ、健康を取り戻せば俺なんか忘れちゃうよ、今は心細いだけだ、俺の側にいることで不安な気持ちが少しでも少なくなればと苦肉の策だよ」

 

最上は大きなため息をついた。

 

「全く、お前は、一生独身を貫き通すつもりか」

 

「そっくりその言葉をお前に返すよ、お前だって独身じゃないか」

 

「まあな」

 

この時、最上は梨花さんと契約結婚をしていた。だがその事実を俺には話てもらっていなかった。

 

私は大我先生にキスしてと頼んだのに、おでこにちゅっとされてしまった。

 

もう完全に子供扱いされた。

 

仕方ないかな、大我先生からしたら子供だよね、それにきっと私のことなんか眼中にないんだ。

 

彼女いないって言ってたけど、好きな人はいるのかな。

大我先生と巡り合った時、呼吸が苦しくて、でも他の病院に行ったけど全く回復の兆しは見られなかった。

 

ネットで調べれば調べるほど怖くなって、私はもしかして癌かもと思うようになった。

 

お見合いで大我先生がお医者様と聞いて、この先生なら私の不安な気持ちを解決してくれるかもって思った。

 

一緒にいるだけで、なんて心地いいんだろうと大我先生に一気に惹かれた。

 

私に今必要なのはこの人だと確信した、そして付き合っていた彼に大我先生のことを話して別れを告げて大我先生のマンションに押しかけたのだ。

 

日を追うごとに大我先生への気持ちが大きくなって、不安な気持ちも和らいでいった。

 

そんな矢先だった、私の病気が発覚したのは、気管腫瘍。

 

まさか、手術が必要で、外科に移ることになり、大我先生に会えなくなるなんて……

 

あっ、そうだ。

 

私は大我先生にLINEした。

 

『大我先生、私は唇にキスしてほしかったのに、おでこなんて私はもう立派な女性よ、手術は三日後だから、また病室に会いにきて、私は大我先生が大好き』

 

返事くれるかな、今は仕事中だから、スマホを見るのは夜だよね。

 

その頃、俺は真由香さんからのLINEに気づき、スマホを開いた。

 

真由香さんの言葉に自然と頬が緩む俺がいた。

 

真由香さんにキスしたら、俺は抱きしめずにはいられないだろう。

 

『真由香さん、ありがとう、そんなふうに言ってくれる女性は真由香さんだけだよ、でも今は不安な気持ちが俺を、いやドクターを求めてるんだよ、手術が終わって退院したら、彼に事情を話しして、やり直すといいと思うよ』

 

俺は敢えて真由香さんを突き放した。

 

私は大我先生からの返事はてっきり夜だと気を抜いていて、大我先生からのLINEに気づかなかった。

 

夕方になっても真由香さんからのLINEが未読だった俺は急に不安になり、外科医局へ走り込んだ。

 

「最上、真由香さんの様子みてくれないか」

「どうしたんだよ、そんなに慌てて」

 

「LINEが昼間から未読だ」

 

「はあ?お前、仕事中に真由香とLINEしてるのか」

 

最上はびっくりしたのと同時にニヤッと笑った。

 

「なんだよ、別にずっとLINEしてるわけじゃないし、ちょうど休憩中だったんだよ」

 

「へえ、そうか、まっ、いいけどな」

 

「それより、具合悪くなってるんじゃないか、スマホ見ないなんて、苦しがっているんじゃないか」

「そんなに気になるなら、お前が様子見てくればいいだろう」

 

俺は考える前に身体が動いた。

 

「真由香さん、大丈夫?苦しくない?」

 

俺はノックもせずにいきなり病室のドアを開けた。

 

「大我先生」

 

大我先生は私に駆け寄り、抱きしめた。

 

「どこも苦しくないか、LINEが未読だからどうかしちゃったんじゃないかと心配で」

 

「LINEが未読?大我先生すぐに返事をくれたの、てっきり夜かと思って油断してた」

 

私は大我先生からのLINEを開いた。

 

「俺はもう仕事に戻るな」

「大我先生、退院したら本当に不安な気持ちが先生を求めているだけなのか、確かめさせて、お願い」

 

俺が病室を出ようとして真由香さんに向けた背中に声をかけてきた。

 

そして、真由香さんはベッドから立ち上がり、俺の前にきて、背伸びをして俺の唇にキスをした。

 

「手術頑張るね」

 

真由香さんは俺にギュッと抱きついた。

 

俺も彼女をギュッと抱きしめた、そして彼女の唇にキスをした。

 

そして三日後真由香さんの手術が始まった。

 

俺は真由香さんの手術の日、仕事どころではなかった。

 

最上を信頼していないわけではなかった。あいつは優秀な外科医だ。

 

ただ俺は完全に患者の家族の気持ちになっていた。

 

LINEが未読だった時、居ても立っても居られない気持ちで心配で仕方なかった。

 

真由香さんの病室に駆けつけた時、彼女の姿を確認出来て、どんなに安心したか、彼女にキスされた時、どんなに愛おしかったかやっと分かった。

 

彼女を抱きしめキスをした俺はもう彼女を放っておくことなど出来なかった。

俺の彼女への気持ちは、誤魔化すことが出来ないところまできていた。

 

手術は成功したが、真由香さんはしばらく入院が続くことになった。

 

「どうだ、真由香、調子は」

 

最上先生が私の様子を見にきてくれた。

 

「もう元気になったよ、呼吸も苦しくないし、退院してもいいでしょ」

 

「まだ駄目だ、色々手術後の検査があるからな」

 

「そうなんだ、あっ、最上先生、私ね、自分から大我先生にキスしちゃった」

 

「そうか、大我びっくりしてただろう」

 

「大我先生も私にキスして抱きしめてくれたよ」

 

「へえ、あいつにしては進歩だな」

 

「大我先生、どうして独身なの?過去には彼女いたでしょ」

 

最上先生は真面目な表情で私に語り始めた。

 

「大我は三年前付き合っていた彼女に結果騙された形だった」

 

「騙された?」

 

あの時の人だ、騙されないようにねなんて言ってたけど、自分が騙したんだ。

 

「それから大我は恋愛することをやめた、好きだと言われても、その言葉を信じることが出来ないんだ」

 

「そうなの?」