第三章 この俺を可愛いと言う彼女

 

世間知らずのお嬢様は本当に何にも知らない、電化製品は全て使えなくなった。

 

「大我先生、ごめんなさい」

 

「大丈夫、明日、休みだから買いに行ってくるよ」

 

「明日、休みなの、私も一緒に連れて行って、お願い」

 

この「お願い」に俺は何も言えずに従うことしか出来なかった、それだけ真由香さんのこの言葉に弱い。

 

朝を迎えてキッチンで朝食を支度をしていると、真由香さんが起きてきた。

 

「大我先生、おはよう」

 

「おはようございます」

 

「凄い、これ全部先生が作ったの?」

 

真由香さんは、テーブルの料理を見て目を丸くした。

 

「はい」

 

俺は照れ笑いをしながら答えた。

 

「奥さんいらないね」

 

「ああ、だから結婚出来ないのかな」

 

俺は自分で納得してしまった、まっ、それだけの理由じゃないだろうが。

 

「いただきます」

 

真由香さんは満面の笑みで料理を頬張った。

「美味しい、先生すごいね、私は料理出来ないから先生と結婚したいな」

 

俺は彼女の言葉に恥ずかしくなって俯いた。

 

「大我先生、可愛い」

 

彼女の唇が俺の頬に触れた。

 

それは、何が起きたのか分からないあっという間の出来事だった。

 

俺の目の前でニッコリ微笑む彼女、俺はからかわれているのか。

 

これでも何人かと付き合ったことがあり、最後までの経験も何度かある。

 

三年くらいは全くご無沙汰だが、こんなに年下の女性は経験がない。

 

はっきり言ってどう対応すればいいか困惑しているのが正直な気持ちだ。

 

しかも真由香さんは好きな彼がいて、お見合いした時断ってほしいと言ってきた。

 

その後、彼に振られて体調が悪いから診察を希望してきた、でも病院ではなく俺のマンションにくると言って、住所を聞かれた。

 

お腹が空いたと食事を美味しそうに頬ばり、挙げ句の果ては俺のマンションに泊めてほしいと言い出した。

 

お父さんに見合いをしつこく勧められ好きでもない人と結婚は出来ないと訴えた。

 

なぜ俺を頼ったのか皆目見当がつかない、しかも俺を好きだと言い出した。

 

そしてたった今、頬にキスをされた。

えっ、これはキスじゃないのか、二十歳の子は挨拶で平気で唇を押し当ててくるものなのか。

 

しかも頻繁に俺を可愛いと言う、もう訳が分からない。

 

確か俺の聞き間違えじゃなければ、俺と結婚したいと言ったよな。

 

駄目だ、彼女の言葉を鵜呑みにするな、もう一人の俺が叫ぶ。

 

「先生、どうかしたの?」

 

「いや、どうもしない」

 

落ち着け、何を考えているんだ、俺は。

 

「電化製品買いに行くんでしょ、私着替えてくるね、先生、覗いちゃ駄目よ」

 

「そ、そんなことしない」

 

「大我先生、可愛い」

 

また、言った、可愛いと、なんなんだ一体。

 

でも、久しく忘れていた女性と接するドキドキ感が目覚めたのは事実だった。

 

そして真由香さんと買い物に出かけた。

 

電子レンジとフライパンと洗濯機だな。

 

「あら、大我、久しぶり、元気だった?」

 

そう俺に声をかけたのは、元彼女の山風孝子だった。

 

「孝子」

 

「買い物?そちらは新しい彼女さんかしら」

 

孝子は真由香さんを見た。

「始めまして、松本真由香二十歳です、大我先生の彼女です」

 

真由香さんは相変わらず俺の彼女を押し通した。

 

「やだ、随分と若いのね、大我大丈夫なの、騙されないでね」

 

孝子は憎まれ口を叩いた。

 

お前に言われたくないと俺が口を挟む前に真由香さんは孝子に向かって言葉を発した。

 

「大我先生を騙したりしません、私、大我先生が大好きですから」

 

はっきりと大きな声で孝子に向かって、真由香さんは俺に対しての愛の告白をした。

 

店の中には大勢の客がいて、真由香さんの声にざわざわし始めた。

 

「真由香さん、もう行くよ」

 

俺は真由香さんの手を掴んで、ちょっと小走りにその場を離れた。

 

駐車場まで行くと、真由香さんの呼吸の乱れに気づいた。

 

「大丈夫か」

 

俺が全く呼吸が乱れていないのに、十歳も若い真由香さんの呼吸が乱れるなんて、俺は嫌な予感がした。

 

「真由香さん、普段からちょっと走ると息苦しくなったりするんじゃないか」

 

「大丈夫、大我先生が急に走り出すから」

 

明らかに呼吸が乱れている。

「病院に行って検査しよう」

 

俺は病院へ向かった。

 

最上総合病院へ到着すると、すぐに検査を始めた。

 

真由香さんは入院を余儀なくされた。

 

「自覚症状があったんじゃないか」

 

俺は真由香さんに尋ねた。

 

「お見合いした時、大我先生は神かと思ったの、もしかして具合悪くなったら診察してもらおうって思って連絡先交換したの」

 

「そうだったんだ」

 

俺は血圧を測ったり、採血したり、検査の過程で話を聞いた。

 

「彼には私が好きな人が出来たって別れを告げたんだ、だって癌だったら迷惑しかないでしょ」

 

「そんなことはないと思うけど……」

 

「ある日呼吸がすごく苦しくなって、私このまま死んじゃうのかなって思ったら不安になって、一人でいるのが耐えられななくて、大我先生を頼ったの」

 

「そうだったんだ、初めからちゃんと話してくれたらよかったのに」

 

「だって、違うって、私の思い過ごしだって思いたかったんだもん」

 

真由香さんは涙を浮かべて、その涙は頬を伝わった。

「俺はヤブ医者だな、真由香さんのそんな不安に気づいてあげられなくて」

 

「そんなことないよ、先生は名医だよ、先生と一緒にいる時、全く症状が出なくて、やっぱり私の思い過ごしだって思えたんだもん」

 

「そう言うの名医って言わないんだよ、真由香さんの病気に気づけないんだから、医者失格だ」

 

そして真由香さんは検査検査の毎日を送ることとなった。

 

検査の結果、気管腫瘍が見つかり、外科に移り、手術を受けることになった。

 

私は松本真由香、父の願いでお見合いをすることに、そのお見合い相手が日下部大我先生だった。

 

しばらく前から体調が優れず、不安な毎日を送っていた。

 

当時付き合っていた彼には私から別れを告げた。

 

一人になると余計に不安が大きくなり、私は大我先生を頼った。

 

側にいてほしかった、先生が側にいてくれたなら、万が一の時心配はないと思っていた。

 

一緒に時を過ごすうちに、どんどん大我先生に惹かれていく自分に気づき始めた。

でも、大我先生は十歳も年上で、私なんか相手にしてもらえないと諦めかけていた。

 

そんな時、最上総合病院の外科医最上先生と知り合って、俄然勇気をもらった。

 

「大我、いい加減認めろよ、お前は真由香が好きなんだろう」「いや、その、えっと……」

 

この言葉に、もしかしたら大我先生も私に好意を抱いてくれているかもって思えた。

 

このまま、大我先生の側にいられたら、そう思った矢先だった。

 

私、死んじゃうのかな。

 

「最上先生、私、死んじゃうの?」

 

「はあ?何言ってるんだ、俺が執刀するんだ、真由香は大丈夫だ」

 

「大我先生とはもう会えないの?」

 

「なんだ、会いたいのか」

 

最上先生の問いに素直に頷いた。

 

「本当に真由香は素直だな、俺が大我の代わりにキスしてやろうか」

 

「結構です、大我先生とならいいけど……」

 

「よし、風邪ひいたとかなんとか言って、診察に来させよう」

 

「本当に」

 

私は満面の笑みを最上先生に見せた。

 

「お前から大我にキスしちゃえ、勇気もらいたいんだろ」

「そんなことしたら嫌われちゃう」

 

「大丈夫だよ、逆に押し倒されちゃうかもよ」

 

「もう、最上先生は下品なんだから、大我先生はそんなことしません」

 

そして最上先生は私のために大我先生を呼びに行ってくれた。

 

「大我、真由香が呼んでるぞ」

 

「はあ?もう俺の手を離れたんだ、俺の患者じゃない」

 

「冷たい奴、これから真由香は手術を受けるんだよ、励ましてやれ」

 

「お前が執刀医だろ」

 

「あっ、そう、じゃあ、俺が元気づけてやるよ、濃厚なキスでもしてやるかな」

 

「駄目だ、何を考えてる」

 

「俺の励まし方に文句つけるなよ」

 

「わかった、俺が行く」

 

「キスしてやれよ」

 

なんかまんまと乗せられた気がしないでもないが、とにかく俺も真由香さんに会いたかった。

 

俺は真由香さんの病室へ向かった。

 

ドアをノックすると「はい」と真由香さんの返事が返ってきた。

 

俺は病室に入った、真由香さんの顔がパッと輝いて「大我先生、会いにきてくれたのね」そう言って俺を手招きした。

 

真由香さんには敵わないな。