ラヴ KISS MY 書籍

 

 

 

第十一章 仕組まれた罠

 

夜、亜紀のスマホに電話をした。

 

「亜紀、大丈夫か」

 

「理樹さんこそ、大丈夫ですか?すみません、私のせいで大変な事になってしまって……」

 

「亜紀のせいじゃないよ、俺が蒔いた種だからな」

 

「愛理さんはそれほど理樹さんをお慕いしているんですよ」

 

「亜紀に慕われるんならすごく嬉しいけど、愛理お嬢さんは迷惑かな」

 

「理樹さんったら」

 

「もう少しの辛抱だから、我慢してくれ」

 

「はい」

 

俺は亜紀とのスマホを切った。

 

そう、この状況はもう少しだけと思っていた。

 

まさか、この時の俺の判断が間違っているとは夢にも思わなかった。

 

そんな時、愛理お嬢さんは強行手段に出た。

 

いきなり、俺のマンションに引っ越して来たのだ。

 

「お帰りなさい、理樹さん」

 

「なんで勝手に入り込んでいるんだ」

 

「マンションのオーナーさんに連絡して、まだカードキーを理樹さんから頂いていないと説明すると、なにかとお困りでしょうからと、すぐに渡してくれました」

 

「なんで俺があんたにカードキーを渡さないといけないんだ」

 

「わたくしたちは婚約中なんですよ、わたくしは理樹さんと結婚したらこのマンションに住むんですから、当たり前の事ですわ」

 

「誰と誰が婚約中だって?」

 

「わたくしと理樹さんです」

 

「俺はあんたと婚約破棄したんだ、俺は亜紀と結婚する、だからさっさと出て行ってくれ」

 

「本当に亜紀さんを愛しているのですか?」

 

「どう言う意味だ」

 

「理樹さんが愛しているのは、五年前に癌で亡くなった真央さんですよね」

 

俺は愕然とした。

 

確かにニューヨークで亜紀を見た時は、真央が生き返ってきたと見間違うほど似ていた。

 

しばらく、真央と一緒にいると錯覚していた。

 

でも、一緒に過ごすうちに俺の中に大半を占めていた真央の姿が薄れて行った。

 

そこに存在感を現したのは亜紀だった。

 

俺が惹かれて抱きしめたいと思ったのは真央じゃない、目の前にいる亜紀だと確信した。

 

「俺が愛しているのは亜紀だ、真央じゃない」

 

そんな俺の言葉に愛理お嬢さんは驚きの表情を見せた。

 

「今日はもう遅いから、この部屋で休んで、明日荷物をまとめて出て行ってくれ」

 

俺の気持ちは愛理お嬢さんに伝わったと思い込んだのは俺だけだった。

 

まさか、愛理お嬢さんの亜紀に対する敵意に火をつけてしまう結果になるとは誰が予想出来ただろうか。

 

愛理お嬢さんは絶対に俺を手に入れて見せると敵意を剥き出しにした。

 

次の朝、俺は仕事の為、朝早くマンションを出た。

 

部屋のドアの外から愛理お嬢さんに声をかけた。

 

「今日中に出て行ってくれ、頼む」

 

返事はなかった。

 

私は上部愛理、お父様は上部コーポレーション社長である。

 

三年前、東條ホールディングスとお父様の会社、上部コーポレーションが取引の契約をした。

その後の取引先主催のパーティーで理樹さんとはじめて出会った。

 

なんて素敵なの、イケメンで、優しくて、透き通る瞳の奥には私を幸せにしてくれる未来が見えたように思えた。

 

私はすぐにお父様におねだりをした。

 

「お父様、お父様、わたくし、東條ホールディングス社長、東條理樹さんと結婚したいんです、ですからすぐに婚約をお願いしたいの」

 

「なんだ、藪から棒に、落ち着きなさい」

 

「これが落ち着いていられますか、わたくし理樹さんと結婚します」

 

これが理樹さんとの出会いだった。

 

それから三年間わたくしは理樹さんと結婚すると思って生きてきたのであった。

 

なのに、一夜のアバンチュールで、わたくしの宝物を奪っていった女を許すことが出来なかった。

 

絶対にどんな手を使っても理樹さんの側から離れて貰いますと心に誓った。

 

理樹さんが出て行ってくれと言葉を残し、仕事に出かけた。

 

わたくしは理樹さんの側から離れないと心に決めて引っ越しして来たのですから、何としても理樹さんのマンションに居座る覚悟だった。

 

わたくしは早速行動を起こした。

 

理樹さんのことだから、亜紀さんを健さんに預けているに違いないと睨んだ。

 

わたくしは健さんのマンションに向かった。

 

理樹さんも、健さんもお仕事だから、亜紀さんにダメージを与えるには好都合だった。

 

インターホンを鳴らすと、応答があった。

 

「上部愛理と申します、亜紀さんですよね、お話したいことがあるので開けてくださらないかしら」

 

えっ?愛理さん?

 

私はどうして良いかわからなかったが、とりあえずオートロックを解錠し、愛理さんを招き入れた。

 

「お邪魔致します、健さんとご結婚されたのね、おめでとうございます」

 

「ち、違います」

 

「わたくしは、理樹さんのマンションに住んでいますの」

 

「えっ?」

 

愛理さんの何かを企んでいる様子がありありと感じた。

 

ダメ、ダメ、口車に乗せられてはいけないと聞く耳を持たなかった。

「まだ、理樹さんに愛されているなんて錯覚していては可哀想だと思って、忠告さしあげようと思って参りましたの」

 

私は息を呑んで愛理さんの言葉に耳を傾けてしまった。

 

「理樹さんが愛しているのは、五年前に癌で亡くなった真央さんよ」

 

私は戸惑いを隠すことは出来なかった。

「しかも、その真央さんは亜紀さん、あなたに瓜二つなの」

 

えっ?衝撃の事実に平常心を保っていられなかった。

 

「ご存知なかったと思って、教えて差し上げようと参りましたの、だって、あなたは真央さんの代わりなんですから」

 

「そんな」

 

「理樹さんは真央さんを思いながら、あなたを抱いたんですよ」

 

私は狼狽えて涙が溢れてくるのを止めることは出来なかった。

 

「思い当たる事は沢山あるでしょう」

 

確かに、ニューヨークではじめて会った時だって、私を見て真央さんと重なったんだろう、だからプロポーズした。

 

一旦会社の為に愛理さんとの結婚の道を選んだのに、私を選んでくれたのは、違う、私じゃなく、真央さんを健さんに渡したくなかったんだ。

 

「亜紀さん、あなたが理樹さんの側にいれば、ずっと理樹さんは真央さんを忘れられないんですよ、そんな酷い事は可哀想です、そう思いませんか」

 

この時私は理樹さんの側を離れる決意をした。

 

荷物を整理していると、健さんが帰ってきた。

 

「亜紀、何をやっているんだ」

 

「これ以上迷惑をかけられません、出ていきます」

 

「何を言っている、理樹のマンションは週刊誌の記者がウロウロしているんだぞ」

 

私は黙ったまま荷物の整理を続けた。

 

理樹さんのマンションに行けるわけがない。

 

健さんと理樹さんの側にはいられない。

 

「亜紀、僕と結婚しよう」

 

「急に何を言い出すんですか」

 

「理樹の側にいても、亜紀が幸せになれるとは思えない」

 

「だから出ていくんです」

 

「どう言う事?」

 

「理樹さんが愛しているのは真央さんですよね」

 

「真央?」

 

真央は理樹の彼女だった女性だ。

 

そして僕は真央に密かに恋心を抱いていた。

 

大学時代、一人で本を読んでいる真央の姿が目に止まり、いつしか真央を目で追っていた。

 

そんなある日、理樹の彼女だと知って愕然とした。

 

阿部真央、僕の初恋の女性だった。

 

理樹から奪うなど考えも及ばず、静かに見守ることしか出来なかった。

 

「阿部、顔色悪いけど大丈夫か」

 

「東條くん、ありがとう、大丈夫よ」

 

「今日は東條理樹と一緒じゃないのか」

 

「えっ?」

 

「東條理樹と付き合ってるんだろ?」

 

「なんで知ってるの?」

 

「ああ、東條から聞いた、なんかあいつ、僕に懐いてくるんだよな、だから阿部の事も教えてくれたんだ」

 

「そうだったの」

 

「なあ、どこか悪いんじゃないか」

 

「大丈夫、ちょっと疲れているだけだから」

 

「送っていくよ」

 

「大丈夫だから放っておいて」

 

珍しくこの時、真央は声を荒げた。

 

既に癌が進行しており、真央の命の炎は消えかかっていたのだ。

 

僕など入る隙も無いくらいに二人は愛し合っている様子が感じられた。

 

東條ホールディングスビルの前で、亜紀を見かけた時、あまりに真央に似ていたので、心臓が止まるかと思ったくらいだった。

 

その時、今度こそ自分のものにしたいと強く思ったのは紛れもない気持ちだった。

 

亜紀は愛理お嬢さんから伝えられた事を僕に話してくれた。

 

「理樹さんは今でも癌で亡くなった真央さんを愛していると、愛理さんは言ってました」

 

「愛理ちゃんがそんなことを?」

 

「私は真央さんに瓜二つだから、私が側にいると理樹さんを苦しめると、私は真央さんの代わりなんだからと言って」

 

亜紀は急に声を詰まらせて泣き出した。

 

そんな亜紀を僕は引き寄せて抱きしめた。

 

僕の腕の中で亜紀は泣いていた。

 

ずっと我慢していたんだろう。

 

ニューヨークで恋に落ちた相手が、自分の父親が裏切ったあいての息子だったなんて、婚約を破棄したはずなのに、結婚の相手は自分ではなかったなんて、そして信じて着いて行こうと決めた相手は、癌で亡くした彼女を愛していたなんて、次から次に降りかかってくる事実に対応出来なくなったのだろう。

 

そして次の日亜紀は姿を消した。