愛について考えていたころ1つのドラマに出会った。
自分の『愛』がまだまだ浅かったことに気付かされる。

私は誰かのためにどれだけ自分を犠牲にできるだろう。
この人のためだから…と思っていたことでさえ、
自己愛からだったのではないか?…とさえ思う。

純粋な愛は全てに平等なのだ。
この人は間違っている…と思うようなことでも、
深い部分が見えて来ると、
相手のその切なさは伝わって来る。
『この人は間違っている…』と思うのは、
私が私の物差しで相手を見ているからだ。
…相手のことを私はどれだけ知っているのか?
なぜこの人はこうなのか?ということも、
相手の事情も分からないまま、知ることもせず判断して来たのではないだろうか。

苦しみや悲しみは本人しか分からない。
どんなことから苦しみが生まれ、悲しんでいるのか?
その度合いも、
人それぞれが生きて来た中での経験、
人生の中で受けた傷や辛さや悲しみにより違ってくる。

だが、苦しい思い、悲しい思いをしただけ人は、
優しくなれるし、
相手を思いやることができるのだと思う。
だから優しさに出会った時、
人はその優しさ、思いやりに包まれるのだろう。
 
苦しみや悲しみの感情は確かに負の感情ではあるけれど、
決して悪いものでもなく、不必要なものでもなく、
逆に必要なものであると思う。

苦しい思い、
辛い思い、
悲しい思いをしたことがない人なんて居ないと思う。
だから人は皆、それぞれの人生の中で『愛』を学んでいるのだと思わずにはいられない。

最後に、このドラマで一番印象に残った言葉を書き記しておこうと思う。




『…生きていると仕方のない瞬間があります。
人生は、過ぎれば一瞬です。
でもその中の、さらに短い一瞬で、
選択を誤り自分の首を締めている人もいる。
一瞬の過ちで…。
人は人をどれだけ知っていると思いますか?
近所の人が知ることは、ごくわずかです。
毎日会っている人でも、
家族でも、
全ては知れません。
夫婦でも同じです。
人は、あらゆる事情を抱えています。
それぞれの事情は、
その人の中で複雑に絡み合っている。
だが人は自分の物差しで人を見ようとするんです。
自分の経験や知識だけで安易に予測して、
人を判断してはいけない。』