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立川吉笑38→39

立川吉笑、38歳、落語家。

 6月の始まりはただぐうたらして過ごした。寝る前に福岡でもらったお土産の明太せんべいを4枚食べたから起きて体重測ったらもちろんちょっと増えてた。また今日から仕切り直そう。油断するとすぐに日々は雑多に流されていくけど、そこをぐっとこらえてできるだけ調和を保ったままでいたい。

 

 連歌の読み方についてのツイートをしたら「ちんぷんかんぷん」みたいな反応がいくつかあって「やっぱりここを変えたいな」と思った。

 

 まずはもう一度連歌の読み方を説明する。ツイートに書いたのは以下の通り。

 

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[吉笑寸志孫弟子両吟百韻] 8/100

 

光あれ神のたまひて夏めくや(寸) 

 石仏縫いしあだし野の風(吉)

浄土穢土左右に分つ道の果て(寸)

 朽ちし藤波香ぞ残りける(吉)

白き蝶まばたきの間に飛び立てり(寸)

 ただ原なかで野馬いななく(吉)

涸れ河の砂の兵らが砂の城(寸)

 何時とも分かぬ昼の月かな(吉)

 

連歌の読み方は

1→2

3→2

3→4

5→4

5→6

7→6

7→8

と、五七五(奇数番)が一つ前の七七(偶数番)にも繋がります。

 

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 これが本当に「ちんぷんかんぷん」なのかな。

 

 冒頭の「吉笑寸志孫弟子両吟百韻」。

 これはただ連歌の名付け方に則ったもので記号的なものでしかない。

 例えば名作連歌の1つに「宗伊宗祇湯山両吟」というものがある。意味は「宗伊さんと宗祇さんが湯山という場所で二人で連歌をやったよ」というくらいの感じ。二人だったら両吟、三人だったら三吟、と人数は変わるし、場所も湯山とか水無瀬とかもちろん変わる。

 

 漢字が続くのと両吟とか百韻とか、馴染みのない言葉ばかりだから「よく分からない」と思う人が少なくないのは織り込み済みだけど、まぁこれは記号でしかないから、そこはどうでもいいやと思って文章に添えた。

 そのあとの8行はまぁ五七五と七七の中身だろうと多分誰もが分かるはず。

 本当はその前に、

 

1、光あれ神のたまひて夏めくや(寸) 

 2、石仏縫いしあだし野の風(吉)

3、浄土穢土左右に分つ道の果て(寸)

 4、朽ちし藤波香ぞ残りける(吉)

 

 とナンバリングしたらもう少し分かってもらいやすくなったかなぁと思いつつ、まぁ見た目を整えるためと文字数がギリギリだったから数字は省いた。

 

 具体的に句(連歌の文脈で句と呼ぶのか分からないけど)の中で出てくる言葉で分からないものがあるのも当然で。

「夏めく」・・・春の終わり頃に、夏の気配を感じることを表す季語。

「あだし野」・・・京都の地名。火葬場の象徴みたいな場所。徒然草に出てくるように無情の象徴のような場所。あだし野は化野とか徒野とか仇野と書かれる。今もあるあだし野念仏寺には無縁仏を祀るたくさんの石仏がずらりと並んでいる。(祀るという言葉が合っているかは分からない)

「浄土穢土」・・・何となく天国と地獄みたいな感じで解釈していたけど、「浄土」は汚れがない仏や菩薩が住むところ。対する穢土は「この世・現世」ということらしい。

「藤波」・・・藤のこと。万葉集あたりでは藤波と表現されることが多かった。

「涸れ河」・・・かれがわと読む。読み方に確信が持てなかったから、寸志さんから送られてきて、そのままコピペしてググった。水の流れていない川。冬の時期に積雪の関係で水が流れなくなった川のことも意味して、この場合は冬の季語。今回は単に水の流れていない川という意味での使われ方。あとに続く乾いたイメージの砂があるから、読んだ時にもそう感じた。

「何時とも分かぬ」・・・分かぬが、分かれないという意味以外に、変わらないという意味もあるよう。用法的に正しいかは分からないけど、古典文学でいつも変わらないという使われ方をしているのを見つけたから、その意味で使った。

 

 これらはもともと僕も知らなかった言葉たちで、今回の連歌作りを通して寸志さんから受け取って触れたり、自分で調べて見つけた言葉。知らない言葉とか使い慣れない言い回しとかがあるだろうけど、気になったらググったらすぐに意味は出てくるし、別に調べるまでせずに何となくで読み飛ばしてもらっても別にいいか、くらいの感じで載せた。

 

 

 問題の連歌の読み方のところ。文字数制限で、実際に句を載せて説明できなかったけど、書いたように

 

1→2

3→2

3→4

5→4

と、五七五(奇数番)が一つ前の七七(偶数番)にも繋がります。

 

 だけだと、改めてそんなに分からないものなのかなぁ。

 もともと自分がそう思っていたように、連歌と聞くと「前の五七五を受けて、後ろに七七をつける」とはスムーズにイメージできると思うけど、実際は「一句目{発句(ほっく)と言う}だけ例外で、それ以降は七七が読まれた次のターンでは、その七七の前につく五七五を作る」という風に、「五七五、→七七、五七五、→七七」という一方通行じゃなくて、「五七五、→七七、←五七五、→七七、←五七五」となるのが正解で。ここは確かにややこしいけど、「五七五を担当する人も、別の人の影響を受けるのが連歌か」と思ったらそれは当たり前でもあって。じゃないと、七七の人はずっと前の人の影響を受けられるけど、五七五の人はひたすら自力だけで読み続けることになる。

 この「五七五側も読むときに縛りがある」というのはかつての僕と同じくみんな知らないだろうと思ったからそこを説明しておこうと書いたのが件の文章で。ナンバリングがないけど、脳内でナンバリングして、

 

1、光あれ神のたまひて夏めくや(寸) 

2、石仏縫いしあだし野の風(吉)

3、浄土穢土左右に分つ道の果て(寸)

4、朽ちし藤波香ぞ残りける(吉)

5、白き蝶まばたきの間に飛び立てり(寸)

 

 添えた数字

 

1→2、

3→2、

3→4、

5→4、

 

と照らし合わせたら、

 

1→2

光あれ 神のたまひて 夏めくや

 石仏縫いし あだし野の風

 

3→2、

浄土穢土左右に分つ道の果て

 石仏縫いし あだし野の風

 

3→4

浄土穢土左右に分つ道の果て

 朽ちし藤波香ぞ残りける

 

5→4

白き蝶まばたきの間に飛び立てり

 朽ちし藤波香ぞ残りける

 

 となる。

 このルールを知らなかったら、

「浄土穢土左右に分つ道の果て」は「朽ちし藤波香ぞ残りける」だけにしか繋がらないと思えてしまうけど、実際は1つ前の「石仏縫いし あだし野の風」にも繋がるように考えられていて、そこは前提として知っていた方が連歌の味わい方がより豊かになるだろうなぁと。

 

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 さて随分長くなってきたけど、ここからが一番書きたいことで。

 

 まずはこれらを知らないことに対して、もちろん僕は何もヘンだと思わなくて。なぜなら僕自身がここで書いたことを知らなかったから。

 連歌の読み方も、「前のに戻って読む」というのはやっぱりややこしいし、説明を読み直しても「ん?どういうこと?」とつまりながら何度も繰り返し経験して、ようやくすんなり理解できるようになった。

 俳句の経験もほぼない素人だから出てくる言葉とか、文法上の活用とかも知らないことだらけ。(「香ぞ残りける」の時は、体感では何となく「香ぞ残りけり」とやりたかったけど、調べたら「ぞ」に続くのは「ける」だと出てきて、そう直した。現時点では連用形がどうたら、連体形がどうたら、と古文の授業で習ったあれらを全然理解できていないから、まだ一般的な形でこのルールは理解できていない。ひとまず「ぞ」に続くのは「ける」だ、と限定的にだけインプットしている状態)。

 僕自身が、これくらい色々なことを知らない人間だから、同じようにこれらを知らないことに対してヘンだと思うはずがない。

 

 一方でしっくりくる言葉が見つからないけど、「これらを知らないこと」を明示した方が自分にとってプラスに見られる、みたいな価値観がある気がしていて、それが僕はすごく嫌いで。

 

 「僕はこんなにものを知ってます。偉いでしょ」というスタンスはもちろん大嫌い。

 「私はものをこんなに知りません」というのは全くダメじゃないし当然のことと思っている。(現に僕もこの状態で、知らないことだらけ。)

 ただ「私はこんなにものを知りません。エッヘン!」という感じの立ち位置はもう本当に大嫌いで。

 もちろんその根っこには謙遜が多く含まれていることを知っているし、また「マウントを取る」という言葉があるときから多く使われ始めたけど、世の中には「僕はこんなに物事を知ってます。偉いでしょ」という下品な連中がわりかしいて、しかもそういう人たちは「えっ、こんなことも知らないんですか?」と他者を下に見る傾向があるから、自分がそうならないようにとしての反動なのかで、生存戦略として「へりくだって、下に下に」という振る舞いが現在では主流派だと感じていて。でも「いや、それはダサいよ」という気持ちがずっとあって、一番最初に戻るけど、「やっぱりここを変えたいな」と僕は思う。

 

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 エンタメであるはずの映画とかですら、長時間の視聴に耐えられず再生速度を速める人がたくさんいるらしい現代において、この投稿も、もはやこれだけ文字数があるというだけでそりゃ読まない人もたくさんいるだろうし、それは別にそれで良いと思ってもいる。

 繰り返すけど「文字がたくさんあると頭が痛くなっちゃうんです」までなら良いけど、そこに「エッヘン!」感が入ってくると、それはもう大嫌いで。さらに繰り返しておくけど、「ドフトエフスキーの全集を二日で読みました」はまだ良いけど、そこに「エッヘン!」感が入ると嫌い。加えて「えっ?あなたはドフトエフスキーの全集を読んでないんですか?」感が入るともう大っ嫌い。

 

 残念ながら今の日本は

「文字がたくさんあると頭が痛くなっちゃうんです。エッヘン!」

「私も、私も!」

という価値観が多数派だと思っていて、だからもちろん普段の高座ではアウトプットの仕方を、そこに向けて整えるようにしている。それは僕にとって落語が、ただ「芸術」としてあるものじゃなくて、「演芸」としてあるものだと思っているからで。

 たまたま僕は思考の癖として「理屈っぽく論理がごちゃごちゃしている」傾向にあるから、自分の生理にそってそのまま表現しようとするとどうしても理屈っぽく受け取られてしまい、それが壁となって伝わりづらくなる危険性があるから、そこはマイルドに補正するように心がけている。「一人相撲」とか「ぞおん」とか「くじ悲喜」とか「ぷるぷる」とか「歩馬灯」とか、今の段階で勝負ネタとして信頼できているものはそこをクリアできているはず。でもそのさじ加減は難しくて、未だに調整を失敗してしまうことも少なくない。

 

 ただ、そもそも「落語」に興味を持って、例えばネットで聴いてみたり、会場に足を運んでくださったり、僕のツイートやブログを読んでくださったり、している方々は、どう考えてもその時点で「文字がたくさんあると頭が痛くなっちゃうんです。エッヘン!」勢では本当はないはずで。じゃないと、普通は落語なんて聴いて楽しいと思えるわけがないから。

 現時点ではそれが「生存戦略として是とされている」から、そこに合わせる形で「文字がたくさんあると頭が痛くなっちゃうんです、エッヘン!」的振る舞いをとってしまっているはずだろうから、だったら「いやそれはダサいことですよ!」と上書きして、草の根的にそこの価値観を変えてしまいたいなと思う。

 そんなこと渋谷駅前で待ち合わせをしている人たちに成し遂げようと思ったら絶対無理で(そこは教育界隈の方々にお任せして)、でもそもそも落語に興味を持てている側の人に対してだったら、ちょっとの熱量で全然可能なんじゃないかと思っている。

 

 そしてそれはとても高尚な思想由来の動機ではなくて、そういう人の割合を増やした方が自分の落語はもっとウケやすくなるに違いないというとても現実的な動機だったりする。

 

 

 昨日は浅草演芸ホールの余一会。竹丸師匠主任の「大二ツ目まつり」という企画に呼んで頂いた。思えば去年のこの会に呼んで頂いて、そのあと夏の謎かけ大喜利付きの定席にも呼んで頂いたのだった。鯉八兄さんとか昇々兄さんとかの披露目もあって、「寄席」と呼ばれる場所に出演させてもらえる機会がたまたまコンスタントに続いていて、もはや自分にとって特別感はほとんどなくなってしまった。何だって人は慣れてしまうのだ、良くも悪くも。

 

 とは言え、浅草は久しぶりだったから去年の夏に毎日通ったフグレン浅草から翁そばという自分の中でのベストルートを久々に。会の方はお客様の盛り上がりがとんでもなくて(去年もこんなだったっけなぁ、いやこんなすごい熱気はそうそうないよなぁ、とか思いつつ)高座に上がる。新幹線で安倍元首相に会った話から『ぷるぷる』は、時間が少しカツカツだけど今の自分の中では最強の組み合わせで。もちろんたくさん笑ってもらえたけど、この環境だったらもっと大爆発させられなかったらダメだよなぁと反省の方が多い高座だった。マクラの途中で酔っ払いなのか?から野次が飛んできてしんどかった。

 

 久しぶりにキャリアの近い仲間とたくさん会って、たくさん喋って、楽しかった。本当は寸志さんと連歌の感想戦配信をやる予定だったから真っ直ぐ帰らなくちゃ行けなかったけど、最近は滅多にないことだったからギリギリまで(というか寸志さんに待ってもらって)ああだこうだ喋って、そのままホテルを押さえて浅草泊まりにして寸志さんと配信することに。

 

 イレギュラーなことが多くて、やっぱり今日は疲れが溜まっていたけど、たまにはこんなのも良い。芸人だもの。家に帰ってきたらちょうど幽体コミュニケーションズから真打計画のテーマ曲デモが届いてテンションが上がった。言葉の乗せ方がすごく好きだ。

 ということで、6月の始まり。色々なことが後手になってきているけどまた予定を組み直して1つずつやっていこう。コロナ禍以降、落語家としてのゲームルールが当然変わって、そうなると今がチャンスと一気に動く人たちがいて、そのあと取り残されたらまずいと少し遅れて動く人たちがいて、それくらいで全体として流れが出来上がって一方に偏っていくけど、いつだって逆張りしていきたい僕はそうなると流れに逆らう方向に活路を見出そうとする。

 結果が目に見えがちなマーケティング的なものでああだこうだ模索する前に、肝心の根っこをしっかり強固にしていかないと気づいた頃には取り返しがつかなくなるぞと自戒を込めて。

 久しぶりに寸志さんと連歌を始めた。

 連歌を考えている時は、身の回りじゃなくて遠くのことに気を向けざるを得なくて、そうかその時間が好きなんだなと気付いた。こんな時代に生きているとどうしたって近くにピントが合いがちだけど、それをなんとか遠くに向けたいとどこかで感じているのだろう。

 

 自分でも不思議だなと思うけど、芸人としての普段の武器というか嗜好は超近景にピントを合わせることで。鷹揚に構えていたら流せることにもイチイチ感情を動かして(動かされて)、その動いた感情分だけ笑い話として喋ることができる。だから、ネタを拾うためには常に近くに気を向けていないといけない。

 

 芸人としてのそういう生き方が好きなんだけど、一方で、連歌を考えているときみたいに遠景にピントを合わせるのも好きな自分がいて。思えば、毎日色々な本を読んではぼんやり考えごとをしているけど、その時のピントは遠景に合っている。

 良いジャンル分けの言葉が見つかっていないけど「教養」と呼ばれる領域が好きなのもそう。例えば最近だったら、相変わらず仏教のことだったり、白川静の漢字学だったり、時間について。無数の点の集合としての線でなく、一本の線に内包されている点のダイナミックな運動について、とか。そういうことに興味があって考えているけど、その瞬間は遠くを見ているから、近景でのあれこれは掬い取られずにただ流れていく。

 

 僕の場合、ネタを考える根っこは遠景的、それをいざ演芸に仕立てていくのは近景的。どっちも近景でやる人もいるし、遠景でやる人もいるけど、たまたま自分の場合は、超近景と遠景とを行き来するようになっている。そしてそうなると当たり前だけど、瞬時に両方にピントを合わせられるはずもなく、切り替える瞬間はめまいを起こすこともある。そこをうまく接続する方法があるのかなとか考えているいまは、遠景にピントが合っている。

 

 花粉症期間が明けて、過ごしやすい気候になったこともあって、ぐわーっとモチベーションが高まってきている。梅雨入りまではこの調子をキープしたいけどどうなるかは分からない。

 

 『真打計画02』のチケット販売が昨日から始まった。

 

 

 1回目に比べて新鮮さが落ちるのは避けられないから、ここでのチケットの売れ行きがまずは今後の試金石になるなぁとドキドキしていたけど、蓋を明けて見れば1回目よりさらに早いペースでチケットを買って頂けてよかった。

 それは1回目に来た方が「また来たい」と思ってくださったということだし、1回目に来られなかった方が「見そびれてしまった」と思ってくださったということだし。落語家として人前に立つ活動をしている以上、1人でも多くの人に「僕の落語を聴きたい」と強く想ってもらえるようになりたい。

 「自分のやりたい落語をやれるだけで幸せです」というようなスタンスももちろん幸せだと思うけど、やっぱり僕はそうじゃなくて、僕が面白いと思うものを1人でも多くの方と共有したいと思う。「これ面白いですよね?」と発信し続けて、「面白い!」というリアクションをもらい続けたい。立川流を選んだ以上、そうあってしかるべきだとも思う。

 

 そんなこんなで、これまで以上にたくさんのご予約を頂いていますが、まだお席あるので今のうちにぜひご予約をお願い致します。

 

 15日のシブラクでネタ下ろしできればなぁと準備を進めているけど、結構ギリギリになって来た。これまでほとんどやってこなかった種類のネタだから、難しいのよなぁ。

 『真打計画』の初回が無事に終わった。

 シークレットゲストとして師匠に出演して頂いた。出囃子の野球拳が鳴って、立川談笑のめくりが見えた瞬間、客席にいたらゾクゾクしたんじゃないかなぁ。グワーっと大きな拍手で師匠を高座に上がって頂けて、弟子としてはとても嬉しかった。

 やっぱり真打計画と銘打って本気で取り組むならやっぱり初回に師匠をお招きするのは絶対だなと思っていた。けど師匠の集客力に頼りたくはない。でも空席が目立つ中で師匠にサプライズ出演させるわけにはいかない。と言ったところで、座席が8割方埋まってから出演をお願いしたのでした。幸いスケジュールが空いていて良かった。そして満員御礼の状況で、完全にシークレットで師匠に出演して頂ける環境を作れてホクホクした。

 次に師匠をお招きするのは『真打計画』の大詰めとなる『真打トライアル』になると思う。そこまではたぶんゲストの力は頼らずに自力でお客様に満足して頂けるような会を続けていきたい。

 

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 本当は1つ用意したネタがあったのだけど、いろいろ考えて差し替えることにした。もしかしたら少しがっかりされた方がいるかもしれないけど、初回ということで縁起がよくないネタは控えようと寸前で思い至ったことだったり、最初の第一歩かつ師匠に出演して頂く特別感で会として満足して頂けるだろうと思えたことだったりで、そういう判断を費やした。

 ということで、次回は元々の予定通りに『浜野矩随』は演るんだけど、加えて今回やるつもりで準備を進めていたネタもそこに入れるから、持ちネタベースだった初回とはガラッと変わって、これまでの自分とは全然違う角度の球を2つ投げ込むことになりそう。

 

 でも、ありがたいことにたくさんの方が感想をツイートしてくださっていてそれを読んでいると、吉笑らしい発想の新作を喜んでもらえてもいて、確かに自分の独自性はそこだから、となると次回もその要素はちゃんと入れ込みたいなぁと。ネタのバランス的に、2席目に縁起のよくないネタをやって、仲入り休憩を挟んで浜野矩随になると思っていて、そうなると1席目で独自性の高いネタをやれたらいいんだけど、客席の空気をまとめつつしっかり笑ってもらえてなおかつ独自性が高いネタを作れるかどうかはもうギャンブルになるから、どうしようかしら。『ぷるぷる』とか『ぞおん』とか持ちネタで適任なのはあるけど、理想はもう1席挑戦的な新作を用意して、合計4席か?それが時間的にも体力的にも可能かどうかはちょっとしばらく考えよう。

 

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 やりきれなかったこともたくさんあるし手放しに充実感に浸ることはできないけど、それにしてもお客様からたくさんの想いが伝わってきて、それは芸人冥利に尽きるのだった。師匠に少しは恩返しできたかなと思いつつ、それ以上にまたたくさん与えて頂いたのだった。おかげで、夜中に久々のジョギングをするくらいモチベーションはかなり高いところに到達していて、このまましばらくは突っ走りたい。

 

 『並みの真打になることなんかに用はなくて、圧倒的な真打になるんだ俺は。』とパンフレットに書いたけど、本気でそう思っている。

 

 『真打計画01』が近づいてきた。

 ポスターは無事に完成して数日後には届くことになっている。あとは当日お配りするプリントとちょっとしたお土産としてちゃんとデザインしたチケットも用意するつもりで、こちらはさとりデザインさんが最後の追い込みをしてくださっているところ。ありがたい。

 

 スチールもだけど、特に動画の記録は残しておくべきだと思っていて、このあと力を貸してもらえたらなぁと思っているディレクターさんと打ち合わせをする。エリザベス宮地さんにもお世話になろうと思っているけど、いかんせん猛烈にお忙しいから、撮影など複数人体制を構築できればなぁと。真打計画はとにかくたくさんの方にお力をお借りすることになる。その分、良い落語家になって恩返しできればなと。

 

 同時に第二回の諸々の準備を進めて、さらには第三回のこともそろそろ動き始めないといけない。年内は第4回までいく感じかなぁ。

 

 とは言え、初回の事務周りは諸々片付いてきたから残り数日はネタの準備をぐわーっとやろうと思っている。不幸中の幸いなのか、今月は圧倒的に仕事がないから稽古する時間はたっぷりある。当日会場でお待ちしています。(明日以降、2階席を少しだけ追加販売しますー)

 

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談笑一門前座勉強会

 『ぶつかり稽古』特別編

5月1日(日)11時開演、12時30分終演予定

1500円(予約不要・全席自由)

吉祥寺・武蔵野公会堂

出演:

立川笑えもん(2席)

立川笑王丸(1席)

立川吉笑(1席)

 

独演会の前の会場を使って前座勉強会を開催します。

こちらは予約不要、当日券のみ。

間違いなくご入場頂けますので、ぜひー。

 

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 真打計画のための曲を依頼しているバンドが、昨日インスタライブをしていた。やっぱり素敵だ。

 

 真打計画01、おかげさまで完売御礼となった。これまでの自分の集客力的になかなか厳しいだろうなと思っていたけど、真打という文言を押し出し始めた1回目ということもあって、通常以上に注目して頂いたおかげだろう。

 

 集客力は結果がありありと見えてしまうから酷だけど、談志師匠の真打昇進条件に含まれていると考えているので(「真打たる人気を得ていること」という項目があったと思う)、ここも逃げずに向き合いたい。向こう1年半くらい続ける真打計画で、もちろん徐々に新鮮さは失われ、初回ボーナスのようなブースターもない中で、どれだけ聴きたいと思ってもらえているかということは常に意識していきたい。

 

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 本当はこれでグワーっと突き進んでいかなくちゃいけないのだけど、この数日はモチベーションが上がらず低空飛行となっている。天気も少しは関係しているけど、中央公論の原稿がなかなか仕上がらずずっと頭の片隅にあったのが大きい。真打計画のポスターもこちらからさとりさんへの返信が止まってしまって1日に間に合うかギリギリとなってしまった。

 

 向こう1年半続ける以上、もともと気分に活動量が左右されがちな僕はとにかくモチベーションを高く維持することを意識的に取り組んだ方がいい。そんなこと可能なのかは分からないけど、できるだけ落ちるときを浅く短くしてすぐにリカバリーできるような体制を整えるべきだ。本当は自分だけで全てを管理せずにそのあたり含めてマネジメントしてもらうのが良いんだろうけど、こればかりは仕方がない。その代わりに上がったときは、ただならぬ勢いで爆進できるのが自分の武器でもある。

 

 中央公論の原稿は時事エッセイだから、その時々に体験したことをきっかけに、ちょっとした気づきだったり新しい視点なんかを原稿に入れたいなぁと思っていて、そうなると書きたいことというか、気づきや新しい視点が見つかるかどうかの保障がなくそこにどれくらい時間がかかるか想像できなくて書くペースが安定しない。

 一方でクイックジャパンで書くような落語にまつわる内容は、普段から考え続けていることで書きたいことは山ほどあるから、それをわかりやすく言語化する術を考えることが難しい。外側から引っ張ってくる時事エッセイと、内側から掘り出す落語論と、どちらも種類が違う難しさがある。いずれにせよ、最近、書く筋肉が落ちてきている気がするから、もう少し執筆料を増やした方が良さそうと思ったり。

 

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 真打計画のテーマ曲を作ってくれるバンドと昨日、初めて打ち合わせをした。第一候補の方はこのブログでも以前MVの動画を何度か貼ったと思う。結果的には条件面で折り合わず実現せずに、その時は存在すら知らなかった方々にお願いすることになったのだけど、結果的にこの出会いはとても良かったと思っている。YouTubeの登録者は200人未満で、まだまだほとんど知られていない彼らだけど、どう考えても鳴らしている音楽は素晴らしい。10年くらい前にceroと出会ったときと同じような感じがしている。ハードル上がってるけど、そのうちこのブログに彼らのMVを貼りますね。

 

 

 

 真打計画の音楽を作ってもらおうと、顔が浮かんだ音楽家に連絡をしたところ、条件面で折り合いがつかなかった。サイトなど調べたところてっきりインディペンデントで活動されているのだと思っていたら、ちょうどメジャーレーベルに所属されたタイミングだったようで、こうなると権利関係の交渉が相当タフになるから、一落語家がお願いするのは、とてもじゃないけど実現不可能だ。原盤使用料にまで話が及ぶと都度交わす書面の量だけでこちらは手詰まりになってしまう。

 これまで何度かメジャーレーベルとやりとりしたけど、当然ながらどこも権利関係の交渉がタフになってくる。そりゃそうか、マネージメント側はそれが仕事だものな。そう思うとGEZANに曲をお願いできたのは、彼らがインディペンデントで活動されてるおかげなのだった。

 

 どうしたものかなぁと思って他の候補を考えはじめた矢先、たまたま見つけたWEB記事でイメージに合う素敵なバンドを発見した。少しググったら界隈での露出は少しだけあるようだけど、まだほとんどの人が気づけていないバンド。70回くらいしか再生されていない数日前のライブ配信も、とてもとても良かった。何より京都のバンドというのに縁を感じる。早速曲を作って欲しいとお願いをして、快く承諾してもらえたところ。どんな音楽が仕上がってくるのかとても楽しみだ。さすがにスケジュールがタイトすぎるから、7月に予定している第二回から曲を使わせてもらえたらと思っている。

 

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チケット、随分たくさん買って頂いたおかげで、残席わずか。

これは何より嬉しいことだ。

会場でお待ちしてます!

 

立川吉笑独演会

『真打計画01』(仮)

5月1日(日)14時開演

前売2500円、当日3000円

吉祥寺・武蔵野公会堂

 

チケット発売中

 

 

 

 

 真打計画の準備をポツポツと。と言ってもネタをぐわーっと仕込んでいるというよりは、今後の予定とかチラシとか事務的なものをこなしてる段階。真打なるなる詐欺と思われたら嫌だから先に明記しておくと、真打計画は1年半くらいのスパンで考えている。だから真打になるとしても今年はありえないし、今年中に真打が内定することもない。いつも言うように、続けたら誰でも必ず昇進できる仕組みである以上、真打になるのは難しいことじゃなくて、本気で動いたら年内に昇進することも可能だろうし、もっと言えば去年に、一昨年に昇進することもできたと思う。でも、それは自分がなりたい真打像とかけ離れているから、その差を埋めるための真打計画という機会なんだと思っている。

 

 

 それくらい時間がかかる企画だから、せっかくだったら世界観を表す音楽もあった方が楽しいなぁと思って、ある音楽家に「曲を作ってくれませんか?」と連絡したのが昨日。返事はまだ来ていないけど、たぶん大丈夫だと思う。いつもそうやって直接想いを伝えてきた。

 ツチヤタカユキとやる会で鳴っている音楽はGEZANだと思ったからマヒトさんにお願いして作ってもらった。同じように真打計画で鳴っている音楽はどんなのだろうと考えて顔が浮かんだ音楽家。去年たまたまYouTubeのおすすめで流れてきて知ったくらいだから、生のライブは見たことないし、どういう人柄かも分からないけど、ポップで軽やかだけど、その奥に湿度と情感がある音楽は真打計画にぴったりだと思う。二番太鼓の代わりに使うファンファーレみたいな曲を作ってもらいたいなぁ。

 

 ネタの作り方をちょっとこれまでと変えてみている。この体制ではまだ一本も完成させていないからどうなるか分からないけど、自分にとって新鮮だからかこの2日で向こう1年分くらいの着想を得られた。ほくほく。

 

 

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立川吉笑独演会

『真打計画01』(仮)

5月1日(日)14時開演

前売2500円、当日3000円

吉祥寺・武蔵野公会堂

 

チケット発売中

 

 

思っていた以上にたくさんの方にチケットを買ってもらえて喜んでいる。

同じ時間帯に談春師匠の独演会とか、生志師匠・雲水師匠の会(ゲスト志の輔師匠)があって、当然ながら大変なんだけど、こればっかりは仕方がない。今後もそんなことはたくさんあるだろうし、そんな状況でも「観たい」と選んでもらえるような芸をやっていきたい。

 

 シブラクでの『三題噺六日間』とか色々あったけど、3月のハイライトはGEZANの野音だったな。何か表現をやってる知り合いからイベントに誘われたとき、当日券でもできるだけ自分でチケットを買っていくようにしている。1ミリも関係者気分なんか捨て去って、観客として楽しみたいから。GEZAN野音もそのつもりだったけど、気づいたらのチケットは完璧に売れてしまっていたから、マヒトさんから招待枠を案内してもらえてよかった。

 

 3月末の野音の夜はまだ少し肌寒くて、汗の匂いは立ち込めていなかったけど、懐かしい匂いはした。高層ビルに向かって立ち上る煙が龍みたいに見えて、もしかしたらこれが龍の始まりなのかもなと思った。実際に目に見えていることなんてほんのわずかなことで、その裏側にある気配みたいなものをいつだって忘れずにいたい。それを『龍のにほい』と言語化してしまえるのが詩人の詩人たる所以だ。

 

 

 5月1日『真打計画01』が近づいてきた。思っていたよりもたくさんチケットが売れている。一方で即日完売とはなっていない。もっと聴きたいと思ってもらえるように、聴き逃したくないと思ってもらえるようになるために真打計画がある。会場で待ってます。